第3話


「それで、顔は見ていないということですね」私は念を押して三度尋ねた。「見ていたのは走り去る後ろ姿と、あと…。何でしたっけ」

ですよ、ええ」巳間博士はカップを持て余すように取り上げた。「銃で撃った撃たれた、と家の前で大変な最中に、ちょうど僕も良いアイデアを思いついていたんですよ。だけど人道的支援というのも、これまた大事なことですから。さっさと自分の考えを切り上げて外に出ると、女性が倒れているのと、痩せぎすの男も倒れているのとが見えた。そして、例によって命を救った」

「迅速な対応でした」

 博士は立ち上がった。「まあ見ていたのは、つまりそんな所ですよ…。ところで、音楽はお好きですか?」

「無音というのは嫌いですが――ところで、貴方の助けた女性について話しても?」

 答えはない。博士は黙って立ったまま、棚の上に三つ重なったデッキの摘まみを右に左に、下の引き出しから一つカセットを取り出して、取り入れ口にそれを押し込んだ。ジィィ、と何かが巻き取られる音がする。


 そして、何もない。少し待ってみたが何も聞こえない。私はようやくカップに口を付けた。まだ温かい。

「何も聞こえませんね」

「うん、不思議だ。ある資料をコピーしたものを再生してみたのだけど、雑音すらない。やはり規格を間違ったか……」博士は思い当たったように振り向いた。「そういえば、助けたお嬢さんについて伺っても?」

「ええ、彼女は無事です。肩に貫通弾と、肘や脚に擦傷が少し。意識もはっきりしているようで」

「それは良かった。挨拶でもしてこよう」

「それは難しいでしょう。面会謝絶で、私も会えていません。何せ妊婦だったようですから」

「へえ、それはそれは」巳間博士は歩き回るのを止めて、正面に座った。「面白い」

「そうですね」私は応えた。

「ええ――てっきり僕は、もっと嫌そうな顔をされると思っていました」

「事件に興味があるのは、良き市民の証ですよ。勿論、捜査官にとっても同じです」

「色々聞きたいコトがありますねえ、ですが今から講義があって。ここで失礼させてもらいましょう。もし他に聞きたいことがあれば、研究室までいらして下さい。家には帰っていませんので、物騒ですし……」博士は私と目があったかと思うと、奥に目を見張って呟いた。「あ」

「どうしました――」私は振り返ると丁度、私の胴衣ジャケットを持ち去ろうとする人影をたっぷりしっかり見送った。「――おい、ちょっと!」


 一瞬戸惑ったものの「失礼します」と一言残して部屋を飛び出ていった刑事を漫然と見送った後、巳間博士は唖然としたまま再生ボタンをもう一度押し、流しっぱなしだったテープを取り出して机に置き、カップの中身を飲み干す。

 そうして落ち着ける時間を取ると「矢張り物騒だなあ」と、静かに独りごちた。


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