第5話 しあわせな誕生日(2)

 感情の振り幅が酷い事になっているヴァレッサに、フィルは意を決して声をかけた。


「お母様。お母様。パーティが始まるまで、僕は図書館で本を読んで過ごしていても良いですか?」

「ええ、もちろんよ。お勉強をするのは良いけれど、ほどほどにね」

 基本的にヴァレッサは、フィルのすることを制限しない。母親からの許可をもらい、フィルは急く気持ちを押さえ、部屋を出て廊下を歩いて行った。

 使用人たちはフィルがどこに行こうとも、何も言わない。幼い暴君の我儘に巻き込まれないように、身を潜ませるだけだ。そしてそれは、フィルにとって好都合でもあった。

 ブラッドリー家の名に恥じぬ立派な図書館が、中庭には建てられている。

 だがそこを利用する者はほとんどいない。フィルが家庭教師に教わるときは屋敷内であったし、わざわざ図書館で調べ物をしなければならないような課題も出されてはいない。一度も足を踏み入れずに人生が終わった、なんてことが何度もあった。

 そんなブラッドリー家の図書館に収められている、魔法の掛かった古書にフィルは用事があった。


 古の呪い言葉で綴られた本。


 表紙と頁が張り付いていて、破けることもなく何をしても開かない。だが魔力を流すと、あっさりと頁が開くのだ。フィルは自身の魔力を流し込んで、本がわずかに光るのを観察する。


 この本の存在に最初に気付いたのはフィルではなく、エドワードである。


 いやもっと正確に言えば、エドワードの仲間であるアラベラという少女だ。

 エドワードに惚れているらしく、フィルへの復讐を手伝っていた貴族の少女で、確かソリアノ伯爵家の一人娘だったはず。

 彼女は精霊や妖精など、神秘の存在についての知識に長けていた。ただ魔力が人並みであったため、妖精とは契約できても、その上位の存在と言われる精霊とは契約ができなかったそうだ。

 なぜフィルがそんなことを知っているかといえば、エドワードの仲間に捕まり、処刑を待つ間に聞いた話を総合した結果である。なにせ処刑されたのは、両手の指じゃ足りない。そしてエドワードはともかくとして、仲間である彼らは、フィルをどうしても貶めたいようだった。

 いかにフィルの行動のどこが悪いのかをこと細やかに説明し、そしていかに自身が素晴らしい力を持ち合わせ、エドワードにふさわしいかを話すのだ。

 死に戻るフィルは、苛つきながらもいつか仕返しいてやるという復讐心を抱いて、顔と名前をしっかりと覚えていたのだ。そして七歳の誕生日に戻ると、彼らがどういった人物かを調べ尽くしたのだ。

 復讐もしくは、うまく懐柔すれば自分の仲間になるのではと、甘い期待を抱いたが。結果は芳しくない。どうやら神様とやらは、フィルに人から好かれるという才能を与えなかったようだ。しかしながら彼らが力を手に入れた経緯を詳細に理解したため、フィルは成果をまるっと横取りすることが可能となった。

 その結果が、古の書物を使っての精霊召喚である。

 この本には精霊を呼び出すための魔法陣が描かれている。魔力を流し、精霊が契約者と認めるレベルの魔力量さえあれば、召喚に応じるのだ。もっとも精霊は妖精以上に気まぐれで、契約したって反故にされるリスクもある。


 それでもフィルは、精霊を召喚した。


『我を呼び出したのは、其方か』

 本の頁から、黒い人影のようなものが出てきて、フィルへ声を掛けた。その見た目の通り、影は闇の精霊である。

 炎や水、風や光など、自然界に存在しうる物質に連なる精霊の中で、どのような能力があるのか想像が付きづらいのが闇の精霊だった。そのため、闇の精霊と契約する者は少ない。だがフィルは、何度も繰り返す人生の中で、闇の精霊について詳しく知り得た。

 闇の精霊は契約者の少なさから、魔力に飢えている。

 人間の魔力を食べなくたって精霊は存在できるが、それでもたまには何かを食べたくなることだってある。だからこうして、契約を結びたいという稀有な人間が現れると、彼らはとても礼儀正しく契約を結んでくれるのだ。

