カトレア
一度学校を出て、煙突の煙を頼りに大豆油の加工店に出向き、大豆油の絞り滓を少量分けてもらうことには成功した。
大豆油には圧搾式と成分のみを抽出する溶媒抽出式の二種類の方法があったはずだが、この世界で利用されているのは圧搾式。
人力の機械で押し潰して搾り取る形式だが、それだけに絞り粕にもまだそれなりの油が含まれている。
乾燥のために何日も放置されたものは油が回りすぎている上に酸化していてとても人間の食用には耐えられないが、油を搾ってから当日中のものならば十分食用として加工できそうだ。
「まずは寮に戻って、そこの厨房で試作だな。その上で豆おばちゃんと芋おばちゃんの感想を貰って明後日には出したいところだ」
ショートカットのために路地裏へ入って階段を少し降りたところで、背後の階段の上の方から突然に大きな声が聞こえてきた。
「エクセル・ワード・パワーポイント!」
何だろう? 新作PCの販売でもしているのだろうか?
Office365契約中なので失礼すると無視して階段を降りきり、その先に続いている緩い下り坂を進もうとしたところ、再度エクセルがどうのと声が聞こえてきた。
声のする後方へ振り返ると、先程校内で散々敵意を向けてきた金髪女こと副会長が真後ろに立っていた。
ぜいぜいと肩で息をしていることから、全力で走ってきたことは分かる。
「何のご用ですか?」
「貴様は誰だ?」
そう言うと副会長は腰に差していたサーベルを抜きはなった。
魔法学校の生徒。しかも生徒会副会長を名乗る割にいきなり抜刀とは、思っている以上にストレートな暴力に訴えてくる。
しかも、いきなり「貴様」呼ばわり。
町中での突然の刃傷沙汰と併せてら全く穏やかではない。
「あれから生徒会で手に入る名簿を全て調べてみたが、学内にはエクセルという名の生徒は在籍していないと分かった」
なるほど、さすが謎生徒会だけあって、それなりの権力も能力も兼ね備えているというわけか。
まあ、さもありなんである。
エクセル・ワード・パワーポイントとか、そんな思いつきで付けたような名前の人物が実在している方が驚きだ。
「もう一度訊ねる。貴様は何者だ?」
面倒なことになってしまった。
このままエクセルを名乗る偽生徒が学校内をウロウロしていることが知られると、事件の調査が面倒になる。
「確認したいのですが、ここへはあなた1人で来られたのですか?」
「私1人だ。大人しく事情を話して、それが重犯罪でないと分かれば、私の判断で見逃してやらんこともない。だが、もし貴様が――」
「いや、ちょっと待って」
両手を前に出して副会長の口上を制止する。
「なんでそんな独断を? あなたは副会長なんでしょう。誰か人を使うなり、関係各所と連絡を取るなどして対処した方が良いのでは?」
「そんなことをして事態を重大化すれば、もし貴様が重犯罪者ではなくただ学園生活に憧れるだけの一般人だった場合に見逃すことが出来なくなるだろう」
「待って、ならもし私があなたを簡単に返り討ち出来るくらい強かったらどうするつもりなのですか?」
「言っておくが抵抗しても無駄だ。私は王国の近衛兵に匹敵するほどの剣技と魔術を習得している。ただの一生徒が抵抗したところで、取り押さえるのは余裕だ」
なるほど、事態は把握できた。
この子はアホの子だ。
ポンコツ副会長はアホの子ではあるが、もし相手に情状酌量の余地がある場合には個人的に見逃すという優しさと清濁併せ呑む寛容さも備えている。
だが、その優しい性格が通じない相手に遭遇した場合には酷い事件へ巻き込まれる可能性も高いということである。
本当に「魔術学校の闇」が実在するのならば、この滞在期間5日の間に、アイリスだけではなく、この副会長を守るためにも闇の調査は進めておいて、出来れば解決させた方が良さそうだ。
「さあ構えろ。お前の特技は何だ? 魔術か? それとも剣技か? それとも卑しい暗殺術でも使うのか?」
なんだこいつは?
副会長の特技は人を爆笑させてその隙に攻撃する技か何かなのか?
もう全てのセリフが笑わせにかかっているとしか思えない。
なんて恐ろしいやつだと帽子を脱いで額の汗を拭う。
「ならば、これを見てもらいましょう」
制服のポケットから書類……例の退学通知書を取り出して副会長に見せる。
こちらの特技、ハッタリの威力を是非とも体感してもらいたい。
「学籍がないのは当然でしょう。私は学校側に学籍を抹消された立場です」
書類を見せた途端、副会長が口をポカンと開けて目を見張ったアホみたいな表情で固まった。
「あの……読ませていただいても?」
「どうぞ」
急に丁寧口調になってかしこまる副会長に手紙を差し出すと「そんなバカな」と何度も呟きながら書類の済みから済みまで目を通し、更には書類を透かして紙の確認まで始めた。
「確かに学校の公式文章だ。学長のサインやエンボスも見覚えがあるものだし、使われている紙も公式文章に使われている余所で手に入らないものだ。これを偽造するには並大抵のことでは出来ないはずだ」
副会長はそう言うと書類を返してきた。
サインやエンボス付きの書類はそれっぽい小道具程度にしか思っていなかったが、相当高レベルの偽造品のようだ。
やるじゃないかゲームの運営。
いや、全然出来てない。
そもそも人を間違える時点で論外だし、それだけ偽造技術だけは高レベルなのに何故名前欄にエクセル・ワード・パワーポイントとかいうお遊び要素をそのまま残してしまうのか?
何故カタカナでテストの文字を残したのか?
