第21話 死が二人をわかつとも(3)

 フィルは死んでいなかった。けれどもあれは。生きているといってよいのか。

「なんでこんなことを……!」

「なぜって、金が欲しくてね。貴方のお父上はかなり杜撰に管理していたが、フィル様はそうもいかなそうでしてね」

「奥様の親戚が目を光らせていて、少々面倒に感じたので」

 悪びれもなく、男たちは言った。エドワードは怒りに任せて斬りかかろうとしたが、ギュンターがそれを止めた。

「……はなせっ!」

「そいつらは大事な証人だ! フィル・ブラッドリーを監禁した罪人でもあるのだぞ! 冤罪ならば晴らしてやるべきだ」

 仲間の取りなしにエドワードは怒りを堪えようとした。だが執事長だった男はそれを見て、笑いはじめた。

「何がおかしい」

「だって、こんなに馬鹿馬鹿しい茶番があるのかと思うと、おかしくて堪りませんね! 冤罪を晴らす!? 何を言っているのですか。誰も気付かなかったくせに、今更そんなことを……っ!」


 七歳の時に人形にすり替わっても、誰も気付かなかったのに。


 執事長が笑いながら言った言葉に、エドワードは、夢の中のエドワードも、ショックを受けていた。そこで気付いたのだ。


 これは、この夢は、エドワードがフィルの誘拐を阻止しなかったら起きたことだと。


 エドワードは目が覚めたら、何をしてでも執事長と悪い医者を排除しなければと思った。フィルのそばにいさせてはだめだ。夢の中では彼らは処刑されたが、フィルにしたことはそれくらいじゃ済まされない。

 夢の中の自分もそう思ったようで、忌々しげに処刑されるところを見ていた。それからギュンターの開く診療所で治療を受けているフィルのところへと向かった。

「かろうじて生かされている、というところだ。……治療のしようがない」

「そんな、ギュンター、そんなことを言わないでくれ」

「駄目なのだよ、エドワード。なくなったものは戻せない。治癒魔法でも、それは無理なのだ」

「……薬を使って意識が朦朧としていたのでしょう。そのおかげで生きているのです」

 ロベルティナもまた、ギュンターと同じ意見だった。

 診療所のベッドに寝かされているフィルには、包帯が巻かれている。その下には、惨たらしく悍ましいことをされた痕があった。

「助けたのに、殺すのか、ギュンター! ロベルティナ! どうして、どうすればいいんだ。だって助けたんだぞ。悪徳領主っていうのは、ただの冤罪で、フィルは何も悪いことをしてなかったんだろう……」

 エドワードの嘆きに、言葉を返す者はいなかった。

 と、その時、眠っていたフィルの目が開き、ほんのわずかに手が伸ばされる。エドワードは反射的にフィルの手を握って、その名前を呼んだ。

 するとフィルは驚いたような表情を浮かべた後で、口元を緩ませて、お父様と言った。

「……お父様、助けに来てくれた……お父様。いい子にするから、……エドのこと虐めたりしないから、……もうお仕事の邪魔しないから……、ねえ」

 ギュンターがエドワードに、目は殆ど見えていないと言った。僅かに色を判別しているだけだとも。エドワードの髪は黒く染まったままで、フィルは父親と勘違いしているらしかった。それからロベルティナが、ずっとまともに覚醒していなかったから、精神年齢が攫われた時のままかもしれないとも。

 突きつけられる事実に、エドワードはうまく息が吸えなくなってしまう。どうして、どうしてこんなことになったのだろう。フィルは確かに意地悪で、碌でもない自慢ばかりして、エドワードをいじめてはきたけれど。でもどうして。

「……痛いの……お父様、大丈夫……」

 エドワードはフィルの手を握って嗚咽した。自分が泣くのはおかしいと思っていても、止められなかったのだ。


 夢の中の出来事に、エドワードは嫌な気持ちになった。なんて酷い結末だろう。こんな結末なんて迎えたくない。やり直したいと、そう思ったのだ。


 するとその願いに応えるかのように、澄んだ音が響き渡った。エドワードはそれが、妖精が出現する前兆だと知っている。夢の中のエドワードも同じで、フィルを抱きしめたまま、妖精に呼びかけていた。

