第16話 認識は改められない

***



「フィル様、こちら職人から届きましてございます」


 使用人から渡された杖を見て、フィルはご満悦だった。これで自由に出歩けると思ったからだ。

『主よ、喜んでいるところ悪いが、やはりやめた方が良いと思うがな』

「なぜだ。別に悪いことをするつもりじゃない。エドワードには良い事づくしじゃないか」

『………我は影。主に従うのみ』

 じゃあなんで話しかけてきたんだと、フィルは顔を顰める。ただ血の繋がりのある父親に会いに行こうとしているだけだというのに。

 父ライオネルはヴァレッサと共に、フィルを見舞いにやってきたことがある。目が覚めて良かったとか、何も気にしなくとお前は私達の子供だとか、優しい言葉をかけてくれたが、それに甘えるわけにはいかない。父も母もいつまでもフィルがいては邪魔だろう。態度が軟化している今が狙い目だと、フィルは思ったのだ。

 それに最近は、歩く練習を始めて、屋敷の外まで行けるようになっている。まあエドワードが常にそばにいるし、なんならフィルの手を引いているのもエドワードで、疲れて動けなくなったフィルを運ぶのもエドワードではあるが。エドワードづくしでちょっと食傷気味であるが、奴は今の時間、学園で授業を受けていた。

 この空いた時間を有効に使わなければなるまい。

 フィルは少し前に父へ手紙を送っており、話がしたいと伝えてある。すると父からは屋敷へ行くと連絡があったが、できれば別の場所で話がしたかった。フィルが領地へ向かうには時間がかかりすぎるため、王都に父を呼び寄せることになるのを詫びれば、気にしなくて良いとの言葉と、食事の席を予約した旨が記載された手紙が届いたのだった。

 エドワードは抜きで話がしたいため、食事の誘いはうってつけである。きっとライオネルのことだから、フィルが手紙を出した意図をしっかりと理解しているかもしれない。ギュンターとロベルティナにも内緒で、フィルは意気揚々と杖をついて歩き、馬車に乗って出かけたのだった。


 馬車の乗り降りは流石に杖だけでは難しい。影を操って体を支えながら降りた先で、ライオネルが立ち尽くしていた。待たせてしまったかと慌てて謝罪すると、何やら手を彷徨わせている。

 首を傾げるフィルを見て、なんでもないとだけいうと店の中へと促した。案内されたのは、個室になっている席だったので、フィルは良かったとホッとした。父は父として、ちゃんとブラッドリー家のことを考えているとわかったからだ。

「……その、それで、体の方はどうだ?」

「はい、おかげでだいぶ回復しました。こうして出歩けるようになりましたし、見捨てずにいてくださったお父様のおかげです」

「そ、そうか。フィル、今日はお前の好きなものをたの……」

「食事の前にやっかいごとを済ましてしまいましょう、お父様」

 煩わしいことを先に済ませた方が、食事は楽しいに違いない。フィルが話を切り出すと、ライオネルは困惑しているようだった。もしかしたらライオネルは、フィルとは違う考えだったかもしれないようだ。

「申し訳ありません。……気が急いてしまって。でも早くお父様とエドワードを安心させたくて」

「安心とは。何か、あったのか」

「はい、俺の廃嫡の件の手続きをしてほしくて」

「ぶっ……っ!?」

 向かいに座ったライオネルが、盛大に咽せた。

「大丈夫ですか、お父様。でももうエドワードは十六歳ですよ。後継者と周知させるには、遅いくらいです」

 いつまでも邪魔者が居座っていては、エドワードも大変だろうし、ライオネルも頭が痛いだろう。罪悪感など持たなくて良いから、早くフィルを放逐してほしい。

「待て、待ってくれ、フィル。前も言ったが、お前はブラッドリー家の正式な後継者だ。私の財産を引き継ぐ権利は、お前にある。エドワードもそれを理解しているし、将来的にはお前の補佐になることで納得しているんだ」

「そんなの、エドワードに対して失礼です。エドワードは素晴らしい才能の持ち主なんですよ。俺の補佐で終わらせたら、エドワードの将来が勿体無い。エドワードこそが侯爵となるべきです」

「……実力だけで侯爵になるわけではないのだ、フィル。周囲が助けたいと思えたら、それが……」

「じゃあやっぱりエドワードですね。みんな、エドワードのことを助けたいと思いますから」

「…………」

 フィルの言ったことが図星だったのか、ライオネルは黙ってしまった。これはもう一押しすれば行けるかと、フィルは思った。

「大丈夫ですよ、お父様。廃嫡後は屋敷から速やかに出て行きますし、連絡とかしませんから。大丈夫、貴方が父親だって死んでも公言しません」

 もう十年も眠ったままだったのだから、七歳の誕生パーティに参加していた者たちは、フィルが死んだと思っているだろう。だったらこのままいなくなっても、誰も気付かないはずだ。ライオネルの懸念を晴らしておこうと、フィルは言葉を尽くした。

 しかしなぜかライオネルの顔は、青から白に、白から土色へと変化していく。話の進め方を失敗したかと、フィルは焦った。言葉を止めたフィルに対し、ライオネルは手で顔を覆い、深い息を吐いた。

「そんなにも、ブラッドリー家から出たいのか、フィルよ」

「え、はい。そっちの方がみんなの都合も良いでしょう。誰もが喜ぶはずですから」

 ブラッドリー家は父の代で実力主義になった。つまり自分より弱い人間を敬いたくない。きっとこのまま後継者でいたら、エドワードの方がいいと騒ぎ出されるだろう。

「俺は侯爵としてふさわしくありません」

「誰かが、そのようなことをお前に吹き込んだのか?」

「いいえ、そういうわけでは」

 以前エドワードにも聞かれたが、今世でそういった人物はいない。フィルが死に戻りを繰り返している中で、悪徳領主として処刑されるときに聞いた言葉だった。フィルなりに頑張って領地経営をしていたのだが、なかなか上手くいかなかったようだ。

