雲煙過眼と成れ

青月クロエ

第1話 壱ノ巻

 ※前回のいけおぢ豊穣祭参加作品「行雲流水のごとく」と同じ世界観ですが、未読でも問題ありません。






 長い石段をのぼりきる。

 月光が半壊した鳥居の左右、焼け焦げた狛犬たちを淡く妖しく照らしていた。


 数年前、敵国が攻め入ってきた際、この神社を急襲された。

 事前に敵の襲撃を予想し、領民は避難させていたため人的被害こそ受けなかったが、未だ修復は叶わず廃神社のまま。狛犬も形を保ってはいるものの、黒ずんだ色が薄気味悪さを一層感じさせた。

 まるであやかしが、この廃神社の来訪者を待ち構え、取って食らおうとするかのように。


 しかし、氷室は辺りに漂う気味悪さを特に感じ入ることもなく、参道を真っ直ぐ進む。鳥居同様、半壊した手水舎ちょうずや、境内社、社務所等を通り過ぎ、奥の社の前で立ち止まった。


 両翼殿付きの拝殿と本殿の間には幣殿がある、立派な社にはかつての面影はなく、ほぼ廃墟と化している。風雨がどうにか凌げる程度のあばら家同然の社から、荒々しい怒号、どよめき、掛け声、絶叫など、大勢の人間の様々な感情が好き勝手に漏れてきた。


 完全に破壊され、中身はもぬけの空の賽銭箱を避け、氷室は拝殿へ踏み入っていく。

 黴と湿気、埃の臭いの他、ムッとするような汗と体臭が籠っている。

 本来無人の筈の廃神社なのに人の……、しかも大勢の気配。


 拝殿や本殿の板の間に大勢の男たちが座り込み、数人単位で分かれては丁半や目益双六に興じていた。その中の一人、本殿の最奥で目益双六のサイコロを振っていた男がずかずか、氷室へ近づき、全身をじろじろ眺めたあと、小さく口笛を吹く。


「ねえちゃん、何しに来た。ここは女がくるところじゃねぇ。けどよぉ、あんた、いい女だなぁ」


 男の言う通り、氷室はよく斬れる名刀のごとく冷たく鋭い美貌の持ち主だ。

 人肌を感じさせない、氷のような怜悧な美しさは見る者をぞくりとさせる。

 男はもう一度、氷室の頭から爪先まで舐め回すように、粘ついた視線で眺めてきた。『いい女』の言葉に興味を抱き、男の後方からも複数似た種類の視線が氷室を舐め回す。氷室が纏う白郡びゃくぐんの地に藤模様、白縹しろはなだ片身替かたみがわりの小袖と藍色の袴の奥を暴こうとするかのよう。


「気が変わった。俺たちの酌でもしてくれよぉ」

「酌だけですむかよぉ!」


 ぎゃはははは、と酒と男臭さが充満する殿内、下卑た嘲笑が巻き起こる。

 けれども、身の危険が迫りつつあるというのに、氷室は眉ひとつ動かさず。その名の通り、ひやりと冷たい一瞥を投げたのみ。

 喉元に刃を突きつけるかの如く目線に、男は一瞬臆したものの、「なんだぁ、その目ぇはあ」と、酒で赤らんだ顔を更に赤くした。


「早くこいよ!!」


 男が、黒い手甲に包まれた氷室の腕を無理矢理掴み──、掴みかける寸前、ぎゃっ!と悲鳴を上げ、飛びずさった。その太い腕には三本の走り傷。

 男は血が滲んだ腕を押さえ、氷室を、手甲から飛び出した細い鉤爪の先端を睨む。男を庇うように駆け寄った者たちも睨みつけ、短刀や小脇差などを構えだす。


「てめぇ、女だからって許されると思ってんのかあ?!」


 殺気立った大勢の無法者に囲まれ、凄まれ、刃を向けられても氷室の能面じみた表情は変わらない。


「先に手を出してきたのはお主だろうが」


 氷室の視線と口調、纏う空気が、ゾッとするほど冷たく、見る者すべてを凍らせた。しん……、と、静まり返った殿内を見渡すと、氷室は拝殿の入り口へと駆けだした。


「逃がしゃあしねぇよ!!」


 個人差はあれど、皆相当の量を飲んでいる。なのに、男たちの動きは意外に素早かった。あっという間に氷室の前に回り込み、参道へ抜け出ると一気に囲い込む。

 しかし、氷室は飛びかかってくる男たちに足払いをかけ、薙ぎ倒し。懐に入り込んでは拳を叩き込み、華奢な身体から想像できない力で投げ飛ばす。それでも手に負えない者には短刀を抜き、斬るではなく打撃で意識を落とす。

 次第に彼女に怖気づき、戦意喪失のあまりに逃げ出す者が少しずつ現れてくる。

 最初に氷室に絡んだ男も驚きと動揺で明らかに動きが鈍くなりつつあった──、と思っていた。


「動くなっ!!」


 この場に立つのは残り四人。ここで飛んできた制止の声に氷室は振り返る。

 男の腕には人質がいた。


「短刀を捨てろよ。さもなくば、この爺のクビ掻っ切るからな」

「随分と物騒じゃなあ」


 人質は大柄な体躯、白髪頭の総髪の年寄り、否、よく見ると顔は年寄りという程には老け込んでいない。手には扇子、浅黄色の小袖に鉄紺色の袴姿の人質は、のんびりした口調でへらりと笑う。命の危険が迫っているのに恐怖も動揺も一切感じられない様子が男の神経を逆撫でる。