『どうしたの、どうしたの? 何かお願い事あるの?』

「……この子を、フィルを、どうか元通りにしてくれ」

『元通りってどういうこと? どこが始まり? どこに直すの? 代わりに何をくれるの?』

「こんなふうになる前に、戻してほしいんだ。だってこんな、おかしいだろう」


 エドワードの願いに妖精はいいよと答えた。


『でも戻すだけだと、おんなじ。何も変わらない。だからちょっとだけ記憶を残してあげるね。あとは、この子が死にそうになったら、思い出させてあげる』



***



 随分と懐かしい夢を見たと、エドワードは目を覚ました。

 一番最初の、妖精へ願い事を言った記憶。多分、魔力暴走を起こしてフィルを殺しかけたから、思い出したのだろう。その後もエドワードは何度も死に戻った記憶を夢で見ながら思い出していく。

 妖精はフィルが攫われる日の朝へ、エドワードを戻した。正しくは、その時に何をすべきかだけ。目の前の花瓶を落とさなければとそう思って、床に落とした後にはどうしてそんなことをしたのか忘れてしまっているのだ。そしてヴァレッサに折檻を受け、エドワードは二人を強く恨むようになる。

 フィルが攫われるのは阻止できたが、結局いがみ合って、最後はフィルを殺すことになるのだ。そしてフィルが死ぬ瞬間、エドワードは妖精に願ったことを思い出す。

 死んでしまったフィルの亡骸を抱いて後悔して、こんな筈じゃなかったと嘆くと、どこからともなく妖精が現れる。そして同じ条件で、戻るかと聞かれるのだ。エドワードは戻ると答え、フィルが七歳の誕生日を迎える朝に戻ってくる。それをずっと、延々と繰り返していた。

 妖精使いの少女から、人が苦しむ様を見て楽しむ妖精がいると聞いたことがある。特別な力を持つ妖精からしたら、殺し合ったくせに後悔して、嘆いて。戻してくれと頼み続けるエドワードは、滑稽で愉快な見せ物だっただろう。何せ毎回同じような結末を経て、代償に体をすべて差し出しているのだ。見せ物で楽しんだ後のご馳走というわけだろう。

 なんて悪辣な奴だろう。でも子供を魔物が跋扈する島へと転移させるのだから、最初からそういう性質の持ち主なのだろうなと思った。

 でももうエドワードはあの妖精を頼ることはしない。戻りたいと願うことはない。願ったりしないように、今度こそ上手くやらねばならない。


 エドワードは側に眠るフィルを見ながら、そう思った。


 学園から戻った後で、エドワードはフィルを自室へと連れ込んだ。そこで思い切りフィルを可愛がって、そうして一緒に眠ったのである。

 普段フィルが自分の部屋だと思っているこの場所は、エドワードの部屋である。ライオネルはこの屋敷にフィルの部屋を用意したみたいだが、そこを使う気はなかった。

 なにせ大事なものは自分の手の届く範囲に留めておきたい。きっとこれは、竜の習性にある巣に宝物を溜め込むのに近いのかもしれない。竜の幼生体を宿してから、エドワードは少しだけそちら側に寄った。

 だからフィルを見ていると、可愛くて仕方ないと思うのと同時に、可愛くて可愛くて、食べてしまいたいという衝動に駆られるのだ。もちろん実際に食べたりしない。だって食べてしまっては、もうフィルと遊べなくなってしまうし、話もできなくなってしまう。

 エドワードは今の自分が、夢の中で見ていた死に戻る前のエドワードと少し性格が違うことを自覚していた。多分繰り返し過ぎて、エドワードが変質したのだろう。少しだけ記憶を残すと妖精が言っていたから、それが積み重なって違うものへと変化したと考えた方がいい。

