第9話 しあわせな誕生日(6)

 どういうことだと、フィルは首を傾げそうになる。詳しく話を聞いておいた方が良さそうだと、フィルは黙って続きを促した。


「最近、エドワードがどこかで遊んでいるのは知っていましたが、場所は秘密だと言って教えてくれませんでした。誰かと遊んでいるなら、一体誰なのかと思っていたのです」


 フィルは今日初めてエドワードと一緒に過ごした。七歳の誕生日になる前日まで、エドワードと隠れて遊んだことなどない。完全にプリシラの勘違いである。

 死に戻る人生の中でも、エドワードと親しい子供は皆無だった。しかし先ほど見たあの行動力なら、誰かしらと知り合っていてもおかしくはないが。

 おおかた、エドワードの魔力に誘われて寄ってきた妖精と遊んでいたのではなかろうか。普通ならありえないが、エドワードならそうは言い切れないのが怖いところである。まあフィルは、それを親切に説明してやるほど良い性格の持ち主ではないし、プリシラに好意的でもないので、何も言わないでいたが。


「……エドワードと遊んでくださってありがとうございます。でも、貴方のためにも、私たちもためにも、どうか」


 どうかもう近付かないでくれとでも、言うつもりだろうか。


 プリシラの気持ちはわからなくもないが、浅はかだし身勝手な言い分だなとフィルは思った。死に戻ることを繰り返したため、フィルの精神年齢は七歳児ではない。しかしこれがもし、本当の七歳の子供であったのならば。

 せっかく仲良く遊んでいる者同士を、大人の勝手な事情で引き離すことになる。どうやらプリシラもその点に少し罪悪感があるようで、顔が強張っていた。フィルはそこを見過ごすことなく、つけいることにした。


「そう思うのなら、俺とお母様を殺して排除すれば良いのに」


「なっ、なんてことを言うのです……っ!?」


 フィルは敢えて表情を消して、じっとプリシラを見上げた。子供が言う台詞ではないからか、プリシラは見る間に青ざめていく。

「お父様もそう。俺とお母様が嫌いなら、周りから何を言われようとも、殺してしまえばいいんだ。そうすれば、貴方を後添いにして、エドワードを嫡子にできるもの」

「そんな……、人の命を軽じる言動はなさってはいけませんよ」

「どうして?」

「……あ、貴方のお父様は、そこまで非情な方ではありませんもの」

 プリシラの言葉に、フィルの内心はしらけるばかりだ。

「じゃあ馬鹿なんだね」

「フィル様!」

「お母様が嫌だったのなら、結婚すべきじゃなかった。結婚したのなら、貴方を屋敷に連れてきてはいけない。一緒に暮らすのなら、正妻と愛人には必ず差をつけなきゃいけないって本に書いてあったよ」

「……本に書いてあるのが、すべてではありませんもの」

 でもそのせいで、ヴァレッサはずっと苦しんでいる。父ライオネルは離婚を言い渡すことすらしない。ヴァレッサが自ら身を引いて出ていくことを待っているのだ。なんともまあ、都合の良いこと。

 離婚しようと思えば、いつだってできる。ブラッドリー侯爵家とヴァレッサの実家は、家格に差があるのだから。

 性格はともあれ、ヴァレッサは伯爵の娘。犯罪や不貞を犯すわけでもなく。しかも跡取りを産んだ、申し分なく夫に尽くしている女性である。だから離婚となると、周囲から非難されるのは明白だ。そしてそんなヴァレッサを追い出して妻となるプリシラと、嫡子となるエドワードにも、冷たい視線が投げかけられることだろう。

 ライオネルはそれで彼女たちが傷つくのを恐れて、行動を起こさない。ヴァレッサが嫉妬からプリシラを虐げることには怒るくせに、原因そのものを排除することをしないのだ。まったくもって中途半端。本当にプリシラを妻にする気でいるのなら、邪魔者は消すべきだというのに。


「別にいいよ。貴方とお母様の仲が悪くたって、お父様が俺のことを嫌いだって、どうだっていい」


 これは、フィルの正直な気持ちであった。心の底から思っていることであった。


「でも貴方たちの事情に、俺とエドワードを巻き込まないで欲しい」


「……っ」


 プリシラは青褪めた顔のまま、ハッとしたようにフィルを見る。震える手で、己の口元を押さえていた。眉間に眉を寄せ、何かを堪えるかのように目を閉じてしまう。

 私はなんてことをと、後悔するような声色で呟いているが、懺悔はいまのところフィルには必要ない。欲しいのはプリシラの協力であった。


「貴方にお願いがある。今日の俺の誕生パーティに……」

「出るなとおっしゃりたいのね。ヴァレッサ様からは先ほど、顔を出すようにと言われたけれど、具合が悪いことにして別邸に籠ることにしましょう」

「いいや、出てほしい」

「……っ! それで、私にどうしろと」

「母が貴方に何かする前に、俺がわざと貴方のドレスに飲み物を引っ掛けるから、泣き真似でもして退席してほしい」

 茶番を演じてほしいと、フィルはプリシラに頼んだ。

 プリシラは困惑したまま、どうしてわざわざそんなことをと尋ねてくる。フィルだって茶番なんぞ演じたくない。だがこうするしか方法がなかった。

「お母様は貴方に屈辱を与えたくして仕方ないんだ。断ったって、無理やり連れていかれるに決まってる。だったら大人しく来てくれた方が、被害が少ない。それから、お母様が何かしでかす前に、俺が貴方に失礼を働くのが、一番良い逃げの口実になると思う」

