第3話 英雄を目覚めさせるな
眠っている英雄を起こすことなかれ。
そのためにフィルは、
闇の精霊が司るのは、安寧と眠り。
まさにフィルが望むもの。そして闇の精霊は、その他の精霊にはない、特別な制約が掛けられている。だからこそ、契約が覆らない。安心して自分の体を差し出せるというものだ。
シュテインは気前が良い性格だったらしく、フィルの寿命が尽きるまで使役されようと言った。その代わり、フィルの寿命が来た瞬間、体も魂も全てを喰らい尽くすという交換条件を提示された。
フィルとしては、もう七歳の誕生日に戻りたくない。
闇の精霊が魂ごと喰らって消滅させてくれたら、死に戻ることから解放されるのではないか。その可能性に気付き、フィルは大喜びでその条件を受け入れた。
もっとも断られると思っていたらしいシュテインは大層困惑していたが、知ったことではない。
***
「兄さん、一緒に帰ろう」
演習場から教室へとやってきたエドワードが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
エドワードはフィルの体を支えると、立ち上がるのを手伝おうとする。自分一人でできるというのに、エドワードはやたらとフィルの体を気遣ってくるのだ。
まあフィルの左足は、シュテインに食べられているので、動かないからというのもあるだろうけれど。
ちなみに食べられたのは、魂の部分だけ。なので外傷はないので、フィルの左足は欠損してはいない。稀に血肉を好む精霊もいて、肉体ごと魂を食べられたりもするが、シュテインの嗜好は大半の精霊寄りだった。
精霊は、人間の魔力の源たる魂を食べたがる。そして人間は、魂というものがないと、ただの肉塊となる。フィルの左足は食べられてしまったっ結果、まったく動かぬ肉塊となった。血は通っていて壊死しているわけでもないのにも関わらずだ。
納得して食べさせたので文句はないが、不便なのは確かだ。だからフィルは魔力を操作して、外部からの力で左足を操り動かしている。
ただ魔力操作はかなり疲れるので、走り回れるわけでもない。だから補助的な杖をついて歩いているのだが。
「兄さんが行きたいところへ、いつだって運んであげるのに。……いや、兄さんを運びたいな。運ばせてほしいのだけど、だめ?」
フィルより大きな図体で、体をかがめて見上げてくるとか。少しも可愛くないのだけれども、ウッと言葉に詰まってしまった。多分怖いからに違いない。
「……だめに決まってるだろ」
「ええ!? どうして?」
「お前がいない時にどこへも行けなくなる」
「…………」
ぼそりとエドワードが何かしら文句を呟いたようだが、フィルには聞こえなかった。なんて言ったんだと聞き返すも、エドワードは笑顔で何でもないと首を振って誤魔化してくる。きっと悪口に違いない。
「じゃあ兄さん、手を繋いで帰ろ」
なにがどうしてそうなった。フィルは怪訝そうな表情を隠しもせず、エドワードを見上げる。
光をうけた金色の髪が、キラキラと輝いていて眩しい。義弟の姿はどこからどう見ても、絵本から抜け出したような貴公子であった。とある事情で長年の療養を余儀なくされたため、発育不良気味のフィルとは大違いである。
「ねえ、いいでしょ。ほら、僕が杖の代わりになるから」
「あ、こら」
エドワードはフィルの右手から容易く杖を奪う。慌ててバランスを崩しかけるフィルの体を、エドワードが支えた。
がっしりと腰を掴をつかまれた上に、エドワードの右手の平に自身の手を添えることとなってしまった。とんでもない密着具合で、手を繋いで歩くというレベルじゃない気がする。
「……歩きづらい」
「そうかな。まあ良いじゃないか、兄さん。こうしてると懐かしい気分になるよね」
「お前の記憶違いでは」
「ええ!? そんなことないよ」
死に戻りを繰り返して蓄積された記憶の中でも、エドワードとこんなふうに歩いたことなんてなかったはずだが。
「さ、早く帰ろ。今日の夕食は兄さんの好物を作っておいてと、頼んであるんだ。それからね、チョコのお菓子も買ってあるよ」
「チョコが好きなのはお前だろうに」
フィルはため息を吐きながら、エドワードの好きにさせた。力ではどう足掻いてもエドワードに勝てないからだ。
それにエドワードがこのように、フィルを甲斐甲斐しく世話をするのには、理由がある。
というのも、フィルが長期療養する羽目になった直接的な原因が、エドワードにあったからだろう。これでエドワードの罪悪感が薄まるのなら、勝手にしろという投げやり感が強かった。
あと嫌がりすぎてエドワードの機嫌を損ねて、復讐心とか燃え上がられても困るので。そうなってしまうのが、一番怖い。
しかしながらエドワードは、割と、いやかなり、遠慮のない性格の持ち主だった。図太いと言っても良い。自分のやりたいことを笑顔で押し通すタイプである。
