魔女の呪い

 4日目の朝がやって来た。


 もう事件は起きないと思われるので学校に行く必要はないが、最後の挨拶くらいは済ませないといけないだろう。


「それではアイリスさん、一緒に登校しましょうか」

「はいエクセルさん」


 特におかしな事件が起こるでもなく、ごく平穏に登校。


 やはり特に何の事件が起こるでもなく食堂の厨房で昼食の仕込みをして、昼食タイムを乗り越えて午前が終わる。

 本当に平和な1日で終わりそうだ。


「それでは私は本日までです。今までありがとうございました」

「いやいや、それはこちらのセリフだよ。一番大変な時期に本当に色々と助かった」

「また機会があったら来なよ。今度は食堂の客として」

「はい、また機会が有れば」


 豆おばちゃんと芋おばちゃんにお辞儀をして、勝手に拝借した通行証を元の場所へ返して厨房を後にする。


 思えばこの世界に来てからその大半をこの厨房で過ごしていたのかと思うと感慨深い。


 ……何故そうなった?

 もう少しあちこち調べるはずが何故、大半を食堂で過ごすことになってしまったのか?

 まあ、食堂のトラブルも解決したので良いだろう。


「あとは隣国からの視察イベントくらいか。もう懸念事項はないはずだから、何も起こっていないとは思うけど」


 講堂の方へ歩いていくと、護衛の兵士達が入口を固めてた。


 昨日早朝の地下下水道の戦闘、夕方の公爵別邸への取り調べ、どちらでも見た顔だ。

 連日勤務となると大変だろう。


「今の所は何も起こっていないですか?」

 

 見た顔だったので話しかけてみたが、返答はなかった。

 職務に忠実なのは良いことだが、少しだけ悲しい。


 その時、学校の裏の方から地鳴りのような大きな音が鳴り響いた。

 それを皮切りに定期感覚で地震のような小刻みな震動と何かを踏み潰すような音が伝わってくる。


 更に獣の咆哮のような声が雷鳴のように轟いた。


「ドラゴンだ!」


 誰かの声が聞こえた後に、校舎内から生徒や教員などが飛び出してきた。


 相変わらず地響きと何かの声は続いているのだが、それは廊下を走る生徒達の叫び声と走る音、震動によってかき消されてしまった。


「生徒の皆さんは誘導に従って退避を。魔法結界が有りますので、ドラゴンの炎は学校内には届きません!」


 教員らしき人の声がたまに聞こえるが、それを誰も聞いていない。

 みんな押し合うようにして校門の方へと走っていく。


 目の前にいる警護の兵士も呆然として立ち尽くしている。


「あなたの上官は誰ですか? 誰も来ないここで見張りを続けるよりも、まずは状況と次の行動の確認が重要なはずです」

「そ、そうでした」


 兵士は上官のところへ確認に走り去っていった。

 

