第15話 変わらない価値観

***



 ギュンターの診察で、フィルの体調はだいぶ良くなってきていることが知らされた。これから少しずつ歩く練習をした方が良いと言われたのだ。

 右足の感覚はあるが、シュテインに食われた左足の感覚は全くない。これが食われるということかと、まじまじと自分の足を見ていると、側に控えていたロベルティナが気遣わしげに言った。

「フィル様の左足には、魔力が全く流れておりません。これは、その……」

 言いづらそうにしているので、フィルは素直に精霊に食われた事を話した。変に勘ぐられても面倒だったからだ。

「エドワード様のために、そこまでなさるなんて」

 感慨極まったような声色で、ロベルティナが胸の辺りを押さえながらフィルを見ている。なんだか勘違いされているようにも思える。隣のギュンターもまた、何やら感動しているようだった。いちいち訂正してやる必要もないため、フィルは黙ってそのまま受け流す。


「兄さん、ただいま」


 気まずい雰囲気を打ち破るように、エドワードが帰宅した。街屋敷から王立学園に通っているそうだが、それにしても帰ってくる時間が早い。

 当たり前のようにエドワードはベッドに腰掛けて、フィルに抱きついてきたので、手を突っぱねて包容を阻止した。そしてその疑問をぶつけてみると、あっさりと授業を半日で切り上げてると答えられた。

「教師の方々に許可をもらって、特別に課題を渡されてるんだよ」

「そうか。それなら……」

 良かったと言おうとして、何も良くないことに気付いた。死に戻る人生の中で、フィルは何度も王立学園に通ったのだ。だから学園がどういうものか、理解している。

 ああいった場所は、特別扱いをされる生徒に対して不満が溜まりやすい。エドワードは侯爵家の人間となったが、養子である。そう言ったことをこれみよがしに責め立てる部類の人間は存在するのだ。下手にそんな連中に絡まれてしまったら、エドワードの学園生活に暗雲が立ち込めてしまう。

 というか変に不満を溜まらせて、その怒りの矛先がフィルに来たりしたらどうしよう。


「エドワード、お前。いじめられたりしていないか、大丈夫なのか?」


「えっ?」


 エドワードは目を瞬かせてから、フィルを見た。すぐに答えられないということはまさかと、青褪める。魔力暴走事件を乗り越えたのだ。このまま殺されることなく過ごしたいと思ってしまうのは、至極当たり前の感情だった。

「兄さん、兄さん」

「シュテイン、エドワードを守ってくれ。……そうだ、今度は手の指」

「フィル!」

 強く名前を呼ばれて、体が竦んだ。いつだってエドワードから名前を呼ばれるのは、殺される時なのだ。死ぬときの痛みにも慣れたら良いのに、そう都合よくはできていないらしい。だからいつも、死ぬ時は痛くて苦しい。

「大きな声を出してごめんね、兄さん。びっくりしたよね」

 エドワードの手が、フィルの肩に触れた。体が震えるのが抑えられない。エドワードはそのままフィルの体を引き寄せると、優しく抱きしめてきた。そして落ち着くようにと背中を優しく撫でてくる。

 普通なら落ち着くだろう。でもフィルを抱きしめているのは、いつも殺してくる相手。恐怖がおさまるはずもない。

「大丈夫だよ、兄さん。いじめられたりなんかしてないから」

「……っ」

 エドワードが触れるたびに、体が跳ねるようにビクついてしまう。背中を撫でた手が、フィルのおとがいへと伸ばされる。息が詰まりそうだと、フィルは小さな悲鳴をあげた。

「こんなになるまで俺のことを心配してくれるだなんて。兄さんは優しいね」

 エドワードの青い目がフィルを覗き込んでいる。微笑んでいるのに、恐怖を感じてしまう。まるで凄まれているかのようだ。

「でもね兄さん。闇の精霊と契約し続けるのは仕方ないけど、これ以上食べさせたりしないでね」

 約束してと言われても、何かあった時にシュテインとの契約はとても便利なのだ。フィルにはまだ契約として差し出せる部位がたくさん残っているのだし。

 そんなことを考えていると、エドワードは笑顔のままもう一度やめてねと言った。


「兄さんの一部がこの世界から失われるなんて、とんでもない損失なんだよ。わかってる? これ以上、闇の精霊に俺の兄さんを取られるだなんて、耐えられそうにないんだ」


 なんだか物凄いことを言われている気がする。それでも返事をしないフィルに対し、エドワードは人影に手を置いて、シュテインを掴んだ。

 掴んだのだ。実態がないはずの影を、エドワードは掴んでいる。フィルは目の前で起きたことが信じられず、しばらく呆然としてしまった。

 現実を受け止めきれないフィルを見て、エドワードはにっこり笑いながらシュテインを影から引き摺り出した。そして床に叩きつけていル。

『主よ、これは一体』

 闇の精霊も困惑しているようだが、フィルだってどうしていいかわからない。

「え、エドワード?」

「ああ本当にどうしてお前が兄さんを食べたんだろう。大事な兄さん俺の兄さんを許せないな本当に滅ぼしてやろうかな精霊の国とか本当に全部滅ぼして俺と兄さんだけの世界を作ろうそうしよう。そこで兄さんと俺はずっと一緒に二人きりで何て楽園なんだろう。兄さんがいるだけで幸せだっていうのに俺が兄さんをひとりじめできるなんて、あははそうしよう今から兄さんと俺だけの世界を作ろうねうんそうしようそれが一番だよ兄さんねえそうでしょ兄さん」

