第12話 暗闇でなくとも見えない

「シュテイン!」

『承知した』


 シュテインの影がフィルの足元からスルスルと伸びる。エドワードの前まで達すると、フィルを抱えて影の中へと潜った。

 闇の精霊は影の中をどこにでも移動することができるのだ。そして闇の精霊と契約しているフィルも、魔力をだいぶ消費するものの同じことができる。とはいえ、その魔力が関係してくるので、子供のフィルでは本当に短距離しかできない。そうちょうど、フィルとエドワードの距離くらい。

「……ぐっ」

 影から出ると、異様な魔力の圧がフィルを襲った。体がバラバラになりそうなほどに、痛い。プリシラは確かこのエドワードから全力の魔力放出をうけて、魔力器官がズタズタになった。魔力は精神的なものに依存するため、肉体的にも精神的にも大ダメージだったのだろう。

「おい、エドワード! 自分の中の魔力を抑えろ! お前のお母様ですら傷付けるのがわからないのか!!」

「わるいやつきらいきえちゃえ!!」

 虚空を見つめていたエドワードの青い目が、フィルを見据えた。縦に伸びた瞳孔で睨まれた瞬間、ドンという強い衝撃がフィルを襲う。

「がはっ……っ」

 魔力の塊をただぶつけてきただけだろうが、とんでもなく痛いし苦しい。内臓が押し潰されるかと思った。まあ本当に内臓が押し潰される痛みよりはマシだなと、フィルはなんとか耐えた。なにせ死に戻る人生で処刑されたことは両手の指では足りないくらいなのだ。処刑の前に拷問されることだって、それくらいあったりする。たいてい、己が正義だと思っている連中は、悪役に容赦がないのだから。

「エドワード!!」

「やだやだきらいきらいなの! ここはだいっきらい!! ……ここじゃないとこに行きたい」

 先程よりも強い衝撃がフィルを襲う。吹き飛ばされるほどの衝撃で、フィルの結んでいた髪ははらりと解け、衣服と体がボロボロになったのがわかった。

 痛みで意識が遠退きそうになるが、フィルは必死に堪えるとエドワードに抱き付いた。

 エドワードの言葉に、そういえば噴水のところで妖精に願ったのも、別の場所に行きたいことだったなと思い出す。人懐こいくせに、人が嫌いなのだろうか。魔物を率いてきたこともあったし、根本的にはそうなのかもしれないと、フィルはエドワードの性格を分析する。


「……でも、妖精が連れて行ったあの島じゃ、人間は生きていけない」


「あっ……」


 エドワードの目が、フィルを見上げた。竜のように縦に伸びた瞳孔が、スッと人間のものへと変化する。青い瞳の中に、今度はフィルの姿がちゃんと写っていた。

「妖精……さん?」


 ほんの一瞬、エドワードの魔力が弱くなった。意識が逸れたせいだろう。この隙を逃すわけにはいかない。フィルは心の中でシュテインの名前を強く呼ぶ。

『我の闇へその身を沈めるがよい。深き眠りへ誘おうぞ』

 フィルの足元の影から飛び出したシュテインは、体を大きく広げ、フィルとエドワードごと影の中へと飲み込んだのだ。


 一瞬で視界が奪われる。


 音も光もない、永遠たる、心の安寧が訪れる場所。

 感じるのは触れ合っている互いの体温と、それから心臓の音。

『闇よりも深い眠りにつくとよい』

 急激に眠気が襲ってきて、フィルは意識を手放した。眠りに落ちる寸前、エドワードがフィルに縋り付いたような気もしたが。


 全て真っ黒に塗りつぶされて、わかるものなどいなかった。



***



 ライオネル・ブラッドリーは、所用で近隣の街へと出掛けていた。その用事というものが、魔物が出たため助けて欲しいという街の住人からの嘆願で、侯爵家の兵を出して対応しなければならなかったからだ。討伐はあっという間に終わったが、街の長に引き止められてしまった。

 子供への祝いの品だからと、美辞麗句を並べた賄賂の品を納めてほしいと言ってきたのだ。こういったところから、政というものは腐っていくのではないのか。

 父である前ブラッドリー侯爵は、金と権力に塗れた俗物的な人間であった。そんな父を嫌ったライオネルは、剣の腕を磨き、王国一の騎士として申し分ない名声を手に入れた。魔物を討伐し平和を維持するために戦う生活を続けていきたかったが、ライオネルの出自がそれを許してはくれなかった。