「さて、こちらもまずは状況確認だ」


 敵の位置は学校の裏山。


 赤い皮膚。四足で長い尻尾。背中には大きな羽。

 尻尾を含めると長さは40mほど。


 これは先程の話にあった通りドラゴンで間違いないだろう。


「でもこんな奴が今までどこに隠れていたんだ……」


 わざわざ隣国からの視察団が訪れているこのタイミングで出現したということは、キマイラだけではなく、ドラゴンも含めた作戦だったのだろう。


 思えばカメムシ大量発生などのヒントは有ったのだから、裏山の方も調べておくべきだった。

 これは大きなミスとしか言いようがない。


「空から」状況を確認していると、目の前の講堂の扉が開いて、中から生徒会の面々、知らない中年の男達、そして殿下とその側近達が中から姿を現した。


「こちらに安全地帯がございます。皆様はそちらへ退避を」


 1人の老人が先導して、面々を誘導していく。

 王子もこちらの方を一瞬だけ見たが、他の来客……おそらくは海外からの視察団から離れるわけにはいかないのだろう。そのまま行ってしまった。


 他のメンツは海外からの来客の応対にかかりきりだったので、微妙に手が開いているように見えたカトレアを捕まえる。


「エクセル、何故ここに? 何が起こっている?」

「巨大なドラゴンが裏山に出現しました。赤い皮膚を持っていて背中には大きな羽があります」

「赤いドラゴン? レッドドラゴンか? なんでこんな町中に」


 カトレアは今の簡単な説明だけでドラゴンの種別を把握出来たようだ。


「強いんですか?」

「炎がまるで効かない。本来なら専用の装備を備えた軍で相手をして、巣に追い帰すのがやっとな奴だ。町から遠く離れた山に住んでるはずのやつが何故ここに……」

「誰かが今日のために連れてきていた?」


 状況からしてそれしか考えられない。

 教授が用意した例の装置かもしれない。


「ここは魔法学校ですけど、それを倒せそうな魔法使いは居るんですか?」

「所詮は学校だぞ。戦闘用魔術が得意な連中は軒並み王都の軍に所属していて、ここにいるのはアカデミック寄りの研究者と教師ばかりだ」

「となると、ここには?」

「教師達はそれなりの攻撃魔法を使えるはずだが、軍属ではない魔法使いが使う攻撃魔法の大半は火の魔法だ。レッドドラゴンとは相性が悪い」

「軍の魔法使いはここには?」

「いない。貴賓を護衛するための兵は居るが対人特化で、対竜用の装備を持ってきてはいない。王都に連絡をすぐに取ったとしても、駆けつけてくるのはいつになることやら……」


 カトレアが空の彼方を睨む。

 レッドドラゴンが火の息を吐いたのか、学校の周囲が一瞬だけ赤く染まったが、魔法結界とやらに阻まれて学校へのダメージはなかった。


 カトレアと話していると、会長と庶務も気付いたのかこちらへ走ってきた。


「カトレア、君も早く退避を。それにエクセルも」

「そうだぜ。王都から援軍が来るまでは避難だ」

「どこに避難するのですか?」

「尖塔に立てこもって、みんなで防御魔法を使うんだ。それが破られない限りはなんとか耐えられるはずだ」


 耐えられるはずと言っている割には会長の表情は暗い。

 いつも元気な庶務ですら虚ろな顔をしている。


「ドラゴンの攻撃には耐えられないんですね」

「私達が使う魔法は防御特化だから、たとえドラゴンと言えどもそれを破ることは出来ないだろう」


 そういえば例の中庭の決闘まがいの喧嘩の時にも聞いた記憶がある。

 お互いに強力な防御魔法を展開しているから攻撃が通らないとか何とか。


 確かに貴族の子弟に必要なのは攻撃魔法ではなく、己の身を護るための防御魔法だろう。

 それを徹底して教えるというのはよく分かる話だ。


「防御魔法を破られることはないはずだが、王都から援軍が来るまでそれを維持し続けることは出来ない……魔力か集中力が尽きる前に王都からの援軍が来ることを祈るしかない」


 会長に代わってカトレアが答えた。


「王都から援軍が来るとして予想時間は?」

「……早くて半日」


 再び全員の表情が沈む。


 流石にこういう状況ならば、筋違いがどうとか言う状況ではなさそうだ。

 負傷者や死傷者が出るよりは、ずっと良い。


「分かりました。そのドラゴンは私が倒します」


 意を決して生徒会の面々に告げた。


「倒す? 何を言っているんだ?」


 会長、カトレア、庶務の3人が信じられないというような顔をした。


「ドラゴンも『この世界の』みんなで力を合わせて倒して貰いたかったのですが、今の話ですと、それは無理なようなので私だけで早急に処分します。皆さんが傷つくよりはそっちの方がずっといい」


 周囲を見回すと講堂の横に掃除用の箒が置かれたままになっているのを見つけた。

 短時間の使用ならばこれで十分だろう。


「箒よ来い!」


 箒に向かって手を伸ばして呼びかけると、箒が独りでに飛んできて手元に収まる。

 それを片手でバトンのように何回か振り回す。


 若干しなりが大きいのが気になるが、短時間ならば大丈夫だろう。


「待て、なんだその魔法は?」

「残念ながら、魔法じゃないんです」


 帽子を一度脱いで、簡単に脱げないように深く被り直す。


「それで会長……今更ですが、お名前を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

「……ダニエル」

「そうですか。覚えました。これでこの世界の心残りはありません」


「俺」は青白く光る粒子で構成された鳥を5羽喚び出す。

 この世界の法則とは全く異なる因果で喚び出される鳥の使い魔には詠唱も魔力も必要ない。

 そういうものだからだ。


「エクセル、それは使い魔なのか?」

「そうです。今も1羽をドラゴンの動きをチェックするために常時張り付かせています。ドラゴンがこちらに来ないように適当に牽制させていますが、さすがに挑発にも乗らなくなってきました」

「えっ?」


 あえて使い魔にその小さな身体に見合わない巨大な口を開けさせると、カトレアが慄いて後ずさった。


「それはただの使い魔じゃないな……何か邪悪なものを感じる」


 鳥は個人的には可愛いと思っているが、やはりこれは感性がズレているのだろうか?


