第4話 しあわせな誕生日(1)

***



 七歳の誕生日の朝。

 フィルは絶望と共に目を覚ました。


「また同じ光景だ」


 思わず出た言葉と共に体を起こすと、熱が出ていたせいか、少しふらついた。咄嗟に己の体を支えた手は、先程までと違って幼く小さい。

「ふぎゃっ」

 体重を支えきれず、べしょっと間抜けな音とともに、フィルはベッドへと倒れ込んでしまった。急激に動いたせいか、視界が回る。このまま気を失えたらどんなに楽だろうかと、フィルは思った。


 ああ、こんなことを思うのも一体何度目だろうかと、ベッドの上で一人、頭を抱えたのであった。


 ブラットリー家はエルバル王国の重鎮で、代々騎士の家系である。フィルの父親ライオネルは王国一の騎士と呼ばれ、魔物や敵国と戦い、王国の平和を守っていた。

 そして社交界の華と呼ばれるほど美貌を誇る母親のヴァレッサは、代々続く王家にも連なる名門貴族の娘であった。


 そんな華々しい二人の間に生まれたフィルであるが、その未来はとても暗かった。


 何度も死んでやり直しているが、最後には義弟のエドワードに殺されて終わるのだ。いい加減、死に戻らないで消えてしまいたい。どうにか状況を打破したくとも、数えるのも忘れるくらい繰り返される人生の中で、フィルはほとんどやり尽くしてしまっていた。

 絶望を通り越して絶望しかなかった。


「お前! こんなところで何をしているの。さっさと出ておいき、この害虫がっ!!」


 フィルの部屋の外から、金切り声が聞こえてくる。何度も繰り返される、七歳の誕生日の朝の恒例行事だった。

 怒鳴っているのは、フィルの母親のヴァレッサだ。そして怒鳴られているのは。


「……ご、ごめんなさ……」


「ああもう、その薄汚い口を開かないでちょうだい。可愛いフィルの病気が悪化してしまうわ! 誰か、これを鞭打って追い出しておいて!!」


 穢らわしいと言い捨てられた子供は、涙を堪えながら口元をキュッと結んで立ち尽くしていた。

 幼さの残る愛らしい顔には、ヴァレッサに打たれたからか、頬が腫れて赤くなっていた。二人の間には、割れた花瓶があり、中身の水を被ったため子供は全身ずぶ濡れだった。

 普通ならそんな子供に同情するのに、ヴァレッサは鬱陶しそうに見るだけだ。そして周囲にいるメイドは、誰も子供を庇おうとしない。

 屋敷の女主人に楯突けばどうなるか、みんなわかっているからだろう。

 ヴァレッサに可哀想なまでに恫喝されている子供の名前はエドワード。フィルの腹違いの弟であった。

 そしてそれこそが、ヴァレッサがエドワードを蛇蝎の如く忌み嫌う理由である。ヴァレッサはライオネルが愛人を持ったこと、そして知らぬ間に子供までもうけたことを許しておらず、嫉妬に狂っていたのだ。


 フィルは死に戻るのを経験するまで、自分とエドワードの置かれた立場というものを、まったく理解していなかった。

 だってフィルは、両親は愛し合って結婚したものだと思って。それに自身は後継者として父に認められているものだとばかり。

 ヴァレッサは事あるごとに「正妻である私が愛されているの。プリシラとエドワードは害虫なの。優しい侯爵にすり寄る有害な連中」と幼いフィルに言って聞かせていた。使用人達は気難しい女主人を諌めることもなく、侯爵は愛人のいる別邸に入り浸り。正妻の息子の教育に関心を持たなかったため、フィルに事実を教えてくれる者なんていなかった。

 幼いフィルは母の言葉を素直に信じて、エドワードとプリシラは悪者なんだなと思った。それが、フィルにとっての真実だったのに。

 ライオネルが愛していたのは、エドワードとその母親のプリシラ。実家の権力を使って婚姻にこぎつけたヴァレッサと義務で産み落とされたフィルは、憎悪の対象でしかなかい。

 でもフィルは気付けなかった。それだけ幼く、無知だったのだ。

 義弟を虐めるのはもはや当たり前のこととなった。なにせエドワードを虐めれば虐めるほど、母に褒められ喜ばれたから。フィルは徹底的に弟を嫌い、虐め抜いた。

 七歳の誕生日である今日までも、フィルはエドワードを虐めていた。とはいえ、まだ七歳でしかなかったので、物理的な暴力は振るったことはない。玩具を取り上げて壊したり、あっちに行けと追い払う程度である。

