第7話 しあわせな誕生日(4)

『ここは小さな島だよ。あの山を超えた先にも海岸があるんだ。そこに、帰り道を用意しておくね』


「ありがとう、妖精さん」

『子供の足でも、頑張れば夕方には辿り着けるよ。困ったことがあったら、僕を呼んでね。お手伝い、してあげる』

 じゃあねと言って、妖精はさっさと消えてしまった。


 エドワードは呑気に手を振っているが、そういう場合じゃない。


 これはお手伝いと称して、体の一部を貰い受けるために用意された舞台だ。森林の方からは、明らかに魔物の気配がする。子供が生きて歩いていける場所ではない。

 まさかとは思うが、毎回フィルの誕生日にエドワードが行方不明になるのは、さっきの妖精にこの島に連れてこられたからなのだろうか。しかしそうなると、エドワードは毎回一人でこの島を生き抜いて屋敷へ戻ってきていることになる。まさか、いやしかしエドワードのやたら高い身体能力ならなんとか。


『主よ、思案中にすまぬが、アレは良いのか?』


 シュテインに呼ばれ顔をあげると、近くにいたはずのエドワードが、波が打ちつける岩の上に登り、今まさに海へ飛び込もうとしていた。エドワードが泳げるかは知らないが、服を着たまま、波の高い海に飛び込んで無事にすむはずはない。凄まじいスピードでエドワードの側へと駆け寄ったフィルは、後ろから抱きかかえて飛び込むのを止めた。

「あ、闇の妖精さん。見てみて、トカゲさんがいたの」

「…………っ」

「しっぽ怪我してる」

 エドワードの手の中にいたのは、トカゲというには少し大きい。そして色が妙に鮮やかだった。毒でも持ってるんじゃないかと、フィルはエドワードの手からトカゲを取り上げた。するとトカゲは鳴き声をあげて、フィルに噛み付いてくる。

「トカゲさん、噛んじゃダメっ!」

「ピィ」

 なぜかエドワードの言葉を理解したかのように、トカゲは鳴き声をあげた。よく見れば爪も鋭い。完全に危険生物だと、フィルは判断した。

「連れてっていい?」

 フィルは全力で首を横に振った。だがエドワードは引き下がらない。

「ここにいたら、お魚さんに食べられちゃうよ」

 それが自然の摂理だろと、フィルは思った。

「こんなにちっちゃいから、どこかにお母さんいるもん。僕が探してあげる」

 家に帰れるかもわからないのにか。エドワードはトカゲを自身の肩に載せている。トカゲは懐っこくエドワードの頬に顔を擦り寄せていた。

『悪意を持ってはいないぞ、主』

 なら襲ってくることはないか。いや妖精は悪意なく襲ってくるから、まだ油断はできない。悩むフィルに、エドワードは縋るような目を向けてくる。

「この子のお母さん探すの手伝って、闇の妖精さん。そしたら、僕の宝物、分けたげる」

 フィルはエドワードの持っているものに興味なんてない。エドワードにとって価値あるものでも、フィルにとっては無価値なのだから。しかしここでごねても、エドワードは引き下がらなそうだ。

 黙ったままでいると、エドワードは勝手に解釈をしたらしく、いいのと再度問うように尋ねてきた。仕方なく頷けば、やったあと手を挙げて喜んだ。

 そしてエドワードは、トカゲの傷付いた尻尾の手当てをすると言い出して、海岸にうちあげられている海藻を掴もうとした。

 やめるように制止してから、フィルはハンカチを取り出す。引き裂いて尻尾に巻いてやると、トカゲは嬉しそうにエドワードに擦り寄った。手当てをしたのはフィルなのだが。まあいい。

「ねえねえ、君のお家はどこ?」

 エドワードの問いに、トカゲは首を動かして山の方を向いた。

「あの山なの?」

 再びトカゲはこくりと頷く。本当かよと疑問に思ってしまう。


『この島は妖精の勢力圏内と言えば良いのだろうか。主よ、我の力で転移させることができない。阻害されている』


 島を調べさせておいたシュテインが、報告してきた。つまり先ほどの妖精が言った通り、山を越えた先にある海岸まで行かないと、屋敷へ戻れないのだろう。多分きっと、家に帰りたいと大声で叫んで妖精を呼べば、すぐに姿を現すだろう。しかし家へ帰るための対価は、きっと髪の毛ひと束くらいじゃ済まされない。

 フィルはため息を吐くと、トカゲと戯れているエドワードの肩を叩いた。

「なあに?」

 山を指差して服を引っ張ると、意味が通じたらしい。

「一緒に行ってくれるの?」

 頷くと、何が嬉しいのかエドワードは破顔して立ち上がった。そしてフィルのローブを掴むと、早く行こうと引っ張り出す。拾ったローブだからボロボロだし、上着を脱いだだけなので、下に着ているのはどうみても貴族令息の服装だ。エドワードに正体がバレてしまうと、フィルは焦った。

 ものすごく不本意だが、フィルはエドワードと手を繋ぐ。するとエドワードは嬉しそうに手をブンブンと振っては、笑い声まであげる始末だ。

「えへへ、闇の妖精さん。楽しいね」

「…………」

 何も楽しくないし、早く帰りたい。

 シュテインに周囲を警戒させながら、フィルはエドワードと共に森を進んだ。森は未開の地というわけではなかった。踏み慣らされた跡があり、うっすらと道のようになっている。多分だが、それだけの人数の子供が、あの妖精によって連れてこられたのかもしれない。

