第6話 しあわせな誕生日(3)

 綺麗に整備されている植木の間を抜け、フィルは柵で囲われたバラ園の前へとたどり着いた。立ち入らぬように鍵付きの門があるのだが、見れば古くなって傾いている。棘のある蔦に覆われていて、大人が入るのには苦労しそうであるが、子供ならば通り抜けれる程度のスペースがあった。

 フィルが門を抜けると、そこは予想以上に荒れ果ている。枯れたバラの蔦が至る所にあり、棘で怪我をしないか不安で仕方ない。そんなバラの蔦の間に、ところどころ玩具が落ちていた。

 首のもげたぬいぐるみ、手の壊れた兵隊人形、潰れたボール。どれも見覚えがあり、壊れている理由も知っていた。なにせぬいぐるみの首をもいだのも、兵隊人形の手を壊したのも、ボールを潰したのも、全部フィルがやったことだったから。

 中庭に出てきて、玩具で遊んでいるフィルを見て、腹が立った。許せなかった。


 あれほど中庭へ勝手に入るなと言われているのに。フィルは父から、玩具をプレゼントされたことなんてなかった。ましてや一緒に、遊んでもらったことなどないのに。


 嫉妬心からの愚行だと、フィルは己の行動を思い返しながら結論付けた。父からの愛情を欲さなければなんともないので、フィルは冷めた目で壊れた玩具を横目に噴水へと歩いていく。

 ヒビの入った噴水の縁に寝そべるようにして、エドワードがいた。泥水の上に小舟を浮かべてそれを眺めているのだ。暖かな日差しで眠気に誘われたのか、ウトウトとまどろんでいる様にも見えた。


 なるほど、ここで昼寝をしたせいで、一時的に行方不明になっていたのか。なんとも迷惑なやつである。フィルがそばまで行った時には完全に眠りに落ちたらしく、寝息を立てていた。

「……呑気なやつ。こんなところで寝たら、泥水の中に落ちてしまうだろうが」

 呆れた声で呟きながら、エドワードを見た。

 フィルの記憶にあるエドワードは、大人の姿で。いつだってフィルへの憎悪を宿した目で見ていた。きっと今の幼いエドワードだって、同じようにみるだろう。

 まあいい、憎まれるのには慣れている。

 取り敢えず、今日の悲劇を回避さえできれば、どう思われようとも良いのだ。


「シュテイン、こいつを別邸の自室へ運んでやって……」

『主よ、そこから離れろ』


 忠告の言葉と共に、噴水の中心に奇妙な気配がした。フィルは寝こけているエドワードを抱えて、その場から離れた。

 キラキラとした光が、朽ちた噴水の周囲に溢れる。それとともに、澄んだ音が聞こえてきた。

「……妖精?」

 特徴的な音は、妖精が現れる前兆だ。妖精の持つ魔力が音を奏でると言われるが、どうしてこんな音がするのかはわかっていない。そういうものだと思うしかない。

 精霊は精霊の国に、妖精は妖精の国に住んでいる。それぞれの国は、いまフィル達が住んでいる世界とはまた別の世界にあるのだ。


『いい匂いがする、大好きな匂い』


 甲高い子供のような声が響き、手のひらサイズの小さな光が、フヨフヨと飛んできた。エドワードのそばまでやってきて、何やら喜びの声をあげている。

「おい、なんだお前は」

 指先で光を弾くと、小さな悲鳴が上がった。そして光が収まり、手のひらに乗るくらいの大きさの、子供の様な姿に羽が生えている妖精が、フィルの顔を見て言った。

『あー、人間だ。闇の精霊と契約してるの? めずらしいねー』

 無邪気な物言いは、妖精の特徴だ。

「人の家の庭に入り込んできて、何のようだ?」

『いい匂いがしたから来てみたんだよ。その子、いい匂い、大好きな匂いするの。ねえねえ、ちょっとだけちょうだい。何か役に立ってあげるから』

 いい匂いとは魔力のことだろうか。シュテインに尋ねると、そうだと肯定された。

『主の義弟殿からは、妖精や精霊が好む魔力を感じる』


『そうなのー。この子の魔力が宿った髪の毛なら、きっと素敵なお洋服が作れるの』


 妖精が弾むような声で、シュテインに同意する。だから頂戴と強請られるが、ここで頷くのは危険だった。妖精は、見た目から可愛らしく無邪気な存在だと思われがちだ。だが違う。

 先ほど、魔力の宿った髪で素敵な洋服が作れると言ったのが良い例だ。髪の毛くらいならと、普通の人間は思うだろう。しかし妖精は、魔力の宿るものならば、なんだって好きなのだ。そして身につけたり、家具にしたがる。妖精の国の家具の大半は、魔力の宿る人間の一部が使われているのだ。もっと具体的に言えば、人間の骨とか爪とか目玉とか歯とか。想像するだけで寒気がする。

 なぜフィルがそこまで詳しく知っているかといえば、未来でエドワードの仲間になるアラベラと契約していた妖精が、処刑されるフィルの体の一部を持っていったからだ。

 手の指を掴んで椅子にするとか、瞼を無理やり持ち上げて目玉に触れながらテーブルにするとか、思い出すだけでも悍ましい言葉を吐いていた。しかも妖精達は、アラベラやエドワードにバレないように、処刑の前日にやってきていた。自身の行為が人間から受け入れられないということを、自覚しているからに違いない。