 頑張っても処刑されるくらい酷いのだから、向いている人間が相応の地位を与えられ、職務をこなすべきである。

「……フィル、お前は私の息子でいたくないのか?」

「えっ、それは、俺がいない方が良いと思うので」

 フィルの答えに、ライオネルは眉間の皺を濃くした。答えを間違えたかと、フィルは焦ってしまう。

「周囲がどう思うかではない。お前の、正直な気持ちを、教えておくれ」

「はあ」

 そう言われてもと、フィルは困った。そもそもライオネルから息子として扱われたことがない。だから扱われたいとも思わないのだ。

「お父様のことを父と思ったことはないです。だから息子だと無理に思わなくても」

「…………っ!」

 ライオネルは胸の辺りを押さえて、顔を伏せてしまった。フィルの体の心配をしていたが、ライオネルの方が何か体に問題でもあるのではないかと思ってしまう。

「お前は、そう思っているんだな」

「……? はい」

「そうか。……わかった」

 これでフィルはブラッドリー家と縁が切れる。エドワードが侯爵となれば、悪徳領主だと罵られて処刑されたりエドワードに殺されることはなくなるはずだ。今まで何度か、ブラッドリー家から離れようとしたが、正統すぎる血筋のせいで廃嫡されるのは難しかった。

 後継者じゃなくなったとしても、エドワードの魔力暴走事件で周囲から恨まれていたので、殺される危険性を孕んでいたのだ。だが今回はそれがない。このまま縁を切って、ブラッドリー家の人間から身を隠せば、ひとまずそっち関連で死ぬことはなくなる。

「では手続きをお願いします。侯爵閣下。終わりましたら、速やかに出て行きますので。ひとまず治療院を紹介していただけると助かります」

 席を立つと、ライオネルが食事はどうすんだと声をかけてきた。フィルに気を遣っているのかもしれない。

「食事はお連れの方とお楽しみください。もしくは後から来られるんですよね」

「……はっ?」

「こんな素敵な店に呼んでくださって感謝します。雰囲気だけでも楽しめて良かった」

 死に戻りを繰り返していると、王都の店にも詳しくなるものだ。確かこの店は、ライオネルがプリシラやエドワードを連れてきていたお気に入りの店だったはず。エドワードの王立学園の入学祝いもここでやったのではなかろうか。

 最初の時、フィルは取り巻きと街を歩いていてエドワードを発見したので、目障りだと言いがかりをつけようとした。その時、ライオネルと腕を組んで歩くプリシラと、それに笑顔で駆け寄っていくエドワードを目撃したのだ。三人は仲睦まじい親子のように、この店に入って行った。

 あの時はとても不愉快だったが、考えてみればライオネルの行動はもっともだ。嫌いな相手をお気に入りの店に連れていくなんてするのはあり得ない。それらを省みると、フィルは居座らず立ち去った方が無難だろう。

 待たせておいた馬車に乗り込むと、フィルは意気揚々と帰路についた。途中、いくつか店により買い物をして屋敷へとたどり着くと、なぜかエドワードが待ち構えていた。


「おかえり、兄さん。楽しかった?」


 エドワードは笑顔なのに、圧を感じる。なんだか魔力暴走した時に似ている。馬車から降りるのを躊躇っていると、エドワードが扉のところまでやってきた。

「侯爵様と会っていたのでしょう」

「ああ、そうだ。侯爵閣下にお願いして、お前を正式な後継者に……ひっ」

 腕を引っ張られ、エドワードの方へ引き寄せられた。その勢いで杖を落としてしまい、手を伸ばそうとするがエドワードに阻まれてしまった。

「兄さんはそんなに、俺といたくないの?」

「そ、それは、その」

「ふうん、そうなんだ。兄さんはそうだったとしても俺は違うから。……やっぱり歩く練習なんかさせなきゃ良かったかな。兄さんが欲しがるから許したけど、杖もいらないよね。杖という存在を世界から消し去ればいいのかなそうすれば欲しがることもないものねえそう思わない兄さん」

 エドワードの目の焦点がだんだん合わなくなって、澱んだ色合いが増してくる。この状態がものすごく怖いのだと、フィルは身を竦ませた。このままではまずい気がすると、フィルは必死に思考を巡らせる。何か、何かなかっただろうかと辺りを見渡して、自分が抱えている小箱に気付いた。


「杖がないと、お前の好きなものを買いに行けないだろ」

 

 帰る途中、店を見かけたので購入しておいて良かったと、フィルは思った。小箱の中身は、個別に包まれた菓子である。昔、フィルがエドワードに食べさせてやったチョコレートの菓子と同じもの。

 エドワードは目を丸くした後で、フィルに尋ねた。

「これを買いに行きたかったの?」

「……ああ。その、お前、これが好きだっただろ。いつも世話になっているから」

「兄さん、ありがとう! すっごく嬉しいよ。一緒に食べよ」

 やばそうな雰囲気が消えたエドワードは、満面の笑みを浮かべた。いそいそとフィルを抱き上げたまま、屋敷へと歩いていく。

 良かったこれで誤魔化せたと体から力を抜くが、屋敷の扉が閉まる瞬間、エドワードが耳元で囁いた。


「父さんと何を話したか、詳しく教えてね。話してくれるまで、離れないから」


「ひっ」


 全然誤魔化せていないし、追求の手は緩められないことを、フィルは確信した。

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