第14話 分かり合えない

 フィルが目を覚まし、そしてすぐに意識を失ってから数日ほど経った。

 その間ずっとエドワードはフィルのそばにいて、やたらと世話を焼いていた。フィルのことを兄さんと呼んでは、にこにこと笑っている。死に戻った人生の中で一度たりともエドワードから、兄さんなんて言われたことないのに。すごく怖い。

「どうしたの、兄さん。どこか具合悪い?」

「……い、いや、大丈夫」

「そう、無理をしちゃだめだよ。もう少しご飯が食べれるようになって、体調が安定したら部屋から出ても良いって、ギュンターが言ってたよ」

「そうか」

 家の中を案内してあげるねと、エドワードは嬉しそうに言った。

 話を聞く限り、フィルがいるこの屋敷は、ブラッドリー家所有のもので間違いないらしい。しかし場所はフィルが生まれ育った領地の屋敷ではなく、王都にある街屋敷らしかった。なんでもエドワードが王立学園に通うため、新しく購入したらしい。

 フィルの時は通いたいと言っても許可がもらえず、学園の寮に入れられたというのに。扱いの差がエグいなとフィルは思った。

「ブラッドリー侯爵子息の屋敷だから、それなりの場所じゃないとって」

「……なるほど」

「侯爵様が兄さんの好きにして良いって言ってたよ。もう少し元気になったら、家具とか揃え直すのも良いかも」

「なんでだ?」

 どうしてエドワードの屋敷なのに、フィルが好きにして良いのだろうか。意味がわからず首を傾げると、エドワードもまた首を傾げていた。

「なんでって、兄さんの屋敷だからじゃないか」

「えっ、俺の屋敷?」

 困惑するフィルに、エドワードの顔は青褪めた。

「まさか兄さん、記憶が? 自分がブラッドリー侯爵の子供だって忘れちゃったの?」

「い、いや、忘れてはいないが。……その、俺はまだ、侯爵の子供なのか」

 十年も目を覚さないとなると、廃嫡してエドワードを養子にして後継者にしているとばかり。困惑するフィルの両腕を掴んだエドワードが、誰かに何か言われたのかと問うた。先程までと同じ笑顔なのに、なんだかすごく寒気がする。

「……誰かに何か言われたの?」

「だ、誰って、別に」

「兄さんが侯爵の子供じゃないとか、廃嫡させるとか。そういうことを言う輩がこの屋敷にいるのか?」

 エドワードの青い瞳が、澱んでいるように見えて、フィルは体をビクつかせた。普段の好青年の姿とはかけ離れた、復讐に燃えていた時のエドワードと重なって見えてしまったからだ。

「あ、ごめんね兄さん。兄さんに怒っているわけじゃないんだ。兄さんはちゃんと侯爵様の子供だから、安心してね」

 それは何ひとつ安心できない事態である。フィルは侯爵の地位に執着しているわけではないが、人に渡すのは少し面白くない。だが殺されるよりはマシだからと、エドワードが後継者になれるように、簡単に廃嫡してもらえるように、十年も眠ったというのに。

「お父様は、なんて言ってるんだ」

「目が覚めてよかったって」

「いやいや、そんな馬鹿な。嘘はいい。お父様がそんなことを言うわけがないじゃないか。大丈夫だから本当のことを言ってくれ。俺は廃嫡されてるんだよな? 流石に十年も目を覚さない息子を後継者にしたままって、あり得ないだろう!?」

「落ち着いて、兄さん」

「これが落ち着いていられるか。い、今すぐ、お父様に手紙で廃嫡を申し出るから」

 さすがにフィルから言い出せば、臣下がエドワードを後継者にとか言って反乱を起こしたりしないだろう。エドワードに殺されるのも嫌だが、処刑もまた嫌だった。

「兄さん、どうしてそんなことを言うの」

「どうしても何も、俺はブラッドリー家の後継者に相応しくないだろ。寝たきりの当主なんて、誰も認めやしない」

「そんなこと……」

「そんなことあるんだ! 早く、早くしないと……。そうだ、エドワード。お前はもう十五歳になったのだろう。なら学園に通っているんだな。ちゃんと後継者として周囲に知らしめなきゃ、虐められてしまうんじゃないか!?」