 ともかく妖精はかなりの残虐性を持つ危険な生き物である。

 下手にエドワードと関わりを持たせたら、何が起きるかわからない。妖精は精霊と同じように、条件次第では契約し使役されてくれたりもするのだ。

「やるわけないだろ。とっとと帰れ」

『ええー、寝ているこの子に聞いて、ダメだったらね』

 諦めの悪い妖精は、エドワードの頬をペチペチと叩いた。起こすなとフィルが妖精を追い払おうとするが、それよりも早くエドワードの瞼が震えた。


 まずい、目を覚ます。このままではまずい。フィルを見てエドワードが怯えたりしたら、色々と面倒だ。


 この諦めの悪い妖精が、エドワードの髪の毛と引き換えに、フィルやヴァレッサに危害を加えることを提案でもしたら、本当にまずい。フィルはともかくとして、ヴァレッサを守らせるように闇の精霊を使役するには、魔力が続かない。


 とにかく自分がフィルだとバレない様にしなければ。

 何かないかと周囲を見渡して、地面に散らばっている玩具を手に取った。


「……だあれ?」


 エドワードが目を覚ましてからみたのは、結んでいた髪を下ろし奇妙なお面を被ったフィルの姿だった。「妖精さん?」


 フィルを見て、エドワードが尋ねた。宙を浮いている妖精が余計な事を言いそうになったので、慌てて捕まえて黙らせると、フィルは首を上下に振った。

「なんの妖精さんなの?」

「…………」

 フィルは無言のまま、自身の影を指差す。シュテインに声を出さずに影を動かしてくれと命じた。すると影が地面から起き上がってエドワードの手に触れ、再び地面の影へと戻る。

「わかった! 闇の妖精さんだ。お母様の本で読んだの」

 よし勘違いしたぞと、フィルは心の中で拳を握る。地面に落ちていた薄汚いローブを羽織った甲斐があるというものだ。

 ほっと息を吐いていると、エドワードは警戒する事なくフィルの側へとやってくると、下ろしている髪の毛に触れた。

「お父様のおんなじ、黒い髪の毛だね。闇の妖精さんとお父様はお揃い」

 にこにことした顔で、エドワードが言った。そりゃ親子なのだから同じ髪色だろうとフィルは思ったが、口には出さない。喋らなければフィルだとバレないだろうし、子供の姿な上にローブで体型も見えないから、エドワードは闇の妖精さんが男か女かすらわかっていないだろう。

 バレなければなんだっていいやと、フィルはエドワードに好きに髪の毛をいじらせておいた。


『ねーねー、そこの良い匂いのする君。お願い事を聞いてあげるから、君の髪の毛を頂戴』


 フィルの手に捕まっていた本物の妖精が、ジタバタともがいて脱出した。そしてエドワードの目の前へと飛んでいくと、余計な提案をし出した。

「わあ、羽の生えた妖精さんだ。こんにちは」

『君は挨拶をしてくれるんだ。良い子だね』

 フィルとは大違いだとでも言いたいのか、この妖精は。お面をつけているので、睨んでも意味がない。意味がないことをする気力を、フィルは持ち合わせていない。とっとと追い払いたいが、そうもいかない。

『妖精や精霊の交渉を邪魔することが、我にはできない』

 他の精霊ならできたりするが、闇の精霊はできない。幾重にもかけられた制約のせいである。精霊の一体や二体くらいなら、跳ね返せるだろうが、それこそ闇以外の全ての精霊がかけた制約であるが故に、取り払うのは不可能だった。

『君の魔力とっても良い匂いがするの。僕は、君のお願い事を一つ聞いてあげる。だからその代わりに髪の毛頂戴。僕の手で掴めるくらいで良いよ』

「お願いごと?」

『何かあるでしょ、欲しいものとか、食べたいものとか。それか、嫌いなやつに仕返しをするとか』

 エドワードは悩むような仕草をしてから、何かを思い付いたらしい。パッと顔を明るくして、外に出たいと言った。

「お外で遊びたいの」

 今いるここは家の外じゃないかと、フィルは呆れた。それと同時に、嫌な予感が加速する。待て、まさかエドワードが言う外というのは、ブラッドリー家邸宅の外ということだろうか。


『いいよー。じゃ行こ』


「おい、ちょっとま……」


「闇の妖精さんも一緒に行こ」


 止めに入ったフィルの手を、エドワードががっしりと掴んだ。

 目も開けていられないほどの眩しい光に包まれて、体が宙に浮く感覚がする。光が収まると同時に、明らかに屋敷ではない場所へと移動していた。


 顔に吹き付ける風が生暖かい。足元は白い砂浜。耳には波の音。そして目の前には、明らかにブラッドリー家や王都周辺の植生と違う森と、こんもりと尖った山。


「わあ、すごーい!」


 フィルのそばで、エドワードが嬉しそうに飛び跳ねている。喜ぶところじゃないだろうと、フィルは顔を引き攣らせた。

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