 取り返しはつかないにしろ、ギリギリどうにかできるかもしれない。一応、血の繋がった他人くらいの距離感は保てたことがあるのだ。復讐心を燃え上がらせる決定的なことを阻止して、エドワードと縁を切る。そして死に戻るこの事態について、原因を究明しなければならない。

 もっとも数えるのをやめたくなったほど繰り返された人生で、片手間だが原因を調べてはいたけれども、何もわからなかったが。

 殺されて、痛くて苦しいのだけは回避したい。

 フィルは苦々しいものを飲み込み、扉を大きく開けて母親に声を掛けた。


「お母様」


 先ほどまで熱でうなされていたからか、フィルの声は掠れていた。けれども母プリシラには聞こえたらしい。

「まあ、私の可愛いフィル。目を覚ましたの? 横になっていなきゃダメよ」

「……もう、大丈夫です。お母様、それより」

 含みを持たせて、フィルはエドワードを見る。涙で滲んだ青い瞳と視線が絡み合った。

「今日の誕生会が楽しみです。そんなの放っておいて、お父様が喜ぶようなご馳走を一緒に考えてください」

 フィルは母の手を引き、大袈裟なほどに甘えて自室へと誘い込んだ。

 ヴァレッサはちろんよと優しい声色でフィルへ語りかけた。そしてメイドを呼ぶと、着替えと食事を持ってくるようにと命じた。もはや廊下の隅のエドワードなど見ていない。

「とっても大きなケーキが食べたいです、お母様」

「まあまあ、食欲が出てきたのね。良かったわ、可愛いフィル」

「お父様の瞳の色と同じ、赤い木の実が乗ってるケーキが良いです」

「それは素敵ね」

 ヴァレッサの腰に抱きついて甘えるふりをしながら、廊下に立ち尽くしているエドワードを見た。目が合うと、フィルは睨みながら顎を動かし、とっとと行けと無言で伝える。

 意味がわかったらしいエドワードは、脱兎の如く逃げて行った。ヴァレッサに気付かれないように、ほっと息をはく。

 ここは、これが正解だ。何度目かに死に戻った時、優しい言葉を掛けてエドワードを庇ったりしたら、碌な事にならなかった。ヴァレッサはヒステリーを起こし罵ってくるし、ライオネルからは吊し上げられ、使用人達からは頭がおかしくなったのではと噂され。やるんじゃなかったと心の底から後悔した人生であった。


 まあともかくフィルはこのまま、七歳の誕生パーティを無邪気に迎えるわけには行かない。


 なにせフィルの誕生パーティで、ヴァレッサはエドワードの母親であるプリシラを虐める気でいる。計画性のあるものじゃなく、突発的な嫌がらせである。

 息子の誕生日でやることじゃない。しかしやってしまうのがヴァレッサであった。

 ヴァレッサはプリシラを虐め貶めるのだが、その光景を見たエドワードはショックを受け、魔力を暴走させた。

 本来ならそうならないようにと、家庭教師などがついて魔力の使い方を学ぶのだけれども。エドワードがまだ幼い年齢であることと、ヴァレッサの妨害で、教師がいない。

 プリシラは王立学園を優秀な成績で卒業した才女だったが、エドワードの魔力暴走の兆候に気付けなかった。もっとも魔力暴走はそうそう滅多に起きることではないので、気付けという方が無理な話だけれども。

 魔力は使い方を見誤れば、コントロールできずに死ぬ。暴走させてしまったエドワードもそうなるはずだったが、プリシラがそれを止めた。

 暴走した魔力の衝撃波を全身で受け止めて、ボロボロになりながら、エドワードに落ち着くように諭すのだ。そし、母親を傷付けたことで正気に戻ったエドワードの魔力を制御し、プリシラは血まみれになって倒れるのである。