 まあいい。

 こういう状況ならば恐怖に怯えてもらう方がありがたい。


「今まで黙っていましたが、私は異世界から来た通りすがりの魔女です」

「異世界?」

「そうです。なるべく力を使うのはなしで今まで頑張ってきましたが、ついに限界がきたようです。今度の相手は力を使わないと勝てなさそうです」

「当たり前だ。だから、こういうのが軍が到着するまで待て」

「それまでに犠牲者は出るでしょう。だから、その前に全部終わらせます。この魔法学校は私が守りますよ」


 出来るだけのことは一通りやった。


 さすがに、このボスっぽいドラゴンを仕留めれば、もうこの学校で大きな問題は起こらないはずだ。


 起こったら?


 自分が帰った後のことまでは責任を取れないが、みんなで力を合わせて頑張って欲しい。

 第二王子と第三王子の確執的なものは潰した。

 邪魔になりそうな公爵家の問題も潰している。

 全員が力を合わせるための障害はもうない。


「あと、多分これも隣国の連中がかかわっていると思いますので、殿下に協力して犯人が誰か追跡調査をお願いします」

「何を言っているんだ」


 ただ、会長は今の説明で分かってくれたようだ。


「分かった。この件は兄様と協力して必ず解決させる。このようなことは二度を起こさせない」

「ありがとうございます」

「だから、君もきちんと帰ってくるんだ」


 残念ながらそれには応えられない。

 顔だけは無理矢理乾いた笑顔を作った。


「いえ、私は邪悪な魔女なので、ここで消えるのが正解だと思います」

「……もう会えないのか?」

「残念ながら……会長達の演劇、見たかったです」


 大きく頭を下げてお辞儀をした。

 本当に残念だが、これが今生の別れだ。


 あと半日あるのだから、もっと綺麗に別れたかった。

 どうせこの世界には残れないにしろ、もっと静かに消えたかった。


 だが、それはもう叶わない。

 ならば、当初の予定通り……無茶苦茶にしてやろう。


「皆さんに罪はありません。全員、私に騙されていたと証言してください。悪い魔女は言葉巧みに嘘を操って学校の中で悪事を企んでいた。それがバレたので逃げ出したと」

「そんな嘘は認められない!」

「残念ながら事実です」


 手のひらから虹色の閃光を放ち、講堂から続く渡り廊下の石畳と屋根をなぎ払い、粉砕する。


 魔法が使える……しかも優秀な成績だという生徒会のメンバーなら気付いてくれただろう。

 放った閃光には全く魔力が使用されていないということに。


 そして、そんなことを出来るのはこの世界の法則から外れた、全く異質な存在だということに。


「命が惜しければ逃げてください。悪い魔女である私は皆さんを容易に皆殺しに出来る呪いの力を持っています。その魔女の呪いでドラゴンをこの世から消滅させます」

「君は……」

「早く!」


 大声で怒鳴りつけると会長達は背を向けて無言で駆け出していく。


 意向は伝わったのか、誰1人としてこちらを振り向くことはなかった。


 もう一度頭を下げて礼をした後に箒へ跨がり、一気に空高く舞い上がった。

 箒の穂先から虹色の光の軌跡が流れる。


 魔法学校の上空には対魔法の障壁のようなものが張られているようだったが、魔力0の自分や使い魔に対しては何の反応も示さなかった。

 学校の裏山からカメムシ……誰もが嫌う世間のはみ出し物が飛んできたのと同じ理屈だ。


「吸い上げるのは裏山の木々で良いか。どうせ焼き払うのだから別にいいだろう」


 空からレッドドラゴンに近付くと、レッドドラゴンは鎌首をもたげてこちらを一目見て、大きく叫び声を揚げた。

 ビリビリと空気が振動するが、うるさい以上の感情は湧き上がらなかった。


「今すぐに逃げるならば命までは取らない」


 一応竜に向けて警告の声を飛ばすが、人語を理解しないのか、それともこちらをただの矮小な生き物だと思っているのか、全く動く気配はなかった。

 