 だってエドワードは自分が幼い頃から、やけに達観して人を見ていることを自覚していたからだ。だからフィルの行動を、可愛いくて面白いと思えたのかもしれない。いいやフィルはずっと可愛くて面白くて、少し面倒かと、エドワードは思い直した。

 眠っているフィルの体を揺らすと、むずがりながら瞼をあげてくる。そしてエドワードがじっと見ていることに気付くと、体をビクつかせて小さな悲鳴をあげた。その様子が可愛くて、美味しそうで、つい喉を鳴らして唾を飲み込んでしまう。

「おま、お前、め、目が……」

「ああ、これ。大丈夫、すぐ戻るよ」

 気をつけないと、瞳孔が縦に伸びてしまうのだ。普段は我慢しているけれど、最近のフィルを見ていると、本当に堪らなくなってしまうのだ。

「兄さん」

「……っ、な、なんだ」

「どこにも行かないでね」

「わ、わかってる」

 絶対に分かってないのに、わかっているというのが堪らなく可愛い。必死に逃げ出そうとして、結局逃げられないところが良い。

 それからこれは、エドワードだけが知っていることで。


「兄さんのこと好きだから、どこかに行ったら寂しいんだ」


 好きという言葉に大層弱い。

 エドワードの言葉に、先ほどまで怖くて真っ青だったのに、フィルは耳まで真っ赤になっている。なんとも容易いなあとエドワードは思った。

 でも好きという言葉も使い所を注意しなくちゃならない。なにせ言い過ぎると俺を騙す気かなんて言って、拒絶してくるのだから。フィルはちょっと面倒臭い性格の持ち主なのだ。でもそういうところが好き。可愛い。食べてしまいたいくらいに。

 思わず喉を鳴らして唾を飲み込むと、悲鳴が聞こえた。また怖がらせてしまったと、エドワードは自分の行いを反省した。

 こんなに怯えているのに、フィルはエドワードを拒む様子はない。必死に我慢しているようにも見えて、溺愛とか過保護とか、そういう括りでフィルの行動を見るのは不自然だった。

 多分間違いなく、フィルはエドワードと同じように、死に戻っている記憶を持っている。エドワードのように制限がかけられてもいないだろう。だってどの人生でもフィルは違う行動をしていた。時にはエドワードを出し抜こうと、そこでは経験していないことをやっているのだ。


 でも、それでも、毎回エドワードに追い詰められてしまうところが、フィルらしい。


 今回のフィルは、エドワードへ歩み寄ることにしたようだ。殺されたくないから、殺しにくる相手に媚びるのか。なんともまあ健気な様子に、エドワードは胸が高鳴った。こんなに可愛いことをされては、殺してしまうだなんて、もったいない。

 フィルがエドワードと関わらないようにした人生では、なぜかいきなり殺意が湧いていたけれど。あれは死に戻りをさせている妖精の仕業だろうなと思っている。このままフィルといれば、あの妖精はちょっかいをかけてくるに違いない。でももう邪魔なんてさせない。

 執事長や悪い医者、碌でもないことを言う使用人。それからエドワードとフィルの仲を引き裂こうとする臣下達。エドワードは死に戻る中で、全部、全員、きちんと覚えていた。記憶を取り戻してからは、ぜんぶちゃんと、処理をしたのだ。妖精も処理しよう。絶対に、間違いなく。


 だってやっと、エドワードはフィルを独り占めできるのだ。フィルは大事なエドワードの兄弟で、エドワードの家族で、大好きな遊び相手なのだもの。


「ねえ、兄さん。もし死んでまた戻っても、次も同じように過ごそうね」

「……へっ?」

「繰り返してきた分だけ、一緒にいよう」


 死んだくらいじゃ引き離せないよと、エドワードは笑ってフィルを抱きしめた。

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死が二人をわかつとも〜悪役子息は義弟から逃げ出したい〜 豆啓太 @mamekeita_ssr

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