 父はライオネルに家督を譲ると宣言し、婚約者まで用意していたのだ。外堀を埋められて、押しつけられた縁談を断ることができないまま、ライオネルは、伯爵令嬢のヴァレッサを妻に迎えた。

 彼女は貴族らしい娘で、ライオネルの子供を産むことに固執していた。だから仕方なく、これも貴族の家に生まれた宿命だと、本当に仕方なく義務で子供を作り。自分の本当の居場所は、魔物と戦っている戦場であると思いながら日々を過ごしていた。


 けれどもある日、ライオネルは運命の出会いをしたのだ。


 王立学園で後輩であった、才女プリシラと再会し、話をしているうちに、だんだんと親しくなっていき、ついには男女の仲へと発展した。プリシラとの会話は、ヴァレッサの貴族同士の腹の探り合いのようなつまらないものじゃない。心温まる日々の雑事を、楽しそうに話してくれる。

 きっと彼女となら、温かい家庭が築けると、ライオネルが憧れて手に入らなかった、幸せな家庭が築けると、そう思ったのに。


「旦那様! エドワード様とフィル様が……っ!」


 屋敷へと帰る途中で、血相を変えた執事がやってきて、惨状を伝えてきたのだ。

 エドワードが魔力暴走を引き起こし、それにフィルが巻き込まれたと。普段からヴァレッサの子供であるフィルは、エドワードを虐めていた。やめるように諌めても、言うことを聞かない。きっと、性根が腐っているのだろう。あれはダメだ。

 ライオネルはすでにフィルに見切りをつけていた。


「ああ、どうして私の子が!! フィル、目を覚ましてちょうだい、フィル!!」


 半狂乱になった妻の声が、廊下にまで響いてくる。状況を聞く限り、馬鹿な子供の自業自得だとしか思えない。むしろこんな事態に巻き込まれたプリシラとエドワードは大丈夫なのかと、心配になった。

 フィルに会うことなく別邸へと向かうと、ベッドに寝かされたエドワードを見守るように、プリシラが椅子に座っていた。ライオネルが部屋に入ると、憔悴しきっている様子だった。

「大丈夫か、プリシラ」

「……ライオネル様」

「酷い目にあったな。エドワードも君も、無事で良かった」

 ライオネルの言葉に、プリシラからの反応はない。

 無理もない、自分の子供が魔力を暴走させ死にかけたのだ。ショックはどれほどのものかと、プリシラを気遣う。側へ行き肩を抱くと、プリシラはライオネルを見上げて言った。

「……それだけですか?」

「それだけ、とは。ああ、フィルには後で厳しく言っておこう。もう二度と私の大事な人に近付くなと……」

「あなた、自分の子供が死にかけているのに、顔すら見ずにこちらへ来たのですか!?」

 一際大きな声で、プリシラがライオネルへ詰め寄った。何が起きたのかわからないでいるライオネルを見て、プリシラは表情を失った。そして引き攣ったように笑うと、震える両手で顔を覆ってしまう。

「ふふ……、ふふっ。なんて、なんて馬鹿だったんでしょう。憧れの人に見初められたからって浮かれて、子供まで産んで……。本当に馬鹿だわ」

「プリシラ?」

「ライオネル・ブラッドリー侯爵閣下。私たち親子はフィル様のおかげで無事ですわ。だからお気遣いはもう結構。せめて今夜くらいは、ご子息のそばに……」

 ライオネルを優しく受け入れてくれるプリシラは、もうそこにはいなかった。何か誤解が生じたのではないかと思ったライオネルは話をしようとしたが、プリシラはもう話すことはないと拒んだ。

 これは一度、プリシラの言う通りフィルの様子を見に行くしかないのかもしれない。面倒だと思いながらも、ライオネルは久しぶりに息子の部屋へと向かった。先程、ヴァレッサが叫んでいたから、絶対に絡まれるだろう。

「フィル! ねえお願いよ、フィル……!」

「奥様、落ち着いてくださいませ」

「ああ、そんな、……そんな」

 部屋では泣き崩れるヴァレッサと、それを支える使用人。それから。

「包帯の替えを、早く……」

「治癒魔法士の代わりの人員を」

「突き刺さっている破片を抜くぞ」

「出血が……」

 ベッドの周りを、医者や治癒魔法士と呼ばれる者たちがぐるりと取り囲んでいて、フィルの姿は見えなかった。大怪我をしたとは聞いたが、まさかこんな状態だったとはと、ライオネルは目を見開く。大袈裟に言っているだけかと、そう思っていたのに。

