第11話 死合わせな誕生日

 大広間へと案内されると、そこにはヴァレッサの取り巻きたちが集まっていて、プリシラを好奇の目で見つめている。これからどう痛めつけてやろうかという、獲物を待つ獣のような目だった。そんな大人たちの中に一人、豪華な椅子に座らされたフィルがいた。

 彼の傍に置かれたテーブルには、大きなケーキやご馳走が並んでいる。隣にヴァレッサが座っているものの、彼女の視線はプリシラに注がれていて、フィルには向けられていなかった。

「よくもまあ、顔を出せたものね。下賤な方は、恥という言葉を知らないのかもしれないわね」

「優秀な方ですから、私たちの知らない言葉の意味があるやもしれませんよ」

「まあまあ、そうかもしれませんわねぇ。私たちとは常識が違うのでしょう」

 クスクスと、嫌な笑いが起こる。

 プリシラは表情を固くしたまま、顔を僅かに伏せた。いつもと違う反応をしたら、ヴァレッサに訝しがられる。だからこその沈黙だった。

「……なんとか言ったらどうなの!」

 ヴァレッサから鋭い叱責の声が上がる。プリシラは何か言わなければとしたが、それをフィルが立ち上がって阻止した。

「お母様! その赤いの、俺も飲みたい!」

 フィルが強請ったのは、ワインだった。七歳の子供に飲ませるわけにもいかず、ヴァレッサはやんわりと甘い飲み物があるからとフィルに行ったが、ヤダヤダと言って聞き入れなかった。そして周囲の大人たちが皆、グラスを持っていることに対してずるいと騒ぎ出した。

「フィル、これは貴方の誕生日をお祝いするためのもの。今日の主役であるフィルには、もっと特別な飲み物を用意してあるわ」

「やだ!」

 ヴァレッサの言葉にさらに嫌だを繰り返したフィルは、近くにいた使用人が持っていたグラスを奪おうとした。

「申し訳ございません。こちらは招待客のもので……」

「あいつは招待客じゃないだろ! やだ!!」

 フィルに対して強く出れない使用人は、ワイングラスを奪われてしまった。ヴァレッサが顔を顰めてフィルが飲もうとするのを止めた。

「……じゃあ俺が直々に、渡してやります」

「フィル?」

「たっぷり飲めばいい!」


 プリシラの胸元に、グラスの中身が掛けられた。赤いシミが広がっていって、このドレスはもう着れないだろう。笑い声をあげているフィルは暴君そのものだったが、その目は少しも楽しそうではなかった。


 こんなことをさせてしまって、ごめんなさい。


 心の底からそう思ったが、謝るわけにはいかない。プリシラにできることは、酷いと泣いて悲しみながら、耐えられないと震えながらこの場から逃げ出すことだけである。

 フィルが言った通り動くことこそが、今の彼に報いることだろう。


「……ひ、ひどい」


「貴方にはお似合いのドレスになったじゃないの」

「ええ本当に、素敵だわ」

「普段からそのような格好をなさっていてはいかが」

「私たちは到底、真似のできないセンスですけれどね」


 周囲からの嘲笑を聞きながら、プリシラは口元を押さえて走り出そうとした時だった。


「……おかあさん」


 なぜか大広間の入り口に、エドワードが立っていることに気付いた。

 


***



 すべては上手くいっている筈だった。

 フィルは使用人からワイングラスを奪い、その中身をプリシラのドレス目掛けてぶちまけた。プリシラは呆然としたような顔をしてすぐに俯き、周囲の嘲笑の後で走り出そうとしていた。タイミングもバッチリで、誰も疑わしく思わぬパーティからの退場である。

 いつもエドワードが紛れ込んでくる時間より、かなり早い。これならば目撃もされないし、魔力暴走も起きない。エドワードから決定的に恨まれることになるのを回避したと、フィルは確信した。


 なのにだ。


「お母さん」


 どうして扉のところに、エドワードが立っているのだろう。ミロスはどうした、あの女。メイドの仕事を放棄してるのかと、フィルはつい叫びそうになった。


「エドワード、どうしてここに」


 まさにその通り。だがエドワードの目は見開き、プリシラに釘付けだった。

「ちがでてる」

「こ、これは……」

 プリシラのドレスが淡い色合いのものだったから、ワインの染みは赤く目だった。幼いエドワードが、それを血だと間違うのは仕方ないかもしれない。

 思い返すと、プリシラが虐げられている時は常に、ワイングラスの中身がぶちまけられていた。虐げられているうえに大怪我をさせられたと思ったから激怒したのか。なら今の状況も、まずいのではないか。

『主、義弟殿の魔力が異常に高まっているのを感じる』

 影に潜んでいたシュテインが忠告してきた。エドワードから異様な圧を感じる。破裂寸前の風船のようで、ちょっとしたきっかけで爆発しかねない。パーティの参加者も何かまずいことが起きると感じているのか、どよめいている。