「あ、蝶々」

 エドワードが声をあげて走って行こうとするのを、フィルは後ろから引っ張って止めた。普通のサイズならともかく、どうみたって大人の人間よりでかい蝶々なのだ。魔物でなくたって、まずい。

 見つからないようにその場から離れると、さらに先へと進んで行った。


 数々の危機を乗り越えながら。


 エドワードが水に浮かんだ葉っぱに飛び乗ったら、水中から巨大なナマズのような魔物が口を開けて飛び出して、喰われそうになったり。

 エドワードがお腹が空いたと言って、良い匂いがする花へ突っ込んでいったら、人喰い花だったのか、花芯が割れて牙の生えた口が襲いかかってきたり。

 エドワードが木によじ登って実を取ろうとしたら。どこからか飛来した巨鳥の魔物に攫われそうになったり。

 そのほかにも、エドワードが引き起こした、いや引き寄せられたと言っても過言ではない事柄が、盛りだくさんで。


 フィルは疲れ果てぐったりとした。


 エドワードの行動力は一体なんなのだろうか。

 今世でまともに一緒に過ごしているが、こんなにも無鉄砲に動き回るやつだとは思わなかった。いや子供の頃からこんなのならば、そりゃあ単騎で侯爵邸だろうが王城だろうが突っ込んでくるだろう。

 幼い頃からヤバい奴はヤバいんだなと、フィルはエドワードを見て納得したのだった。 



***



 島の反対側に行くには、山裾を越える必要があった。森の切れ目、小高い丘になっている場所まで辿り着くと、フィルはエドワードと共に座り込んだ。

 山頂へ向かって傾斜がきつくなっている。そして山の向こう側は先ほど通ってきた森と同じようになっており、その先に小さな入江になっている場所を見つけた。

 多分あそこが、屋敷に帰る為の脱出口だ。


『主よ、今のところ周囲に危険はないぞ』


 周囲を探索してきたシュテインが報告に来た。しかし危険がなくとも向こうから寄ってきている気がする。

 エドワードも疲れたのか、今のところ大人しい。こんな状態で魔物となんて、まともに戦えやしない。

 なにせフィルの中身はともかく、現状はただの子供である。シュテインと契約はしたが、周囲の警戒や探索をさせるくらいしかできない。一応、剣術や魔法は習い始めて入る。聖霊も気にいるくらいの魔力量があるが、しかし純粋な戦闘力は子供なので大したことがないのだ。

 すでに太陽は真上から少し傾いている位置にある。

 森の中で陽が落ちたら、完全に道に迷う。夜の森の魔物の凶暴さは、昼間の比ではない。完全にまずいなと、フィルは唇を噛んだ。


「闇の妖精さん、お腹空いたね」


 ローブを引っ張って、エドワードがせつなげな顔をした。肩に乗っているトカゲも同じような顔をしている。

 この島にあるものを下手に食べるわけにもいかないので、木の実や果物を取ろうとしたエドワードを止めたのだ。しかしそろそろ、我慢の限界なのかもしれない。

 何かあったかなと、フィルはローブの下の衣服のポケットを弄った。

 子供の頃、フィルはお菓子を持ち歩いていたので、ポケットに何かしらあると思ったからだ。案の定、包み紙で巻かれたチョコレートが出てきた。しかも二つ。

 少し考えて、フィルは二つともエドワードに渡した。


「くれるの? ありがとう、妖精さん!」


 エドワードはフィルの目の前で、早速包みを開けてチョコを口へと放り込む。

「甘い! すっごくあまい! 美味しい!」

 そりゃそうだろう、母が取り寄せた高級チョコだから。王家御用達の菓子店のものだったはず。ヴァレッサはフィルの食べる菓子にも、ふんだんに金をかけていた。まずいはずがない。

 トカゲも一緒になって食べているが、良いのだろうか。まあ良いのだろうな。フィルには関係ない存在だ。

「僕ね、この前ね。お母様が焼いてくれたケーキ食べたの」

 口元がチョコでベタベタになったまま、エドワードは話し続けている。汚い子供に近寄られなくないので、フィルはハンカチで拭ってやった。


「今度のお誕生日にも、ケーキ焼いてくれるんだって。僕の好きなもの、作ってくれるって言ってた。ミロスとお父様も一緒に食べるって約束したの」


 思い返してみても、フィルは父と食事をとった記憶なんてない。

 繰り返される七歳の誕生日で、父がフィルの顔を見にきてくれたこともない。母と、それからブラッドリー家の権力に取り入ろうとする輩と。フィルの暴君っぷりに怯える、生贄のような同世代の子供。エドワードの話す、心温まる家族の食卓なんてもの、存在しなかった。

「ねえねえ、闇の妖精さんも食べよ。お母様のケーキ、美味しいよ」

「…………」

 幼いエドワードは誤魔化せても、プリシラやミロスを騙せるわけがない。すぐさまフィルだとバレて、何が目的で近付いたと警戒されるのが目に見えている。一緒に食事なんて、どうやっても無理な話だ。

 期待に目を輝かせるエドワードを見て、別に罪悪感なんて湧かないが。即座に断る義理もない。せいぜい来るか来ないかヤキモキして待てばいいと、フィルは返事をしなかった。

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