「契約を結ぶのに、まずは左の目の魔力を。今日、一日ほど俺に使役されてほしい」

『……ふむ』

「今日が終わったら、左足を食っていい」

『ほう?』

「ただし左目も左足も、肉までは食べないで、魔力だけにしてくれ」

 影は微動だにせず佇んだ後、フィルに言った。

『それがどういう意味かわかっているのか、人間の子供よ。魔力の根源たる魂を一部分喰らうのだぞ。左目も左足も、ただの飾りになるだけだ』

 闇の精霊は意外に律儀らしい。フィルに懇切丁寧に説明をしてくれた。もっともそれは知っていた事なので、わかっていると強く頷く。

「構わない。ちゃんとわかっている」

『ふむ、我を呼び出した主は、幼いながらに聡明のようだ。良いだろう、我に名付けよ。さすれば、其方に尽力しようぞ』

 精霊に名付けることで、繋がりが強固となり、契約は結ばれる。ただしこれは、精霊の方が力が強いと、いつでも反故にできるという、超理不尽な契約である。そしてこの世の中、基本的に精霊より強い人間など存在しない。

 フィルは死に戻る人生の中で何度か、精霊に裏切られたことがあった。

 炎の精霊とか、水の精霊とか、光の精霊とか、風の精霊とか、土の精霊とか、木の精霊とか。多分、ほぼ、コンプリートしているかもしれない。

 彼らはフィルよりもエドワードの方が好ましいらしい。フィルが精霊の力を使ってエドワードを殺そうとすると、決まって裏切られた。エドワードの味方につき、フィルの魔力を喰らい尽くして魔法を使えなくしてしまうのである。

 苦い経験を繰り返した中で、フィルは精霊の気ままさを存分に味わった。それでも召喚し契約したのは、彼らが契約者に与える恩恵が大きいからだ。

 単純に彼らの属性である魔法が強化されるだけではない。人間が扱えない、精霊しか使えない魔法を操れるようになることから、何かと便利なのである。

 裏切られているので、肝心なところで役立ってくれたことはないが。

 そんな精霊の中で、闇の精霊は契約を何よりも重要視する存在だ。人間の魔力が好物で、食べ尽くしたい。闇の精霊は、人間を好き勝手に食べ過ぎた結果、他の精霊たちに目を付けられ、契約を結んだ人間以外は食べることができないという、制約を何重にも掛けられたのだ。契約を途中で覆したりなどしない。履行しなければ、好物が食べられないのだから。

 他の精霊達からも聞いた話だ。間違いはないはずだ。

『魔力を込めて我の名前を呼ぶと良い」

「シュテイン」

 闇の精霊の名前を呼んだ瞬間、ごっそりと自身の魔力が奪われる。同時に、しっかりとした何かが結ばれたという感覚も生まれた。精霊と契約した時に感じる繋がりというやつだろう。

 視界が狭まったのに気付く。シュテインは最初に言った通り、フィルの左目を喰らったようだ。これでフィルの左目は二度と何かを見ることはできない。

 だが死に戻る人生の中で、抉り取られたりだとかしたことがあるので、痛みもなく喰らうシュテインは優しい部類である。

「契約が成立したのなら、さっそくやってほしいことがある」

『何をするのだ、主よ』

「俺の義弟の居場所を探し出してくれ」

『ふむ、義弟殿か』

「腹違いの弟だ。俺と魔力の質が一部酷似しているから、見つけられるだろ」

 フィルには魔力の質の違いなんてわからないが、以前契約したことのある精霊が言っていたので、間違い無いだろう。シュテインは承知したと言うと、フィルの影へと潜った。そして影が、不自然に四方へと広がって消えていく。

『見つけたぞ、主』

 少しして、頭の中に直接響くように、シュテインの声が聞こえてきた。さすが精霊、仕事が早い。どこにいるのかと尋ねると、屋敷の裏手にあるバラ園だと答えられた。

 バラ園といっても、もう手入れなどされていない。前ブラッドリー夫人、つまりフィルの祖母にあたる人物が造らせたバラ園だが、現ブラッドリー夫人であるヴァレッサが引き継いだ後、放置されている。ヴァレッサと祖母とは折り合いが悪く、そしてバラに全く興味を持たなかったためだ。

『噴水で遊んでいる』

 シュテインの言葉を聞いて、フィルは全速力で走った。

 図書館を出て中庭を突っ切り、そのまま屋敷の外を回って裏庭へと向かった。屋敷内に戻って裏庭へ行くより早い。数えきれないほど死に戻ったフィルは、屋敷のことに精通しまくっており、最短ルートを即座に導き出せるのだ。

 それと誕生日では誰がどこにいて何が起こるかある程度は把握している。


 その中で、唯一の論外なのがエドワードだった。

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