第2話 弐ノ巻

 表情こそ崩さず、氷室はそっと両手で耳を塞ぐ。

 隣で白髪……、もとい、伊織は思いきり顔を顰め、氷室の倍は大きな両掌で耳を塞ぐ。その間にも石段を駆け上がる音が近づいてくる。あと呼吸を十行う間にも到着するに違いない。

 また一段と騒がしくなる……、と、氷室の耳を塞ぐ両手にぐっと力を込める。


「おいこらぁ!てめーらぁあああ!!なに出しゃばってくれてんだよ?!」


 氷室の予感は見事的中。本当に十回目に息を吐き出した時、伊織より更に大柄な男が飛び出すように二人の眼前へ姿を現した。

 雑に括った白髪交じりの黒髪に無精髭、打ち刀片手に凄みのある目つきで伊織を睨む乱入者の風情は野盗に近いが、彼もまた歴とした武士である。

 伊織は殺気立った視線などものともせず、耳は塞いだままにこやかに呼びかける。


たつき!久しいのう!!其方もこのさとに滞在中であったか」

「てめぇ、とぼけんなよ。どうせ俺が二日前から滞在してることくらい、郷長さとおさか奉行から聞いてんだろ?あぁ?」

「いーや?たしかにの、『この廃神社の賭博に毎夜集まる無法者に困っている。捕らえて欲しい』と、其方が此度の訓練先である郷人たちに頼まれた……、聞かずとも察せられる。察せられるがなぁ、儂は本当に今の今まで知らなかったんじゃ。氷室にも聞いてみるか?」


 樹は氷室をちら、と一瞥し、頭をガリガリ引っ掻く。


「いや、そこまではいいわ。面倒くせぇ」

「随分あっさり引き下がったのう」

「た・だ・し!俺の面目潰しやがったからには説明しやがれ。何でてめぇと氷室がここに乗り込んできたのかってな!」

「樹殿。申し訳ないがそれは」

「お前にゃ聞いてねぇ。俺はお前の主に訊いてんだよ」


 横から口を挟んだ氷室を一蹴した樹は、今にも刀を抜きそうな様相で伊織へ更に詰め寄っていく。すると、石段から再び足音が、今度は大人のものとは思えない軽快な足音が近づいてくる。三人は足音の正体に察しがついた。


「こらぁああああ!!みぃ!!おめー、郷長んで待ってろっつっただろうが!!何勝手についてきやがった!!こんな夜中にガキがひとりほっつき歩くんじゃねぇ!!」


 最後の一段を飛ばして駆け上がってきたのは、杖を片手に持つ小さな少女だった。(というらしい)


 みぃの、目にかかる長い前髪の下、吸い込まれそうな黒い双眸が、唇が、不快に歪む。樹と揃えたかのような、無造作に括った黒髪を手入れし、着古した野良着でなく小綺麗な小袖を着せれば、上級武家の娘に見えなくもない整った顔かたち。惜しむらくべきは、左頬から鼻翼にかけて火傷痕が拡がっていることか。


「あたいがどうしようが勝手だろ。それより樹うるさい。声でかすぎ。ここの郷の人たちに迷惑」

「ぶっ!」


 身体も声も大きく迫力がある上、野盗と大差ない樹の柄の悪さに怯むどころか、みぃもぴしゃり、負けじと言い返す。たまらず伊織は噴き出し、樹は「てめ、なん……、なんだと?!」と言ったきり、言葉を失ってしまった。

 十を少し超えたばかりの子供に、伊織と同じ年の中年がしてやられる図が可笑しく、伊織はげらげら、腹を抱えて笑い出す。


「笑うんじゃねーよ!!叩っ斬るぞ?!」

「いやー、すまぬすまぬ……。尾形領内一の剣豪がのう、戦場を暴れ回る鬼神がのう……、こんな小さな娘御に敵わんとはなぁ……」


 身体を九の字に折り曲げ、大きな背中を震わせる伊織に、樹の手が思わず柄に伸び掛かける。


「あぁ?そっちこそ、氷室御前がまだ十五、六の小娘の頃から尻に敷かれっぱなしじゃねーか。無敗の軍師様は戦に勝てても一回り以上下の愛妾には全敗ってか。情けねぇ」

「これの性格のきつさは破格だからのう」

あるじ。樹殿。お喋りはこの辺にして、いい加減この連中の捕縛手伝ってもらえぬか。一人でも出来ないこともないが、こいつらが目を覚ますと面倒だ。さっさと終わらせたい」


 伊織と樹、それぞれの足元に荒縄がぼとり、投げ落とされる。

 荒縄が飛んできた方向を確認すれば、参道や玉砂利に倒れ伏していた男たちをまとめて踏ん縛る氷室がいた。


「あいつ、いつの間に」

「外の連中はもう終わった。あとは本殿から拝殿に転がっている連中を」


 言うが早いか、氷室は伊織と樹に背を向け、ひとり社へ向かう。


「氷室かっこいい……」

「え」「あん?」


 二人の背後で、みぃのうっとりしたつぶやき。


「待って氷室!あたいも手伝う」

「みぃ!!」


 樹が止める間もなく、とてて、と、みぃは氷室の元へ一目散に駆けだした。

 氷室は足を止め、みぃが追いつくまで彼女を待つ。


「みぃ殿、助かる」

「いいよ。あそこのおっちゃん二人役立たずなのが悪い」

「聞こえてるぞこらぁ!危ねーから、ガキは引っ込んでろ!!」

「こりゃ氷室!余所様の大事な娘御を巻き込むでない!!」


 ぎゃあぎゃあ文句言う割には動こうとしない男二人に、氷室は振り返りざま、ニヤリと微笑みかけた。


「みぃ殿を返して欲しくば、さっさと手伝ってもらえぬか」


 追い打ちをかけるように、みぃの小さな肩を、わざと痛くない程度にぎゅっと掴む。

 氷室の悪女然とした振る舞いに、伊織と樹は絶句し、特に樹は怒りでわなわな、全身を震わせた。


「ちょ、あの女……」

「さあて、そろそろ言う事聞いておかねばのう。本気で氷室の雷が落ちたら敵わぬ。樹も。みぃ殿返して欲しくば動いた方が賢明」

「まあ、そうなんだけどよぉ……。あー、ちくしょう!あの性悪小娘にしてやられるのは何か腹立つな!」

「まぁまぁ、そう言わんでくれ。意外にいところもあるでのう」

「けっ、言ってろ!……あ、おい!伊織。さっきの話……、お前らが」

「あとで郷長の屋敷へ来い。そこで話してやろう」


 納得いかなそうな樹を尻目に、伊織は肩をごきごき鳴らし、遅れて氷室たちの後に続いた。

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