第17話 精霊はわかっている

***



 ――あの時は散々だったなと、フィルは暗闇の中でぼんやりと思った。

 エドワードに懐かれるまでの日々を思い出していたが、廃嫡を父と話し合ったあの時は本当に大変だったとげんなりとしてしまう。七歳の誕生日より、精神的にくるものがあった。

 ライオネルに廃嫡を申し出たことをエドワードに問い詰められ、出て行かないでと縋りつかれた。杖も取り上げられたし、ベッドから出してもらえなかったのだ。

 一日中エドワードがフィルを抱きしめて離さない。ベッド上で食事をして、暇つぶしにとエドワードがフィルを後ろから抱えながら本を音読したり。

 歩くのだって禁止されて、風呂やトイレにだってエドワードに抱きかかえられて運ばれた。しかも中まで付いてくる。着替えも身支度も全部エドワードがやっていたし、一時足りとも離れなかった。

 流石に夜は眠っているはずだと、フィルはそっと目を開けたのだが。

 隣で寝ているはずのエドワードの目が開いていて、暗闇の中でじっとフィルを見ていたのだ。すごく怖かった。トラウマになるほどの恐怖である。

 結局、フィルが後継者ではなくなるが、ブラッドリー家に留まるということで、エドワードは納得してくれた。籍も抜けていないので、ライオネルの息子のままだ。父が嫌がるのではと思ったが、無言で涙を流していたので真意は聞けないでいる。

 ちなみにフィルが王立学園に入学を決めた時も、エドワードは同じことをした。以来何かするときは、必ず相談してからという約束を取り付けられてしまった。破ったら今度こそ何をされるかわからない。


 そういうことがあってからというもの、エドワードは毎晩フィルのところにやって来ては、どこにも行かないでねと確認するようになってしまった。


 そして同じベッドで寝るまでが一連の流れである。

 夜中に目を見開いてこちらを見てくるエドワードの姿がすごく怖かったので、フィルは背を向けて横になる。

 今みたいに抱きしめられて、首元に顔を埋められる方がよっぽど怖くない。まあ時々、首筋にエドワードが歯を立てたりしていて、血管を噛み切られないか不安になることはあるが。

「……痛っ」

 噛まれる心配をしていたからか、現実になってしまった。思わず声を出すと、エドワードが悪びれもなくごめんねと謝ってきた。

「お前、……噛むのはやめろ。追い出すぞ」

「そんな、兄さんと一緒じゃなきゃ、寂しくて眠れないよ」

「ちょっ」

 後ろから抱きついていたエドワードが、フィルの腰と顎を強く掴んだ。触れる手の平が熱い気がする。晒されたフィルの首筋を、ぬらりとした湿った何かはった。

「もう噛まないから、許して、兄さん」

「な、舐め……、ひゃっ」

 噛まれたところに舌を這わされて、くすぐったさでわけもなく体が震えてしまう。

「や……やだ」

「舐められるの、やなの? そっか、じゃあやめるね」

 あっさりと終わった行為に、フィルが安堵した時だった。

「……っ!?」

 肌の吸われる感覚に身じろぐが、エドワードの手は外れない。数えきれないほど人生を繰り返しているので、そういった知識はきちんとある。これは間違いなく痕がつく。というかなぜ義兄にそんな痕をつけるのだろうか。明らかにおかしい。

「……うっ、え、……えど」

「うん、おやすみ兄さん。もう夜遅いから、寝ようね」

 首筋から顔を離したエドワードが、自然な流れのようにフィルのこめかみに口付けた。ベッドで一緒に眠ることは許していたし、色々と面倒だから世話をしたり抱きかかえたりするのも、好きにさせていた。だが最近、だんだんと体に触れられるのが度を超えてきている気がする。

 これは、エドワードの将来を考えると、色々とまずいのではなかろうか。

 フィルに一時的に懐いているだけだろうし、侯爵家の後継者なら婚約者ができるはずだ。そうなったときに、フィルの存在は邪魔になる。やっぱり出て行った方が良いのではと、フィルは思った。

 しかしエドワードと約束してしまった手前、破ったら機嫌を損ねそうである。それがきっかけで、いらぬ過去を思い出し、復讐したくなってしまったらどうしようと頭を抱えたのだった。



 そうして悩むこと数日ばかり。


 

 教室で一人過ごすフィルのもとへ少女が訪れた。真っ赤な巻き髪が特徴的な彼女には、見覚えがある。

「フィル・ブラッドリー!」

「……そんな大声で名前を呼ばなくても、聞こえている」

「私はアラベラ・ソリアノ。貴方にお話しがありますの」

「なんなんだ、一体」

 名前を名乗られて確信する。アラベラは妖精使いと呼ばれていて、その名の通り妖精と契約し使役している。精霊と契約し使役しているフィルと同様、めずらしいからか何かと噂が耳に入った。その噂の大半は、エドワードに懸想しているという関連のものであったが。

 処刑前のフィルに妖精や精霊のことを自慢げに語ったのも、彼女であった。彼女の知識のおかげで、フィルはシュテインと契約を結べたので、おざなりにするのもどうかと思い、話を聞くことにした。もっとも今回はまだ何の関わりもないため、いきなり喧嘩腰でこられても困るのだが。


「いい加減、エド様を解放なさい。貴方のような出来損ないがそばにいるだけで、エド様を煩わせるというもの! 侯爵家の温情に惨めったらしく縋るのは見苦しいですわ」


 腰に手を当てて、もう片方の手でフィルを指差しながら、鼻息荒く言い放ってきた。

「……はあ」

 フィルとしては、エドワードから離れたいので、解放してもらいたい。ついでに死に戻る事象からも解放されたかった。しかしながらどちらも、フィルの意向が反映される兆しがない。自分ではどうにもできないことなので、返答できることがなかったため、薄い反応となってしまった。