「鳥を3羽解放リリース

 

 5羽のうち3羽の鳥が塵と化して消滅するのと同時に箒の前に黒い球体が出現した。

 そして俺の全身に虹色の光を放つ紋様が浮かび上がる。


 眼下に有る裏山の木々が瞬時に分解され、黒い霧となって消滅し、獣の唸り声のような音を立てながら黒い球体の中へと吸い込まれていく。


 こうやって黒い霧を吸い上げている光景は学校のみんなにも見られているだろう。


 みんなはどう思うだろうか?

 少なくとも神の化身や正義の魔法使いには見えないだろう。


 実際、邪神に力を与えられた存在――魔女なのだから、当然だ。


 レッドドラゴンも、この異様な光景を見てようやく異常を感じたのだろう。

 逃亡なのか、それとも抗戦するつもりなのか、背中の大きな翼を広げて空へと舞い上がろうとした。


「もう遅い……警告は済ませた」


 偵察に回していた鳥を呼び戻して、3羽の鳥でレッドドラゴンの片翼を根本から断ち切ると、本体から切り離された翼は裏山の木々と同じように黒い霧と化して消滅する。


 翼が失われたレッドドラゴンの巨体が空中から落下して、大きな音を立てた。


「さて、炎が効かないとの触れ込みらしいが耐火性能はどれくらいだ? 1000度? 2000度? 岩をも蒸発させる核反応級の熱に耐えたことは?」


 学校の裏山の森を禿山にしたあたりで、こちらのエネルギー補充は完了した。


「照射!」


 黒い球体は一度大きく膨らんだ後に真っ赤に赤熱して収縮。

 放たれた超高熱の熱線はレッドドラゴンの全身を一瞬で塵に変えて、更にその下に有る裏山の岩盤を融解、蒸発させて掘り進んでいく。


 そのまま照射を続けると学園ごと消し去りそうなので適当なタイミングで熱線の向きを上空へと向けた。

 照射が完了することには、周辺は噴煙と熱気に包まれていた。


 裏山だった場所に出来た穴の底では予熱で溶けた岩が溶岩と化して火山の火口のようになっている。


 上空には爆発的な空気の圧縮で作られたキノコ雲が見える。

 直に、舞い上げられた粉塵がその水蒸気と結びついて黒い雨となって降ってくるだろう。


 その雨で溶岩も冷えて固まって、後の処理は完了する。


 まだ昼過ぎだというのに巻き上げられた粉塵によって辺りは薄暗く曇り、その闇の中で自分の全身に浮かんだ紋様と瞳だけが光を放っていた。


 魔法学校の方を見ると、尖塔の頂上から何やら煙のようなものが立ち上っていたが、学校の建物や避難中の生徒は対魔法の結界とやらが有効だったようで、傷一つないようだ。

 

 もう魔法学校にも寮にも戻ることはない。


 こんなことをやらかした後に戻ったところでみんなに迷惑がかかるだけだろう。


 どうせこの世界に滞在するのはあと1日だけなのだ。

 このまま消え去ってしまうのが良いだろう。


 いや、逆に考えよう。


 このまま自分が邪神教団の教祖だったことにすれば、適当にでっちあげた設定である邪教教団の説得力が増す結果になるかもしれない。


 ダメ押しでわざと学校の上空を煽るように旋回すると、学校のあちこちから大きな悲鳴が上がるのが聞こえた。


 ドローンのような監視機器がすかさず飛んできたが、それらは追加で喚び出した鳥の使い魔で全て叩き落とす。

 残骸は落下して誰かに当たったら怪我をしたらいけないので誰もいない空き地に跳ね飛ばしておく。

 これならば影響は出ないだろう。

 

「まあ魔女ってそういうものだしな。世界から拒絶されて全てを呪う存在……このまま誰も知らない場所へ消えよう」


 虹色の軌跡を残し、そのまま空の彼方へと飛び去った。

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