 目の焦点があっていないし、シュテインを床に叩きつけながらぶつぶつ言っているしで、ものすごく怖い。ギュンターとロベルティナは見ているだけでエドワードを止めもしない。助けを求めて視線を向けても、無言で首を横に振られてしまった。助けなどないのかと、フィルは絶望した。

 とにかくエドワードを止めなければ。

「エド!」

「……兄さん」

 名前を呼ぶとシュテインを叩きつけるのをやめ、フィルを見てくれた。

「あ、えっと。その、契約で体の一部を渡すのはやめるようにする」

「兄さん!」

 エドワードの顔が明るくなった。この答えで正解のようだ。フィルはホッとして、更にエドワードを安心させるように言葉を続けた。

「もし動けなくなっても、お前に迷惑を掛けないようにするから! 大丈夫、左腕分がなくなったら、次は医者と相談して内臓とかにしておく……」

 ギュンターが高速で首を横に振っているのが見えて、お断りだという意思表示が見てとれた。仕方ない、別の医者に相談するしかないか。

「と、とにかく。エドワード、体調が落ち着いたら、廃嫡の手続きとかして出ていくから。その後の世話はしなくていいし、何があってもお前は気にしなくていい。十年間、面倒を見てくれただけありがたいし」

「……兄さん」

 ダメ押しで今後のことも話しておいた。これでエドワードはフィルを気にすることもないだろう。あとは影からエドワードが平穏に暮らせるように見守っておけば、もう殺されることはないはずだ。

『……主よ、我がいう事ではないが。それは難しいと思うぞ』

 それはまた殺される危険性があるとでも言いたいのだろうか。でもエドワードだって、いつまでもフィルの世話をしていたくないだろう。たった一度、魔力暴走を助けただけなのに。いつまでも後継者として存在し続ければ、邪魔に思うに違いない。

 フィルはエドワードが義理堅く情に厚い性格の持ち主だと知っている。そしてお人好し。だからこそ、自分のせいで怪我をしたフィルを見捨てられないだけのだろう。

 そう、フィルは思っているのだ。


「わかったよ、兄さん」


 わかってくれたかと、フィルは表情を緩めた。しかしなんだかエドワードの様子がおかしい気がする。いやエドワードだけじゃない。ギュンターとロベルティナも固い表情を浮かべていた。あとただの影でしかないシュテインも、同じような顔をしている気がする。一体どうしたのだろうか。


「兄さんが、何もわかってくれていないことが、よくわかった」


「へっ?」

 エドワードはシュテインから手を離すと、再びフィルを抱きしめた。しかも今度は体を引き寄せて、膝の上にまで乗せる始末だ。いや流石にこれはおかしいと抵抗するが、エドワードの腕から逃げ出せない。

 エドワードはフィルの記憶にある通りの、鍛えられた立派な青年へと成長している最中だった。反してフィルは、十年もの間眠り続けていたせいで、発育不良である。さすがに七歳の子供の姿とは違うし、身長だって伸びてはいるものの、体格の差は歴然だった。

「兄さんがわかってくれるように、これからは毎日もっとお世話をしてあげるね」

「えっ」

「きっと言葉だけじゃ足りない。行動で示さなきゃね。そうしたらきっと、わかってくれるかなぁ」

「な、何を」

「その何かを」

 手始めに風呂に入れてあげると、エドワードはフィルを抱きあげて立ち上がった。急に高くなった視界に、思わずエドワードにしがみつく。するとなぜか機嫌を良くしたらしい。もしかしてフィルが怖がったりしているのを楽しんでいるのではないかと、顔を引き攣らせてしまう。

「お風呂だけじゃないよ。着替えも下の世話も食事をとるのも、全部ぜーんぶ俺がやってあげるからね、兄さん」

 フィルは思わず悲鳴を上げた。けれども残念ながら。いやわかっていたことだけれども。フィルを助けてくれるような人間は、現れたりしなかった。


「兄さんを助けるのは、俺だもの。ね、何かあったら、俺を呼んでね。絶対だよ」


 いろいろとお世話をされて、許容量が超えてしまいぐったりとしていると、エドワードがフィルの手を取って言ったのだ。そしてその指先にエドワードの唇が触れた。

 いきなり何をするんだと振り払っても良かったが、エドワードがまるで祈っているかのように見えて、フィルは口をつぐみ好きにさせることしかできなかった。

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