 なんてことだと頭を抱えるフィルに、エドワードは落ち着くようにと諌めた。しかし落ち着けるわけがない。フィルが学園に通っていた時は、愛人の子供だと馬鹿にするような連中が在籍していた。確かそういった嘲笑もまた、エドワードがフィルを憎む要因の一つだったはず。

 そこでフィルはふと気が付いた。プリシラはどうなったのだろうか。てっきり父は母と離婚して、プリシラと再婚すると思っていたのに。それをエドワードに尋ねると、再婚はしていないとはっきりと言われてしまった。

「なんで!?」

「なんでって。……えっと、侯爵様とヴァレッサ様は離婚してないよ」

「なんで!!??」

 さらに大声を出してしまい、フィルは酸欠気味になってベッドへと崩れ落ちた。まだ体力が戻っていないため、ちょっとしたことで目眩がする。エドワードが慌ててフィルの体を横たえた。

「兄さん、深呼吸してね。ギュンター呼んでくるから」

「い、いい。……それより、お母様は離婚して……ないのか」

「うん、してないよ」

「じゃ、じゃあ、お前は」

「ヴァレッサ様が養子にしてくれた」

「…………??」

 ますますわからない。なんでそうなったんだと、フィルは混乱の極みに陥った。

「お母様に何かあったのか。そんなことを言い出すなんて、妖精か何かに、呪いでも掛けられたのか?」

「えっと、ヴァレッサ様は呪われてないと思うけど」

 あんなにエドワードを害虫と呼んで毛嫌いしていたのに、いったい何がどうした。両親の間に何が起きたのだろうか。

「俺がいなければ、お母様は実家に帰って再婚するかと……。寄付金を積んで治癒院送りにすると思ってたのに、どうして」

 わからないことばかりで、フィルは意識が遠退きそうになった。

「兄さん!?」

『主よ、気をしっかり持て』

 エドワードの叫び声と共に、シュテインの励ます声が聞こえてきたが、フィルはやっぱりもう無理だと意識を手放した。



***



 十年ぶりに息子が目覚めたという知らせを聞いて、ブラッドリー侯爵夫妻は久しぶりに顔を合わせ、街屋敷へと訪れた。会ったらなんて声をかけようかと思っていたところに、廊下にまで響いてきたフィルとエドワードの話し声を聞いて、夫妻は互いに暗い顔となった。


 十年ぶりに己の罪とやらを突きつけられた気がしたからだ。


 ライオネルは、フィルが「お父様がそんなことを言うわけがない」と断言した時点で、目を見開いた。そして廃嫡させるのが当たり前だと思われているらしい事実に、心のダメージが蓄積されていく。

 プリシラに夢中だった頃のライオネルならば、確かにそうしただろう。あの頃のライオネルは、ヴァレッサとフィルが邪魔で仕方なかったのだ。フィルさえ生まれていなければ、ヴァレッサと離婚してプリシラを妻にできるのにとまで考えていた。


 今更、恥じたところで、己の屑な思考は覆せない。


 それだけ、身勝手に振る舞っていたということなのだ。そしてその身勝手さで、七歳の子供を傷付けた。なんてことをしてしまったんだと、フィルが大怪我をしたあの日にした後悔をもう一度した。

 本当なら少しは、感動の再会とやらを期待していたのは嘘じゃない。だってあれほど、お父様と言ってライオネルに纏わり付いてきたのだ。プリシラからフィルは父親の愛情を諦めていると言われても、実際に見聞したわけではないため、どこか信じていなかった。けれど先程のエドワードとの会話で実感した。

 フィルはもう、ライオネルの子供でいることが嫌なのだ。むしろ恐怖でしかないらしい。ライオネルだけではない。フィルの言動から察するに、ブラッドリー家の家臣たちも信用していないようだ。どうしてと疑問に思ったが、しかしそれはすぐに思い当たった。

