第13話 死ぬより怖い
***
精霊の国とは、フィルが住むエルバル王国とは別の世界にあるとされる。
昔の文献から読み解くと、魂の行き着く場所だとも。たどり着くには、人間は肉体を捨て去る以外方法はないと記されている。
実際に来てみると、確かに死者の世界かもしれないと、フィルは思った。
何もない、ぼんやりとした空間に意識が浮かんでいるだけの状態だ。普通の人間なら、少しの時間で意識が拡散し、空間に溶けてしまうだろう。フィルはぼんやりと意識を漂わせながら思った。
『……主よ、戻ったぞ』
すぐ近くにシュテインの気配がした。姿形は見えないが、そこにいるということがわかる。
「上手くいっていたか?」
『うむ。義弟殿は眠りにつき、暴走は治っていた。それから、主の体の方も無事だ。契約の報酬ももらったぞ』
「そうか、ならあとはもうしばらくしたら、だな」
『……ふむ』
フィルとしては、エドワードが魔力暴走を引き起こすのは、一応想定内だった。なにせあのエドワードなのだ。来ると思っていた方が間違いがない。その上で、プリシラに怪我を負わすわけにはいかない。
だからこそ、闇の精霊と契約したというものだ。
闇の精霊の特性である安寧と眠り。彼らがもたらす眠りは深く安らかなものだ。つまり眠りながら死の淵へと誘われる。
フィルがもっと成長し、魔力量などが増えればその魔法も自由に扱えるだろうが、しかしまだ七歳の子供。精神的に成熟していようとも、一日くらいではどうにもならない。だから左足を差し出して、シュテインに頼んだのだ。
フィルの魔力と代償を差し出しての眠りの魔法は、威力を高めるために至近距離で無差別に作用するものしか使えない。だからシュテインに頼んで、エドワードと二人、わざわざ影の中に引き摺り込んでもらったのだ。
深い眠りについたとしても、フィルの魔力では死ぬことはない。エドワードはせいぜい一日ほど眠るくらいだろう。それで十分だった。
『しかし主よ。眠りに落ちる時、我に魂と体を引き離せと言ってきたのは、どうしてだ』
「俺が起きてたら、お父様から吊し上げをくらいそうだから」
エドワードを眠らせた方法を問い詰められるだろうし、説明したって裏を勘繰られる。とても面倒くさい。
「あと怪我して痛くて動けないのはやだ」
魔力の衝撃波を何度も何度も受けたのだ。絶対に内臓とか骨とかに損傷がある。治癒魔法士が呼ばれたって、痛いものは痛い。それだけでも嫌なのに、加えて父からの突き上げは受けたくなかった。
「それに寝てれば、勝手に廃嫡にしてくれそうだし」
『廃嫡とな? 主はあの家の嫡男ではなかったのか』
「そうだけど。それだと色々と都合が悪いんだよ」
フィルはどうやって穏便に、ブラッドリー侯爵家の後継者から降りようかずっと考えていたのだ。自分には無理だと言ったところで断れはしない。
どんなに無能であっても、フィルはエルバル王国の法律上、正当な後継者であった。例えばフィルが若くして死んだとしても、エドワードは庶子なので侯爵家を継げない。遠縁の親戚が継ぐことになる。だから臣下の連中が、エドワードを後継者にすべく反乱を起こしたのだけれど。
フィルはもうそういうゴタゴタに疲れた。何をしたってエドワードが持ち上げられるし、エドワードが侯爵家の後継者ならと言われ続けて、嫌気がさしているのだ。
だから今回のエドワードの魔力暴走で、それを口実に後継を辞するつもりだったのである。
「お父様は俺のことが嫌いだし、お母様ごと追い出したがっていたからな。眠ったまま目を覚さないだなんて、手っ取り早い口実ができたって喜ぶに違いない」
嬉々としてプリシラと再婚していそうだとフィルは思っている。
『…………』
「お母様はあれでも体面を気にするから、大怪我をして目覚めない息子を見殺しにしたりはしないだろうし。多分、治療院とかに寄付金を積んで預けてくれると思う」
母に見捨てられていても、フィルはブラッドリー家の血が入っているから、やっぱり治療院行きだろうなと思う。誕生パーティ参加者がいる前で大怪我を負ったのだ。あれだけの人間が目撃していて、何事もなかったは無理がある。
エドワードあたりが、ちょっとだけ罪悪感を抱いて、フィルのことを庇ってくれたらなお良い。そうなれば復讐対象からは、多分外れるんじゃないかなと思わなくもない。
なぜ曖昧かといえば、七歳の誕生日前。死に戻る時点より前は普通に虐めていたので、そこを根に持たれていたらどうにもならないからだ。あとは闇の妖精だって嘘をついたとかキレ散らかされたら、言い訳のしようがない。
「……まああとは、目覚めてから考えるか」
七歳の誕生日を、エドワードのためだけにひたすら駆け回ったのだ。少しは休憩したかった。
『しかし魂だけを精霊の国へとは、なかなかに豪胆だな、主よ。人間は肉体があっては、この国には入れぬ。よく知っていたな』
伊達に何度も死に戻っているわけではない。蓄積された知識量はそれなりだ。
『しかし本当に死んだらどうするつもりだ』
「本当に死ねるのならな」
目を覚ましてまた七歳の誕生日であったのなら、絶望しかない。新たな方法を考えるだけである。
『主がこの世界にとどまる間の庇護を含めての左足。そして死んだ後に喰らう権利。ふむ、少し考えてみたが、これは少しもらい過ぎな気がする』
