第3話 参ノ巻
(1)
悪漢の捕縛を終えると、みぃが眠気を訴え始めた。
「子の刻をとっくに過ぎてるからのう」
「とりあえず、こいつ滞在先の家へ置いきてからお前んとこ……郷長の屋敷だったか?とにかく寄るわ」
そう言うと、樹はみぃを連れて一旦廃神社から去っていく。
樹たちの姿が消えると、伊織と氷室は捕縛した内、意識を取り戻した何人かへ、ある噂について問い質した──、のだが。
「そう容易く口は割らぬわなぁ」
知らぬ存ぜぬの一点張りを貫く彼らに「死なない程度に痛めつけて吐かせるか?」と、氷室は苛立ちを込めてつぶやく。
「やめておけ」
穏やかなのに、異様に圧を感じさせる伊織の制止。
氷室はわずかに瞠目し、「……相分かった」と素直に引き下がった。
その後、二人は廃神社の近くの家々へ足を運び、郷の奉行所まで馬を走らせてもらい、ようやく帰路へ向かう。
「時ばかりを無駄に過ごした」
「そう言うでない。こういうこともあろうよ」
「おかげで夕餉を食べ損ねた。屋敷の者も寝静まっているし、朝まで耐え抜くしかない」
道中、氷室は無表情から一転、不機嫌極まりないと顔中を顰め、自らの腹を強く押さえつける。伊織の歩幅に合わせて歩いてはいるが、足取りは重い。
「ひ、氷室。郷長の元まであと少しじゃ。それまで持ち堪えるのだ。そ、そうじゃなぁ、樹が何か食べ物を持ってきてくれるかもしれ」
「酒しか持ってこない気がしてならんのだが?」
空腹で喋るのも億劫だ。元々口数の多い方ではないので、氷室は以降、伊織が何を喋っても沈黙を貫いた。そうしている間にも、二人が宿泊する郷長の家へ到着した。
「よぉ」
茅葺屋根の広い屋敷を囲う生垣の一角、五合徳利抱えた樹が二人を待っていた。
やはり、酒だけか。
己の予想が的中し、氷室の仏頂面が一層酷くなる。不機嫌ついでに胃袋が引き絞られ、背中と腹がくっつきそうだ。
「本当に来るとはのう」
「ったりめーだ。俺にだって面子くれーあるわ。つっても、こっちはあくまで郷人から個人的に
「よく分かってるじゃないか」
「あ?なんか氷室すげぇ機嫌悪くねーか?」
「気にするな。腹が減るといつもこうな……、ったぁああ?!」
すかさず、氷室は伊織の足をだんっ!と強く踏みつける。
「余計なこと言わんでいい」
「あー、まぁ、腹が減っちゃあ戦にならねーしな。夜はまだ長ぇ。酒以外にも夜食も持ってきてやった」
氷室の目に普段は射さない光がほんのかすかに宿る。氷室の見慣れなさすぎる表情に樹は思わずたじろぎ、反射的に竹皮で包んだ夜食を差し出す。
「樹殿。誠にかたじけない。恩に着る」
「お、おぅ……」
「これは……握り飯か」
「あ?あぁ、きのこと山菜を混ぜた麦飯をな、ちょっとした握り飯に……」
差し出された夜食を、氷室は躊躇いもなく受け取ると。
隣で蹲り、足を押さえて悶絶する伊織と、まだ引いている樹へ「主。樹殿。
(2)
すでにほとんどの住人が寝静まった屋敷内、足音を立てぬよう、三人は静かに歩く。
氷室と伊織が寝泊まりしているのは、屋敷の一番離れの部屋。廊下に膝をつき、氷室はそっと引き戸を開ける。
広々とした畳敷きの部屋の真ん中、布団が一組のみ敷いてあった。
「布団は二組で、と、あれ程申したのだがのう」
「しょうがねーだろ。男と女が一人ずつ揃って一緒にいりゃあ自然そうなるわ」
「問題ない。あたしが見張り兼ねて廊下で寝れば済むだけのこと」
氷室は二本ある燭台の一本から燈明皿を片手に、もう片方の手で夜食の包みをさりげなく持って廊下へ出て行く。
「今、しれっと夜食全部持っていきやがったぞ」
「……すまぬ。食に対しては少々
「ったく、躾がなってねぇなぁ。まっ、こっちはこっちで好きにやるぜ」
樹は五合徳利を畳に置き、とくとくとく、ニ口の盃に酒を満たしていく。
「……で、噂ってのは何だよ?」
暗闇の中、燈明の光のみを頼りに、伊織は一口、酒を啜ると動きを止めた。
液面に映る己と対峙するように、盃を数瞬見つめた後、真面目な顔で答える。
「先程の廃神社での賭博じゃが……、捕らえた連中が騙し取った金品がどこへ流れていると噂になっておると思う?」
伊織は盃の残りをぐいと飲み干し、一段と低く囁く。
「我が領内に潜む南条の残党の元、だそうな」
「南条だと……?」
呻くようにつぶやき、樹は盃に浮かぶ己を睨む。
盃を睨みながら、樹が新たに問いを重ねる前に伊織が更に続ける。
「怪しい場所は他にもある。この郷にある、通称お救いの小屋じゃ」
「お救いの小屋……?ああ、郷の裕福な奴らや坊さんなんかが病人や怪我人、身寄りも行く当てもない連中に最低限の衣食住施すための場所とか言ってる、さっきの廃神社と変わらねぇくらい、ぼっろいあばら家か?けどよお、あそこにゃ、女とガキ、年寄り、あとは戦で働けない身体になっちまった気の毒な男どもしかいねぇと思うんだが」
「そうかぁ、其方もそう思うかあ」
「其方
伊織は樹の反問に応えず、代わりに空の盃を突き出した。
「この酒は旨いのう」
「ちったぁ遠慮しろよ」
二杯目の酒をちびちび舐めながら、伊織は別のことを考えていた。
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