 その後駆けつけたライオネルの介入によって、ようやく事態が落ち着くのだ。

 この時の怪我が原因で、プリシラは体を壊しよく寝込むようになってしまった。エドワードは自分が母親を傷付けたという罪悪感と、その原因を作ったフィルとヴァレッサへの憎しみを募らせていく。


 エドワードの憎しみはわからなくもない。だがヴァレッサの嫉妬と憎悪もまた、フィルはよく理解していた。


「可愛いフィルは何を着ても似合うわね。貴方こそ侯爵家の後継者よ」

「はい、お母様」

「ふふ、良い子」


 部屋で着替えたフィルを見て、ヴァレッサが言った。

 これだけなら、一般的な貴族の母と子だろう。でもヴァレッサは、微笑んだ後で、手に持っていた扇子を握り締め、顔を歪めながら忌々しげに呟いた。

「それにしても旦那様は、どこに行ったというの。今日は大事なの誕生パーティの日だというのに……。執事、ちゃんと伝えたのでしょうね!?」

「は、はい、奥様」

「昨日の夜も来てくださらなかったわ。これもすべて、別邸に害虫がいるせい……っ。ああ、本当に腹立たしい」

 子供の前で取り繕う事なく、ヴァレッサは窓の外を睨みつけている。その視線の先には、プリシラとエドワードが暮らす別邸があった。ヴァレッサは、フィルのことなんて見ちゃいない。

「フィル、お父様は夜には帰ってくるわ。きっと貴方の誕生日プレゼントを買いに行ったのよ」

「プレゼント! たくさん欲しいです」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。フィルはあんな害虫とは違うのだから。差というものを、つけてもらわなくっちゃ」


 ヴァレッサは微笑んですぐに、眉間に皺を寄せ目を見開いた表情へと変わる。ヴァレッサは精神的にかなりギリギリなのだろう。ライオネルから愛されているということを言い聞かせて、なんとか自分を保っているように見えた。

 最初から、愛なんてものなかったのに。

 フィルもまた、ヴァレッサのように父から愛されたいと思っていた。でも愛され方など知らない。フィルが父に示した親愛は、いつだって受け入れてもらえなかった。最初のうちは傷付いていたけれど、死に戻りを繰り返していくうちに、父親に愛を求めるのが馬鹿らしいと思うようになったのだ。

 そもそも、心の底から嫌悪している人間を好きになるのは、とても難しい。一度嫌いだと思うと、何をしても気に入らないのが人の性質だ。


 父ライオネルは母ヴァレッサを嫌っている。嫌いな女から生まれたフィルなど、どうやったって愛すことなんてできやしない。


 それを理解した後は、もはや父は他人となった。フィルの中で、線引きができたといってもいい。

 するとどうだろう。今度はライオネルの、侯爵として、一人の男性としての立ち振る舞いが、どうにも駄目なんじゃないかと思えるようになった。

 ライオネルはいつも、本邸ではなく別邸に入り浸っている。フィルが生まれてからは、もう義務は終わったと言わんばかりに、ヴァレッサのもとを訪れていない。

 いくら政略結婚で、好きになれない相手だとしても、もう少しこう、取り繕ってほしいなと、フィルは思った。正妻がいるのに愛人を囲うのはまあ、権力を持つ貴族にありがちな事だ。でももう少しみんな、上手くやってると思う。

 ヴァレッサの性格を加味して隠し通して欲しい。ましてや二年くらいの差で子供を作るな。どう考えても、正妻と子供を蔑ろにし過ぎである。側近は主人に諫言ぐらいしろとフィルは思った。

 屋敷の中で正妻と愛人が日常的に歪み合うのを見て、なぜ放置するのか。しかもフィルは、誕生パーティを散々にされてしまい、恨まれて殺されるなんて始末。

 ヴァレッサが悪いのか。それともライオネルが悪いのか。

 いや大人全員が悪い。

 何も知らないエドワードも、間違ったことを教わったフィルも。子供は無関係というのならば、フィルだって関係ないはずなのに。


 本当に、痴情のもつれとやらは、当人同士で好きにやってほしい。

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