「だが、学籍抹消など今まで聞いたことがない。貴様……いや、あなたは何をやらかしたんだ?」
「学校の闇……私はそれを知ってしまった。そして、突然学籍を奪われてしまった」
「闇……まさか殿下と第三王子……会長のことか!?」
適当に何も考えず適当に意味深な話をしただけなのだが、何故か副会長の方から「それって表に出して大丈夫な情報ですか?」という話が出て来た。
そうか、あの金髪のあざといイケメン会長が第三王子だったのか。
そして、第三王子とは別に「殿下」なる人物がいることも分かる。
第三がいるのならば、必然的に第一王子と第二王子もいることも、「殿下」はそのどちらかを指しているということも分かる。
そしてわざわざ両方を呼んだということは、この2人が何かしら対立しているということも分かる。
第三王子がその他との間で王位継承権争いでもしているのだろうか?
それにしても情報収集には役立つのだが、アホの子過ぎて心配になってくる。
こんなポンコツが味方にいたら泣くぞ。
少し顔がひきつりそうになるが、なるべく平然を装って話を続ける。
「他にもおかしなことはあります。修復されない学校の設備、減らされていく学食の予算。そして……」
「生徒会の予算も削られている。なので、会長や私の個人資産から捻出している状態だ」
思っているより酷い状況だった。
個人の資産を出し始めたら組織としてはもうアウトである。
「研究の資金も削られているのではないですか? 一部を除いて」
「確かに! 他の教授は授業中も文句が増えているのに学長派のダウマン教授などは新しい機材をどんどん購入している」
なるほど、ゴミ捨て場に捨てられていたあの粗大ゴミはそこに繋がるのか。
適当な思い付きを投げると、副会長が勝手に補足してくれるので、どんどんと話が繋がっていく。
「これはもしかしたら、もっと大きな陰謀に繋がるかもしれません。学校側に籍が残っていないのはそういうことですね。余程、私が存在していると都合の悪い何かがあるのでしょう」
実は学籍がないのは元からで、退学と学籍抹消というのはゲームの運営の手違いから始まったつじつま合わせのただの設定ですなどと今更言える雰囲気ではない。
とりあえず夕飯はどうするかなと考えながら空の方を見る。
「まさか、お前はその学校側と戦うつもりなのか? 学籍を奪われ、全てを持たない今の状況から」
それについては確かにその通りだ。
肯定の意味で頷く。
「学校側は強力だぞ。魔法学校は有力貴族どころか王族からの支援も受けている、国内でも上から数えた方が早い権力を持つ組織だ。それを王族でも有力貴族でもないお前がたった1人で?」
「1人じゃありません。何故ならばあなたが私の仲間になるからだ」
「私が?」
様々な情報を持っている上に生徒会副会長というポジション。
アホの子ではあるが正義感は強く、根は悪い子ではなさそうだ。
逆に可愛く思えてきた。
それに、ここで突き放すと、どこで何の情報を流出されるか分かったものではない。
目の見える範囲で監視しておきたい。
「少し会話をして分かった。あなたは基本的に善人だ。たとえ自分が不利な状況になるとしても、見ず知らずの他人が救えるならば良いと思っている。そして、今の学校の運営体制にも疑問を抱いている」
「私はそこまで立派な人間ではない。ただ会長と同じところに立ちたいと思っているだけで……」
「その会長のこともだ。あなたは会長の手助けになりたいと思っているのでしょう」
「確かにその通りだ。私は会長のためならば全てを投げ出しても良いと思っている」
「そして、私が言うところの『闇』が会長の障害になるということも気付いている」
副会長に手を差し出した。
「協力なら握手を」
副会長は躊躇いなく握手をしてきた。
「私はカトレア・ソレイユだ。君のその自信と洞察力に賭けよう」
どうやら副会長……カトレアが協力者になってくれるようだ。
もし、これで「そんな話は知らん。お前は敵だ」と向かってきたら、5日くらい病院のベッドから出られないくらいに叩きのめさないといけないところだった。助かった。
「だが、学校側の権力に対してどう立ち向かうつもりだ? さすがに何の展望もないというわけではないのだろう」
「なので、まずは崩しやすいところから崩します」
「どういうことだ?」
「ダウマン教授。学長と繋がりが大きく、実験用の機材を購入するほど予算に余裕があるというなら、そこに何か不正な取引の証拠がある可能性は高い」
「なるほど」
ダウマン教授が容易な相手で、何か予算使い込みについての真相に近いという根拠など何一つない。
だが、情報が一切ない「殿下と第三王子」とかいうよく分からないワードよりは切り崩せそうな雰囲気はある。
「それでも相手は魔法学校の教授だぞ。国内でも有数の魔術の使い手でいくつもの戦闘用の魔術道具を開発してきた有識者だ。軍事機密にも関係していることから、スパイを恐れて研究室はいくつもの魔術結界を張り巡らした無敵の要塞だと言う」
「では、その部屋は誰が掃除しているんですか? 教授はそこに住んでいるんですか? 食事は? トイレは?」
「えっ?」
「私はその教授の研究室から不要になったゴミを生徒達が持ち出して捨てに行くという姿を目撃しています。つまり、そこは進入できない場所ではない。方法さえ間違えなければ容易に入ることが出来る」
「それは、その生徒に許可を出しただけで……」
「では、私達も教授の許可を貰って室内への入室許可をいただきましょう。それも真正面から」
一応脳内で作戦を立ててみた。
あとはそれを実現可能か確認するだけだ。
「まずは調査ですね。一度学校に戻りましょう」
「この時間からか?」
確かに日は傾き、生徒は全て下校済である。
疑問に思うのも仕方がないだろう。
逆に考えると、この時間には学校には誰もいない。
調べ放題ということだ。
「この時間だから良いのですよ。案内してください」
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