フィルが呆れた表情を浮かべながらも何も言わないと、馬車に乗る時には横抱きにして運んだ。エドワードはご満悦気味にフィルを隣に座らせて、学園であったことをあれやこれやと話している。
何でこうなったんだろうなと、エドワードの話を半分聞き流しながらフィルは呟いた。そして屋敷に着いてからも、やっぱり横抱きにされ部屋まで運ばれたのだった。本当になんでだろうか。しかもエドワードは自室に帰らず、フィルの部屋に居座っている。
「着替え手伝ってあげるね、兄さん」
「自分で出来るから」
「遠慮しないで、ね?」
屋敷内にはメイドも執事もいる。侯爵家の屋敷だから教育はそれなりに行き届いている、はずだ。後継のエドワードが大事な兄だと公言しているから、フィルは無碍に扱われることなどない。
「今の使用人達は、信頼できるけど。僕が兄さんのお手伝いをしたいんだよ」
「……はあ」
学園の制服から着替えさせられたフィルは、部屋の長椅子に腰掛けた。もちろん隣には、我が物顔でエドワードが座っている。これが今日という日だけならいいが、もうずっとエドワードはこんな感じだった。
父であるライオネル・ブラッドリー侯爵が、後継であるエドワードを執務室へ呼び寄せたとしよう。するとなぜかエドワードは、フィルを抱きかかえて一緒に連れていく。一緒にいるのが当たり前とでも言わんばかりにだ。
表情が崩れることのない父の口元が引き攣っていて、あの時のことを思い出すたびに、フィルは居た堪れなくなっている。父がなんと言おうとも、エドワードはフィルの側を離れず、最後は容認されてしまった。
そんなわけでエドワードは、フィルのそばから離れることがなくなっている。
食事の時間になると、何が面白いのかフィルのことをずっと見ているのだ。すごく怖いので、なるべく見ないようにしているが、食堂にはエドワードと二人きりなのでどうしても視界に入ってしまう。
「……見てないで、お前も食べたらどうだ」
「うん。でも兄さんがご飯を食べている姿を見ると、安心するんだ」
「おかしなもので安心するな」
「良いじゃないか、兄さん。あ、兄さん、野菜も食べなきゃだめだよ」
皿の端に避けておいたのをめざとく見つけたエドワードが、食べろと促してきた。まったくもって鬱陶しい。
「ちゃんと食べたら、食後のおやつにチョコあげるから」
「子供扱いはやめろ」
「子供じゃないなら、好き嫌いしないでしょ」
「…………っ」
ああ言えばこう言う。フィルはぐっと堪えて、渋々残した野菜を食べた。嫌いな野菜を飲み込んでから、ちらりとエドワードを見ると。やっぱり満面の笑みでフィルを見ていたのだった。怖い。
そして夜もふけ眠る時間になると、エドワードはフィルのベッドに腰掛けながら、いつもと同じことを尋ねてくる。
「兄さん、兄さん。一緒に寝ても良い?」
フィルは寝具をめくって無言で招き入れた。
フィルとしては、自分を何十回も殺したエドワードと一緒に眠るのはお断りしたい。だが実際に断ると、朝までベッド横に立っているので、そっちの方が恐怖だった。あと下手にエドワードの機嫌を損ねて殺されてるのも嫌である。
いまのところ、エドワードはやたらとフィルに懐いている。だがもし、何らかのきっかけで復讐心が燃え上がったりしたら、子供の頃に虐めていたフィルがいちばんの標的になるだろう。それだけは避けたい。
シュテインに喰われて消滅できれば良いが、できなかった場合、また七歳からやり直しなのだ。そろそろ本当に、勘弁してほしい。
ため息を吐きながら目を閉じていると、横に潜り込んだエドワードが、フィルの腰に手を回して引き寄せてきた。
「兄さんが朝、ちゃんと目を覚ますか心配なんだ。ねえ、ちゃんと起きてくれるよね。どこにも行かないよね?」
どこかすがるようなエドワードの声色に、フィルは眉を寄せる。エドワードはフィルの肩口に顔を埋めて、何度も同じことを問うのだ。これはずっと、夜になると繰り返されている慣例行事のようなものだった。
「どこに行けっていうんだ? お前が俺にブラッドリー家から出ていって欲しいのなら、話は別だが」
「そんなわけないだろ! 俺の家族は兄さんだけなんだ。ねえ、兄さん、大好きな兄さん。ずっと一緒にいようね」
「……生きている間なら」
「うん、約束だよ」
絶対にお断りしたい約束である。それにフィルに対して憎しみを抱いて殺すのは、いつだってエドワードだ。いまは上手くいっているが、いつ何時、エドワードが殺しにくるかわからない。
「……エドワード」
フィルは手を伸ばしてエドワードの頭を撫でながら、目を伏せた。十年ぶりに目を覚ましてからというもの、エドワードはずっとべったりなのだ。
なんでこうなったんだろう。
フィルは小さくため息を吐きながら、今回の人生の始まりの日を思い返した。それはフィルが十年間の眠りについた日。
数えきれないほど死に戻りを繰り返した末での、今回の人生の七歳の誕生日の日のことを。
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