第18話 誰かの誤算

***



 少女アラベラの視点からすると、フィルが学園に入学するまでは、エドワードとの仲を一歩一歩深めていたところだった。後少しで、誰もが認める恋人になれるはずだったのだ。

 なのに最近は、アラベラと話していたって、フィルがいればそちらを優先する。フィルが倒れたら一目散に駆けていくし、休み時間に顔を見せれば、教室まで送り届けに行ってしまう。

 授業の後も、休日も、エドワードは「兄さんと一緒に過ごしたいから」の一言でおしまいだ。


 到底、納得できるわけがない。


 エドワードは優しいから、フィルが助けてくれと縋れば手を貸さずにはいられないのだろう。アラベラからしてみれば、フィルは侯爵家の跡取りであるエドワードに取り入ろうとする鬱陶しい存在でしかなかった。

 アラベラは伯爵家の一人娘で、多少の我儘を許されるし、周囲が察して動いてくれるのが当たり前の環境で育った。だからアラベラからしてみれば、フィルは彼女の気持ちを察して、エドワードから身を引くべきなのに、どうしてそれが出来ないのかと苛立つ日々。


 その日はとうとう、アラベラにあったわずかながらの我慢というものが消え果てて、ついにフィルへと詰め寄った。

 フィルは昼食後の授業は休みがちで、たいてい空き教室で自習をしている。学園には許可をとっているというが、その特別扱いも鼻に付く。

 アラベラは妖精使いだと持て囃されていたのに、フィルは精霊使いといわれ教師陣にも一目置かれる存在だ。成績だって良い。でもそれは、二年も遅れて学園に入学したからだとアラベラは思っている。何もかもずるいのだ。

 

 フィルの居場所を探し当てるのは簡単だった。いつもフィルは、エドワードの近くにいるのだから。

 今回も、外の演習場にいるエドワードがよく見える教室で、本を広げて座っていた。アラベラが勢いよく扉を開けて近付くと、何か用かと首を傾げて視線を向けてくる。その仕草があざとく見えて、アラベラは苛立ちを募らせた。

 ブラッドリー家から出ていけと忠告してあげているのに、なんとも煮え切らない反応だ。少しは自分の立場を弁えることを教えてやるべきだとアラベラは思った。

 だから小さな友人たちに頼んで、フィルを箱の中へ閉じ込めた。箱といっても物理的なものではない。妖精たちがお菓子箱と言っているが何も入っていなかったので、アラベラはただの箱と呼んでいる。アラベラが許可を出すまで、フィルは箱の中にいることになるだろう。

 だがアラベラが考えたフィルを懲らしめる方法は、これだけではない。アラベラの婚約者候補の男に頼み、フィルそっくりの人形を作り出してもらった。

 アラベラがエドワードとの仲を進展させようと焦っているのは、父親からこの婚約者候補の男を紹介されたからというのもあった。政略結婚も致し方ないとはわかっていても、後少しで好きな人と結ばれるかもしれないのだ。それにエドワードなら血筋も問題ない相手なのだから、アラベラは諦めたくなかったのだ。

 それに紹介された男は、少し問題があった。

 アラベラに興味があるのではなく、妖精の方に強い興味があるらしい。男は妖精を見ては、魔力を込めて妖精そっくりの人形を作り出し、動かしては悦に入っていた。今のところ害はないが、気味が悪い。結婚はしたくない相手である。

 だがその作り上げる人形は精巧であったため、役に立つとは思った。

「フィル・ブラッドリーの人形を作ってちょうだい。それで、エド様から離れたいって言わせるの」

「見せかけだけの人形だよ。すぐにバレると思うけど」

「いいから、言われた通りになさいよ!」

 アラベラの勢いに負けたのか、それとも交換条件に妖精を一日そばに侍らせてあげると言ったからか、男は婚約者に会うためという理由で学園へ赴いてくれた。そしてアラベラの言う通り、フィルそっくりの人形を動かしたのである。

「やめた方がいいと思うけどなぁ」

「お黙りなさい。ほら、さっさとそれをエド様のところへ向かわせて」

「ううん、俺はやっぱり嫌な予感がするから。あとは君が好きにやって」

「あ、ちょっと、待ちなさいよ」

 アラベラが止めるのも聞かず、男は去ってしまった。なんて奴なのとイラついていると、小さな友人である妖精が、アラベラの髪を引っ張って注意を促した。

「ねえ、ねえ、あの子、お菓子箱の子、ちょっと変」

 ブラッドリー家に縋り付く厚かましい人間だから、変なのは当たり前だと思うけれど。

『違うの、違うの。あの子からもね、消えた妖精王の気配を感じるの』

 妖精王とは妖精の中でも、極めて強く特別な力を持つ存在。妖精の使う魔法には、人間の常識などは通用しない場合がある。それを操るのだからこそ、王と呼ばれるのあろうけれど。