「執事、なぜフィルだけがこんな大怪我を……」

「先程も申し上げました通り、フィル様はエドワード様の魔力暴走を止めようと尽力なさったのでございます。エドワード様の魔力は、……旦那様より強大なものやもしれませぬ」

 エドワードの才能には気付いていた。身体能力も高く魔力も強い。だがそこまでとはと驚く。それと同時に、才能がないとは言えないがエドワードよりは劣っているフィルが、どうやって魔力暴走を止めたのだと疑問が湧いた。

 暴走している者の魔力制御を奪う必要があるそれは、高等技術だ。熟練の魔導士でなくては難しい。まだ子供のフィルにできるわけがない。一体どうやってと怪訝に思ったその時、ライオネルは異変に気付いた。

 隣で話をしていた執事が、ゆっくりと床に膝をついたのだ。

「……おい?」

 しゃがみ込むようにして、周囲の者たちも床へと体を伏せていく。魔法の類の気配などなかったはずだと、ライオネルは腰の剣に手をかけて警戒した。

『これでも眠らぬ者がいるのか。まあ致し方ない』

 どこからともなく聞こえてきた声の主へ、ライオネルは剣を向けようとした。が、体が動かないことに気がついた。

「なん……っ!?」

『ほう、話すこともできるとは。安心するが良い、お前たちに危害は加えぬ』

 窓から月明かりが差し込み、部屋に影ができる。その影がぞろりと動いて、ベッドの足元まで伸びてきた。

 闇の精霊だ。でもなぜここに現れたのだろうか。

「何をする気だ」

『何を、とは。契約を履行しにきただけぞ』

「……契約?」

 闇の精霊はライオネルのもとまでやってくる。そして、そこの子供と契約したのだと言った。

『今日一日の使役。それから我らが使う、眠りへの誘う魔法の使用。その対価を貰いにきた』

 エドワードの魔力暴走を抑えたのは、闇の精霊のようだ。しかしフィルは、一体どうやって闇の精霊と契約など結んだのだろうか。もしや何も知らぬまま、契約をしてしまったのかもしれない。

『……我はきちんと説明をした。主も納得して差し出した。其方の子供は聡明ぞ』

 にわかには信じられなかった。

 ライオネルの知っているフィルは、いつだって我儘ばかり。使用人にも当たり散らしていて、碌な大人になりはしないだろうと呆れるほど。

『まあ、どうせいらぬ子なのだろう。我が貰って食っても問題なかろう』

「……っ、な、なんだと」

『この子供は、今日が生まれ落ちた日なのだろう。人間は、生まれると、祝いをするのだろう。でも誰も、子供の誕生を祝っておらぬぞ』

 ライオネルの脳裏に、屋敷へ戻る前に話した街の長の姿が浮かんだ。彼は子供の誕生祝いだと言って品物を渡してきたが、どれもエドワードの好みではないものばかりで、ライオネルは眉間に皺を寄せただけだったが。

 あれはもしかしなくとも、フィルへの贈り物なのか。そんなまさか。

『人間はまこと不可思議。いらぬものでも誰かに取られそうになると、惜しくなる。難儀なことよの』

 闇の精霊は影を伸ばし、ライオネルの胸元へ指先を立てた。


『どれ。お前、あの子供の好物をひとつで良いから言ってみるといい。いらぬものでないのなら、わかるだろう?』


 フィルの好きなもの。ライオネルは必死に記憶を探るが、思い出すのはプリシラとエドワードとの温かな食事風景ばかり。たまに廊下で、フィルが騒いでいる声を聞いたくらいだろうか。我儘がひどいとの報告に、ヴァレッサに注意しろとは言った。

 本邸にいるときフィルに見つかると、お父様と言ってまとわり付いてくるから、相手をするのが鬱陶しくて。


 ライオネルはそこで気付いた。


 どんなに思い出そうとも、何もわからないことに。我儘とはどんな我儘を言ったのだ。何が嫌いで騒いだのだ。それからあの子は、いくつになった。

 医師や治癒魔法士が床で倒れているため、ベッドに横たわるフィルが見えた。けれども子供は全身に血に濡れた包帯を巻いていて、顔がわからない。

 腹の奥底から何かが込み上げてきて、ライオネルは堪らず口元を押さえたのだった。

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