「エドワード、お家に帰りましょう。ね、エドワード」

 プリシラは王立学園卒の才女であったからか、自分の息子に起きていることを理解しているらしかった。刺激しないようにこの場から引き離そうと、優しく声をかけていた。

 しかし参加者の一人が、突然の乱入者に困惑し、謎の威圧感からくる恐怖に駆られ、一番やってはならないことをした。


「いきなり入り込んできて、なだこいつは。子供の躾一つできないとは、さすが下賎な生まれの者は違うな」


 いつもの嫌味だ。みんなだって言っているし、普段から言っているのだから。そんな気持ちが根底にあるから、明らかに異常なこの場でも、そんな言葉を吐いてしまったのだろう。

 そしてその言葉は、エドワードの感情を揺り動かし、魔力を暴走させるのには、十分だった。


「いじめるやつわるいやつ、いなくなればいい」


「エドワード!!」


 エドワードの目の瞳孔が、縦に伸びた。あれは人間じゃない、竜の目。

『宿している竜の幼生体の影響を受け、身体的な特徴として現れているようだぞ』

 シュテインが説明してくれているが、しかしそんなことより。荒れ狂う魔力によって、大広間内部に暴風が吹き荒れ始めた。確かあの竜は風竜だと言っていたから、魔力が事象に干渉し始めたため風が吹いているのだろう。火竜とかじゃなくてよかった。逃げ場なく焼け死ぬところだったと、フィルは想像してゾッとしたのだった。

 もっとも魔力暴走が始まったので、危険なのは変わりないが。

 大広間の入り口にエドワードが立っているため、パーティ参加者たちは竜の威圧混じりの魔力に恐れ慄いて逃げ纏っているが、部屋から出られずにいた。軽くパニックが起きている。こういった場合、諌めて避難させるのが母ヴァレッサの役目だが、何もできず呆然と立ちすくんでいた。

 いつもの取り巻きたちは、ヴァレッサを置いて壁際へと逃げてしまっていて、求心力のなさが露呈してしまっていた。

「お母様」

「……っ、フィ、フィル。誰か! いますぐあの害虫たちをどこかにやっておしまいなさい! 私の命令が聞けないの!!」

 ヴァレッサは金切り声を上げるが、逃げまとう群衆の悲鳴と、吹き荒れる暴風により壊れる食器や家具の音でかき消えてしまった。

「なんてこと、どうして、どうしてこうなるの……! どこまでも邪魔をするというの!! 絶対に追い出してやるんだから!!」

 そういうことを言っている場合じゃないのに、ヴァレッサの目は忌々しげにエドワードとプリシラを見ていた。きっと、ヴァレッサはずっとこうなのだろう。

「お母様」

 もう一度、フィルは母を呼んだ。父に言いつけてやるとか、使用人を解雇してやるとか、現実的でないことをぶつぶつと言いながらも、逃げようとしない。そしてフィルを見ようともしなかった。

 そんな母の腹にフィルは抱きつく。抱きしめてくれたことなんてなかったから、ドレスが汚れるからと嫌な顔をされたから、フィルはもうずっと前に抱きついたりしなくなったけれど。

「……フィル?」

「お母様のこと、俺は好きだったよ」

 少なくともフィルは、母親の境遇に同情的だった。生まれ持った性格もあるだろう。だから仕方ないと思っていたのだ。

 やっぱりフィルの背中に手を回して抱きしめてはくれない。まあそういうものだよなと、フィルはヴァレッサから離れると、エドワードの方へと向かった。後ろでヴァレッサが何か言ったような気がするけれど、きっと気のせいだろう。


「エドワード! 魔力を押さえなさい! ……エドワード!!」


 入り口付近で、プリシラが必死に呼びかけていた。だがエドワードは目を見開いたまま、魔力をどんどんと放出し続けている。普通なら魔力切れを起こすが、エドワードの魔力はさらに膨れ上がるばかりだ。

『幼生体といえど、魔力は桁外れだ』

「なんて厄介なんだ。……シュテイン、エドワードを強制的に眠らせられないか」

『我が誘う眠りは精神的に作用される。魔力差があり、怒り狂っている状態では、あまり効かぬ』

「それなら……」


 プリシラが悲痛な表情を浮かべて、エドワードへと向かって歩き出す。近付くことも難しいほどの魔力の渦に足を踏み入れたのならば、肉体的なダメージは計り知れない。

 ただでさえ暴風の中心になっている。壊れた家具や食器が吹き荒れる風に混じって飛んできているのだから。

「エドワード、いま行くわ……っ!」

 母の愛とやらで突き進んだプリシラの体は、元には戻らなかった。そんな母を見続けたエドワードは、自責の念を恨みに変えて、フィルやヴァレッサに復讐するのである。もう何度も繰り返された悲劇。


「エドワード!!」


 絶対もうその悲劇を起こしたくない。

 一体何回、七歳から繰り返せば良いのか。エドワードと縁を切って、別の道で成功しようとする。あと少しで安穏な生活が手に入るというところで、必ず復讐に燃えたエドワードに殺されるのだ。


 何度も、何度も、何度も。


 いい加減、人生というものをやり尽くした感がある。何もしたくない。でも、何もしなくともエドワードはフィルを殺しにくる。本当にもう、フィルはエドワードとは関わりたくなかった。


 だから。

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