「そうか?」
『契約とは対等に結ぶもの。その道理に反するわけにはいかぬ』
随分と律儀だなとフィルは思った。
『主が死ぬまでの間、使役されようぞ。我のみが扱える魔法の使用に関しては、その都度払いで良い』
なかなかに良い話だ。裏があると思いたくもないが。裏切られた時は、その時はその時かとフィルは思った。精霊に裏切られるのにも、慣れている。
「そうか、じゃあ目が覚めたら頼む」
『承知した。……して、主よ』
これからどうするのだとシュテインが尋ねてきた。どうするも何も、状況を見計らって目覚めるだけである。
『ふむ、だがこの精霊の国と、主の住む世界とでは時間の流れが違うぞ』
「それくらいわかっているさ。だいたい十年くらい経ったか? そろそろ起きよう。頼んだぞ、シュテイン」
『主は本当に博識であられるな』
***
シュテインに引き上げられるように意識が引っ張られた。真っ暗な闇しかない世界が、ほんの少しだけ明るくなる。
瞼が震え、フィルはゆっくりと目を開けた。
「……うぅ……っ」
目に入る光が眩しい。
何度か瞬きをした後で、フィルの視界に入ったのは見慣れない光景だった。明らかに子供の頃に使っていた自分の部屋ではない。そして死に戻る人生の中で、成人してから使っていた部屋でもなかった。
では治療院の一室だろうかと、フィルが目だけを動かして周囲を見渡した時だった。
不意に、青い瞳と目が合った。金色の髪を持つ端麗な顔立ちの青年。忘れたくとも忘れられないその顔に、フィルは喉の奥を引き攣らせながら名前を呼んだ。
「……え……ど……」
「……っ! 兄さん、俺がわかるの! 兄さん、目を覚ましたんだね、兄さん!!」
「ぐえっ」
青年になったエドワードが、フィルに勢いよく抱きついてきた。ぎゅうぎゅうと抱きついてきて、苦しい。というかフィルは、十年ぶりに目を覚ましたばかり。こんな激しく体を揺すられたりしたら、とても気持ちが悪い。頭がくらくらとして、意識が遠くなる。
「えっ、兄さん。そんな、兄さんってば。兄さん!!」
耳元で叫ぶなと言いたかったが、フィルの顔は蒼白になり体には力が入らない。とにかく安静にさせて欲しい。しかしそんなフィルの願いは虚しく、エドワードはフィルを抱きしめたまま、大声で医者を呼んだ。
「大丈夫だよ、兄さん。ちゃんとした医者を雇っているからね。安心してね、兄さん」
フィルの手を握りながら、エドワードが真剣な表情で言ってくるが、何がどうしたと混乱しかない。そもそもブラッドリー家にいる医者は、ちゃんとしたまともな人間ばかりだろうに。
「……失礼します! エドワード様!! 今、フィル様が目覚めたと……っ!」
「そうなんだ。兄さんが僕の名前を呼んでくれて……。早く、兄さんの状態を見てくれ」
「わかりました」
そう言って、フィルの視界に入り込んできたのは、王国一と言われた魔法医ギュンターではなかろうか。老齢に差し掛かる年齢だが、その肉体は逞ましく衰えていない。戦う魔法医とかなんとか二つ名がついていて、エドワードの復讐に手を貸していた人物だった。
フィルとしては、あまり良い思い出がない。なにせエドワードが復讐心を燃やし、フィルを殺そうとする場面に必ずいる人間だったからだ。確か記憶が正しければ、彼は妻子を魔物に殺されていた。その魔物の討伐をブラッドリー家が怠ったとして、フィルに恨みを抱いていた。そんな人間がどうして。
「フィル様、私の声が聞こえますかな? こちらが見えますか?」
「……ひっ」
思わず悲鳴をあげそうになったのは、仕方ないと思う。何度目かの時、処刑前にギュンターに毒をもられ、もがき苦しんでいるのを、何の感慨も浮かばない目で見下ろされたことがあるのだ。あれはトラウマである。
「フィル様、ゆっくりと息を吸って、それから吐いてください」
ギュンターの呼びかけに、早くなる呼吸をなんとか落ち着かせようとしていると、新たに部屋に入ってくる者たちがいた。特徴的な法衣を纏っていて、一目で治癒魔法士だとわかる姿だった。
「エドワード様、フィル様がお目覚めだと聞きました。ギュンター卿、状態は」
「呼吸が早く乱れておる」
「フィル様、失礼致します」
そう言ってフィルの手に触れた治癒魔法士を見て、再び息が詰まった。薄い水色の髪をサイドで結っている女性は、聖女ロベルティナではないか。治癒魔法を使いこなし、数多くの人々を救い、聖女と呼ばれるほどになった女性。この人物もまた、フィルがエドワードに殺される時に必ずいた。
確か治癒魔法士の仲間が魔物に襲われて死んだのだが、その原因がヴァレッサにあり、息子のフィルを快く思っていなかったとかなんとか。エドワードとは関係のないところで、魔物の討伐に出て怪我を負った時、ロベルティナに治療を断られたことがあった。傷は壊死して、フィルは苦しさと痛みを思い出して震えた。
すでに二人。フィルが殺される時にいる人間がそばにいるという事実に、あっさりと精神は限界を迎えた。
「そんな、兄さん、兄さん!!」
エドワードの叫び声が、、部屋に響いた。
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