 ヴァレッサは消化不良な気持ちになるかもしれないが、溺愛する息子のしでかしたことに怒れないだろう。それでもプリシラが少しでも嫌な目に遭えば、溜飲もわずかに下がるはずだ。

「お母様は貴方が嫌がることを進んでやるから。きっとエドワードの命を盾にするかもしれない。だからパーティの間は、ミロスにしっかりと見ていてもらってほしい」

「……それは。ええ、わかりました。でも、フィル様」

 やっぱりすんなりと引き受けてはくれないか。フィルはバレないようにため息を吐いた。ここでプリシラがパーティに来てくれないと、さらに大惨事が引き起こされるというのに。なんと言って説得しようとフィルが考えていると、プリシラは予想外の言葉を放った。

「侯爵様に相談した方が良いのではありませんか。……これ以上、お父様の不興を買う必要もないでしょう」

「えっ、そんなの別に今更。嫌われているのはわかりきった事実だし、好かれたいとも思わないし」

「…………っ」

 なぜかプリシラはショックを受けたような表情をした。まさかライオネルがフィルを嫌っているだなんて、知らなかったのか。そんなわけないだろう。

「それに俺の事を気にする人間なんていません」

 その辺の心配は無用だから茶番に付き合ってくれと、フィルはキッパリと言い放った。プリシラの顔色が、青を通り越して白くなっていたけど、フィルにはどうしてだかわからなかった。

「……フィル様の言う通りに致します」

 プリシラは深々と頭を下げていった。とりあえずの約束が取り付けられたので、一安心だ。これでプリシラが茶番に付き合ってくれなかったら、大惨事である。そうなったらフィルは早々に闇の精霊に魂ごと喰ってもらおうと思った。


 フィルの誕生パーティで起こる事件。それはプリシラがヴァレッサに嫌がらせをされている姿を目撃し、エドワードが魔力暴走を引き起こすというものだ。

 誕生日の祝杯だと言ってプリシラへグラスを渡そうとしてわざと床に落とし、その破片を拾うように強要するのだ。素手で破片を拾おうとするプリシラの手を、ヴァレッサが高笑いしながら踏みつけるのである。時には頭からワインを掛けられてることもあった。周囲はそれを嘲笑していて、誰も助けようともしない。

 子供が見たら、間違いなくトラウマになる光景である。

 一回目の時も、フィルはいい気味とは思えなかった。なんならちょっと引いた。

自分の母親ながら、子供の誕生日にやることじゃないと思う。しかしヴァレッサは、どうしたってプリシラが目障りで、正妻は自分でありブラッドリー家での立場が上だと知らしめたい。だからこその凶行なのだろう。


 フィルは死に戻る人生の中で、何度も阻止しようと動いた。プリシラを参加させなければ良いと、率直にヴァレッサに顔を見たくないから別邸に閉じ込めてくれと頼んだこともある。

 ヴァレッサはフィルの言葉を聞き入れ、害虫親子を別邸から出すなと使用人に命じた。言い草はどうであれ、エドワードの魔力暴走はなくなったと思ったのに。

 しかしプリシラはといえば、わざわざ誕生パーティの最中にやってきて、エドワードの不在を話し、母にどうか返してくれと泣いて縋った。

 ヴァレッサは何もしてない。フィルも何もしてない。つまり冤罪である。

 普段の行いからやってもおかしくないヴァレッサであっても、冤罪を疑われたりしたら許すはずもなく。しかも気に食わない愛人が一人息子の誕生パーティをぶち壊したとすれば。結果は目に見えて明らかである。

 死に戻りの中で類を見ないほどの修羅場が、フィルの目の前で繰り広げられた。フィルが本当の七歳の子供であったら、目に焼きついて離れないくらいの惨状だ。

 そしてそれを、正真正銘の五歳児たるエドワードが見て、正気でいられるわけもなく。

 父が魔力暴走を抑え込もうとして、さらなる被害が拡大し、ブラッドリー家は半壊した。誕生パーティの招待客に被害が出たし、フィルやヴァレッサも怪我をした。しかもプリシラは、魔力暴走に巻き込まれたが決定的な致命傷となり死亡している。あの時の人生は、稀に見る凄惨なものだった。

 他にも、七歳の誕生日の朝に目覚めてすぐ、プリシラたちを追い出すとか、物理的に排除しようとしたが。ことごとく失敗する。そしてプリシラとライオネルの仲睦まじい姿を見せつけられ、ヴァレッサが苛烈な行為に突っ走るのだ。

 何度か失敗して散々な目にあったフィルは確信した。プリシラの誕生パーティの参加は、阻止してはならない。

 多分最初の、フィルがエドワードやプリシラを嫌っていじめていた時が、一番被害が少なかったのだ。だからフィルは、ヴァレッサの前で茶番を演じることを決めたのである。

 短時間でプリシラをパーティ会場から退場させれば、エドワードが本邸に来ることもないだろうし、魔力暴走が引き起こされることもない。

 エドワードにつらい思いをさせない。悲しい思いもさせない。安穏に平和に、子供らしくはしゃいで遊んでいさせることこそが、フィルがエドワードに恨まれずにすむ唯一の方法であった。

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