 攻撃の手を止めているものの、氷室も一向に短刀を捨てようとしない。

 二人の冷静な態度に男は怒りを爆発させ、唾を飛ばして怒鳴り散らす。


「いいから早く捨てろ!!!!こいつがどうなっても」

「お主の好きにすればいい」

「え」


 まさかの人質を見捨てる発言と共に、氷室は短刀を懐に収めた。

 散々吠えていた男は思わず素に戻り、間抜け面を晒す。直後、悲鳴を上げ、どうっと、仰向けに倒れ込む。

 だらだら、血が流れるこめかみのすぐ真横、参道の敷石の間に小ぶりの苦無が突き刺さっていた。


其方そなたは薄情な女子おなごよのう。儂の喉笛が切り裂かれてしまったらどうするつもりだったんじゃ?」

「知らん。その時はその時」


 白髪の人質は片側の腕を後ろへ突き出したまま、ひどいのう、と笑う。

 氷室が苦無で男の顔を傷つけ、気を散らす。その隙に、白髪が男を肘鉄のみで昏倒させた、らしい。


「いっそ斬り捨てても良かっただろうに。この男、廃神社に人を集めては賭博で貨幣を騙し取っているのだろう?」

「そうはいかん。この者には例の噂について訊きたいことがある」


 あぁ、と、氷室は納得し、追及をやめる。


「それよりも、じゃ」

「そうだな」


 どちらかともなく、二人は背中合わせになり、周囲への警戒を強める。

 今にも二人を襲いかからんと、残りの三人が囲み、互いに睨み合う。

 氷室は再び苦無を構え、白髪は腰に差す打ち刀……ではなく、ずっと手にしていてた扇子を構える。

 武器ではない物を構えた白髪に、「てめぇ!ナメてんのか!」「ぶっ殺すぞ爺ィ!!」と男たちの怒りに油が注がれた。


「失礼なっ!!誰がジジィだと?!」


 叫ぶやいなや、白髪は扇子を振り上げ、男たちの輪へ飛び出していく。

「……いちいち突っかかってどうする」と溜息つきつつ、反対の方向へ氷室も飛び出す。


「儂はまだ三十七じゃああああっっ!!!!」


 男の一人が斬りかかるよりずっと早く、白髪が振り上げた扇子が男の横っ面を殴打。肉どころか骨まで届く勢いの打撃音と共に、男の顔面が玉砂利に深く埋まった。間近にいた二人目が状況への理解が追いつかず、動きが止まっているのを見逃さず、白髪はその男の顎に扇子で二撃目を食らわし、同じく堕とす。


「なっ、ただの扇子一つで……?!」

「あれはただの扇子じゃない」


 やはり状況への理解が追いつかず、動きが鈍った三人目へ氷室は間合いを詰め、高く跳躍。神速の動きに成す術のない男に、先程の話を続ける。


「鉄扇だ。骨がくろがねで作られている」


 話終えると同時に、氷室は苦無の持ち手、輪状になった後部を男の頭頂部へ、力一杯叩き込む。


 最後の一人が倒れ伏し、地上に立つのは氷室と白髪のみ。

 氷室は周囲を見回したのち、再び社へ足を向けようとする。


「氷室」

「中にまだ何人か残っていた筈」

「中なら儂がとっくに片付けたわ」


 ジャリッ、と玉砂利を大きく響かせて立ち止まり、氷室は白髪を振り返った。

 白髪はと言うと、自分を人質に取った男の懐をまさぐっていた。


「……何をしている」

「こ奴にのう、丁半で大分搾り取られたんじゃ」


 しゃがみ込み、大きな背中を丸めて人の懐を漁る姿が浅ましく、氷室は一段と冷ややかな視線を送りつける。


「本来の目的は諜報であって、賭博自体は適当に混ざって、適当に遊んでみるだけと言ったのはどこのどいつだ」

「本気でのめり込む振りをした方が敵の目を欺けるじゃろう?」

「そういうことにしておいてやろう。非常に不服だが。不服ついでにもう一つ」

「まだあるのか?!」

「先読みに長けた軍師ともあろう者が、つまらぬ賭け事で惨敗とは情けない」

「本当に其方そなたはきっついのう。仮にも儂の愛妾だというに」

「形だけだがな」


 表情なく鼻を鳴らす氷室に白髪は特に怒りもせず、八重歯を見せて情けなく笑う。例の扇子をまったく重さを感じさせず、いとも軽々と仰ぎながら。


「取られた分はきっちり取り返したし、別に問題なかろう。それよりも、こ奴らが気を失っている内に捕縛じゃ。儂は社の連中をやる。其方は外の連中を頼む」


 氷室が無言で頷いた時だった。


「伊織ィ!!やっぱりてめーの仕業かぁああっっ!!!!」


 どこからともなく、野太く盛大な怒声が辺り一面にこだまし、秋の宵空を大きく震わせた。廃神社を囲む樹々が揺れ動き、鳥が飛び去る音があちこちで響いた。

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