 しかしそれが、アラベラの苛立ちを募らせてしまったらしい。

「本当にわかっているのでして!? 後継にすらなれなかった貴方が、ブラッドリーを名乗るのはおやめなさいと言っているの!」

「……それは俺が決めることじゃない。文句があるのなら、侯爵に言ってくれ」

 赤の他人であるアラベラが口を出すことでもない気がするが。

 しかしアラベラは引き下がらなかった。侯爵が言いづらいからこそ貴方が配慮なさいと、詰め寄って来たのだ。すでにはっきりと話し合った身としては、やってこの状況なんだとしか思えない。

「なんて人なの。随分と恥知らずなのね。これだから昔から、侯爵家の害虫なんて言われているんだわ」

 それはエドワードのことなんだが。

 ブラッドリー家の領地での話が、どこかで捻じ曲がって伝わっているらしい。まあ噂にはよくあることだ。そして今現在、フィルはまさしく害虫のような立場なので、アラベラの言葉を素直に受け入れた。

 しかしなぜか、それがさらにアラベラの怒りを煽ってしまったようだ。顔を真っ赤にして、ここから消えてちょうだいと叫ばれた。この教室はフィルが使用許可を得て、自習用に使っているのだけれども。


「こんな出来損ないに、エド様の貴重な時間を奪われるだなんて……」


 苛立った様子のアラベラのそばに、小さな光がいくつも浮かび、澄んだ音があたりに響き渡った。

 妖精が現れる前兆だ。妖精が使う魔法は、人間や精霊が使うものとは大きく異なる場合が多い。

 フィルとエドワードを島へと転移させたり、竜を閉じ込めていたりと、常識外れで規格外なものばかり。しかしどれも決められた条件下でなければ使えないので、注意していればなんとか逃げられるかもしれないが。


「少しの間、頭を冷やすことね! 今後のことをそこでゆっくりと考えなさい!!」


 ほんの一瞬の浮遊感の後、フィルは小さな箱のような場所に閉じ込められていた。膝を抱え込んで座っていられるくらいの広さで、遠くからアラベラの声と共に子供の笑い声のようなものが聞こえた。多分妖精だろう。

「シュテイン」

『ふむ、主の魔力を消費すれば、我の影に潜り移動することは可能だ』

「じゃあいつでも出れるのか」

『左様。この空間に閉じ込める以外、何もない』

 また変な島へ移動させられるのではないかと身構えたが、違ったらしい。閉じ込めるだなんて随分と可愛らしい嫌がらせだが、さてどうしたものか。

「この後もきっと、絡んでくるんだろうな」

『恋した者の思考は侮れぬ。人間とは不可思議極まりない』

 フィルの呟きに、シュテインが同意した。

 このまま少し閉じ込められていたら、アラベラの気は済むだろうか。済まない気がする。しかしフィルには、ブラッドリー家を出ていく方法がない。直接話して駄目であったのなら、他に何ができるというのか。死ぬ以外で穏便に家を出る方法は何か。

 悩むフィルに、シュテインが言った。

『主よ、先ほどの娘が何やらしでかそうとしている』

「へえ、一体何を?」

『魔力を目に通すが良い。我の視界を共有しようぞ』

 シュテインの言葉通りに魔力を操ると、灰色がかった光景が見えてきた。

『影から覗いているのだ。艶やかな彩りは見えぬ』

「なるほど」

 それでも何をしているのか見聞きでいるのはすごい便利だ。

 視界にはアラベラとフードを被った誰かが話をしている姿が見えた。じゃあやってちょうだいとアラベラが言うと、フードを被った誰かが詠唱を始め、足元に置いてあった球体人形が動き出した。光が収束したかと思うと、輪郭が大きく変わっていく。そして人形は、フィルと瓜二つの姿へとなった。

「すごい、俺そのもの」

『姿替えの魔法を人形にかけるとは、よく思いつくものだ』

 一見しただけではわからないほど精巧だ。どうやら自動で動きもするらしい。すごいなと感心しつつ、フィルはふと思い付いた。

『主よ、断言しよう。やめておけ』

「まだ何も言っていないだろう。なんでそういうことを言うんだ」

『義弟殿の執着は、我の見たかぎりでも相当であるぞ。離れようとするのは、無理ではないか?』

「……そのうち気持ちが変わって、殺されたらどうするんだ」

『我の予想だと、殺される前に手足をもがれると思うのだが』

「拷問されるってことか!? それこそ逃げなきゃ……」

 シュテインがそういう意味じゃないと言っているが、それ以外に何があると言うのか。

「あの人形を作り出した奴の身元が知りたいな」

 フードの男は早々に立ち去り、アラベラが怒っている姿が見えた。フィル(偽)はそのまま置いておかれているので、用事が済んだから帰るのだろう。なんともあっさりとした関係だ。

『我の探索可能範囲であるのならば、追跡しよう。して身元を知ってどうする』

「俺の身代わり人形を作り出しただろう。あれで事故死でも装ってもらおうかと……」

 フィルは言葉をそれ以上紡げなかった。


 なにせアラベラの様子を窺っていると、フィル(偽)がいきなり吹き飛んだからだ。文字通り跡形もなく、木っ端微塵に。


 恐怖の表情を浮かべるアラベラの視線の先にいたのは、目の瞳孔が縦に伸びたエドワードだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る