「フィル・ブラッドリーは闇の精霊と契約をしているわ。その気配でしょう」

『ううん、闇の気配もするよ。でもね、そのほかにもするの。消えた妖精王! 怖い妖精王! 人間の苦しむ姿が大好きな、私たちが敬愛する王様!」

「待って、待ちなさい。あの子からもって、他の人からも気配がするの? 消えた妖精王ってなんなの」

『それはね……』

 妖精が内緒話をするように耳元へと近付いたときだった。


 ドンという音がしたかと思うと、アラベラの隣にあったフィルの人形が吹き飛んだ。あまりにも一瞬すぎて、何が起きたのかわからなかったが、室内にいるというのに風が吹き荒れていて、嫌な予感と共にアラベラは振り返った。

「ひぃいっ……っ!?」

 引き攣った悲鳴をあげたアラベラが見たのは、穏やかな彼には似つかわしくない凶暴な表情を浮かべるエドワードの姿だった。

 体から、普通は見えるはずもない魔力が溢れ出しているのがわかる。しかもそれが、巨大な竜の姿のようにも見えて、アラベラはその場にへたり込んだ。

「……ねえ」

「あっ……うっ」

 エドワードがアラベラに気付いて声をかけた。その声色はいつもと同じに聞こえて、恐怖が更に増した。

「俺の兄さんが消えちゃったんだけど、どこに行ったか知らない? どっかの誰かがさ、偽物の人形なんか置いて誘拐しようとするから。また、間に合わなかったのかなって思っちゃって」

「ひぃっ、しら……、しらな……」

 ここで本当のことを言ったら殺されると思ったアラベラは、咄嗟に嘘をついてしまった。エドワードの目がアラベラを見た。体が竦んで動かない。気を失えたらどんなに楽かと、アラベラは思った。

「嘘ついてるよね?」

 魔力が象る竜が大口を開いて、アラベラを飲み込もうと襲いかかってきた。

「いやあああああっ!!!」

 咄嗟に手で庇うが、それでどうにかなるものではない。アラベラは今度こそ死を覚悟した。



「エドワード!」



 唐突に聞こえた声は、フィル・ブラッドリーのもの。

 どうやって箱から出たのかわからないが、彼はアラベラの前へと庇うように立ち、エドワードの名前を呼んでいた。周囲には影が広がっており、闇の精霊がフィルを守っているのがわかる。

「落ち着け、エドワード! 教室を壊すな。魔力を抑えろ、それから同級生を威嚇するんじゃない!!」

 この状況で言うことはそれなのかと、アラベラは呆然とした。けれども言っているフィルは真剣そのもので、必死にエドワードに言い募っている。そんな、このままじゃフィルがエドワードに殺されるんじゃないのと思ってしまう。

「……兄さん」

 エドワードの方は荒れ狂う暴風のような魔力を抑えることなく、フィルを見ていた。そして。


「兄さん! ……もう心配したんだよ。さ、家に帰ろ」


 先程までの恐ろしい姿はなんだったのか。

 吹き荒れる暴風は収まり、エドワードはいつものエドワードに戻っていた。へたり込んでいるアラベラをよそに、フィルへと近付くと、あっという間に横抱きにしている。さりげなくフィルの手に持っている杖を取り上げてだ。

 呆然としたまま二人の様子を見送っていたアラベラの方を、エドワードがそうだと言って振り返った。そしていつもの輝くような笑顔で。


「次はからね」


「……っ!!」


 本当に怖いものは、怖い姿をしていないのだと、アラベラは知った。そしてようやく、気を失うことができたのだった。



***



 フィルはエドワードに抱えられながら、彼が打ち開けた校舎の壁を見て、どう言い訳をしようかと考えていた。エドワードが破壊したのは紛れもない事実である。これで問題児だと教師から目をつけられたりしたら、エドワードの精神に余計な負担が掛かって――。

 そうだ、これは自分の責任だということで退学し、そのままブラッドリー家からも放逐される流れで行けば良いのではないか。フィルは思い付いたことを口に出そうとした。

「兄さん、兄さん。まさかとは思うけど、この責任を取るからって言って、退学とかブラッドリー家から出るとか、考えてないよね? ……ね?」

「考えてないです」

「そう、よかった。もしそんなこと言われたら、俺。どうにかなっちゃうかも」

 エドワードの魔力は抑えられているものの、目の瞳孔がまだ縦に伸びている。竜に睨まれているのと変わらない圧がそこにあった。ものすごく怖い。

「エド。……自分で歩くから、杖を返してくれ」

「いらないでしょ、そんなの。俺がいるんだから、ね。大丈夫だよ、兄さん」

 そんなわけないだろうと、フィルは言えなかった。なぜならばエドワードの背中が盛り上がったかと思うと、服を突き破って羽が生えたからだ。翼膜のある、竜のような。

「……っ!? ……っ!!」

 喉が張り付いてしまったようで、声が出ない。どの人生でも、エドワードに羽なんて生えたことはないのに。怖い、ものすごく怖い。

 じゃあつかまっていてねと、なんてことないようにエドワードは言った。そして悲鳴を上げる暇もなく、空へと急上昇した。

「風が気持ちいね、兄さん」

 そんなもの感じる余裕もなく、フィルは恐怖からエドワードにしがみつき。

 ブラッドリー家の街屋敷へと戻った時には、意識が朦朧としていたのだった。

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