 ライオネルはエドワードを連れ鍛錬場へ赴いたことが何度かある。だがフィルを連れて行ったことは皆無だ。それだけでも、フィルからしたら面白くないだろう。今ならわかる。でも当時のライオネルは分からなかった。

 だからフィルが、エドワードが騎士から貰った玩具の剣を取り上げて、振り回して壊したことを、ただ意地が悪い子供の行動だとしか思っていなかった。あれはライオネルに対する抗議だったのに、気付けなかったのだ。そしてそれを見ていた他の者も、フィルに配慮してやることができないでいた。

 だからもう、フィルは父親というものを信用していないのだ。その事実を再度突きつけられ、ライオネルはその場に崩れ落ちたのだった。


 一方、傍にいたヴァレッサは、エドワードを養子にしたことで、フィルが蔑ろにされていると思ったらどうしようかと心配していた。しかしフィルからの言葉は、呪いにでもかかったのかというもので。

 幼い子供の前で、自分がプリシラとエドワードにしていた仕打ちを思い出し、血の気が引いた。しかも腹を痛めて産んだ我が子が、自分がいなければ再婚しているはずだという言葉に、気を失いそうになった。

 ヴァレッサなりにフィルのことを愛していたし、大事にもしているつもりだったのに。邪魔になったらあっさり捨てるくらいに思われていたなんてと、もはや立っていられなくなってしまう。

 ヴァレッサもまた、ライオネルと同じように、その場に崩れ落ちて、己の行動を後悔した。


「お二方、フィル様はお疲れですので、少し休ませます。お会いになるのでしたら、時間をあけていただきたい」


 部屋の前にいた医師ギュンターに促され、ブラッドリー夫妻はよろよろと立ち上がると、その場から去った。蔑ろにしたせいで、自分たちは子供から切り捨てられたのだなと、自覚しながら。


「なんてことなの」


 ヴァレッサの呟きに、ライオネルは答えられなかった。なぜならば彼女と同じ心境だったからだ。

 フィルが大怪我をしたあの日、ライオネルは自身の行動を恥じた。そしてプリシラや使用人たちからエドワードとフィルの事を聞いて、どれだけ自分たちが子供を傷付けていたのかを知った。

 プリシラは屋敷を出ていくと言い、ヴァレッサに謝罪をし。ヴァレッサはひとしきり泣いた後で、離婚して欲しいと願い出た。どちらも子供は自分たちで育てるからと言って、もはやライオネルに何も期待していない様子だった。

 闇の精霊からの問いに答えられず、ショックを受けていたライオネルは、二人の申し出を受け入れるべきだと思った。しかしそうなると、二人の子供の将来が潰れてしまう危険性があった。

 大怪我をして眠り続ける正妻の子。魔力暴走を引き起こした愛人の子。離れて暮らさせると、碌でもないことを吹き込む連中が現れるだろう。そして拗れてしまっては、せっかく子供が守ろうとしたものが、壊れてしまうに違いない。

 成人するまでは、ブラッドリー侯爵家に止まった方が良い。エドワードに関しても、後見人になる事を申し出た。

 そうして、いがみ合っていた者同士が初めて子供のために話し合った結果。

 ヴァレッサとは離婚せず、エドワードはブラッドリー家の養子となった。しかしヴァレッサもプリシラも、ブラッドリー家の屋敷からは出ていくこととなったのだ。ライオネルにそれを引き止めることはできない。

 子供達はライオネルが養育し、世話をするのは、ヴァレッサとプリシラとしたのだ。歪な関係だが、それでも十年続けてきた関係だ。フィルがいなければ、もっとずっといがみ合い続けていたに違いない。

 あの子の行動が起こした奇跡というものだろう。だがそれを伝えても、きっとフィルは迷惑がるだろうなと、ライオネルは思った。


 最初から関係性は壊れていたのだから、元通りになるはずなんてない。


 だがしかし、親としての矜持として、彼が不自由しないようにしようと思った。それが、せめてもの、償いの形だったのだ。

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