第13話 清も濁もあなたのために
「もうお帰りになるのですか、カリーナ様」
「旦那様が待っているから」
カリーナ様が旦那様と住んでいらっしゃるのは帝都から馬車で一日ほどの距離にある元離宮。
皇帝と皇后が離縁できない制度の所為で国のあちこちに離宮がある。
カリーナ様はいまの旦那様に下賜されるときにメンデル伯爵位を一代限りで叙爵され、ドミトリー陛下が離宮の一つをカリーナ様に与えた。
離宮はカリーナ様と旦那様のお二人がお亡くなりになったあとに国に返却される予定らしいが、カリーナ様のお好みで改装されて威厳の欠片もない可愛らしい宮になっていたとお父様がげんなりとしていた。
「夜会で会うより、こうして二人で会うほうが気楽ね」
「私も夜会はあまり得意ではありません。成人しても最低限しか社交はしていませんでしたから」
「ヴィッキーもアレックも過保護だもの。あなたが産まれたときもね、娘は嫁にやらんってあの無表情で言うのよ、笑っちゃうでしょう」
さすが「あの人は苦手だ」とお父様に怖気つかせるだけはある。
「皇妃になるという令嬢はまだ現れないのですって? ニックさんたら、あまりモテないのね」
……「ニックさん」。
「皇妃というのも考えようによっては悪い立場じゃないのに。皇后と違って子を産む以外の義務はないし、子ができないとかで奥宮を出ることになっても身一つじゃないわ。私なんて素敵な旦那様と可愛らしい宮殿、そして一生食べるに困らないお金をもらって宮を出たのよ」
好きじゃない男に嫁ぐなんて貴族令嬢にとってはよくあることだし、とカリーナ様は笑う。
カリーナ様を「好き勝手に生きている自由人」という人は多いが、カリーナ様には強い貴族の矜持がある。お父様でさえも「帝国語をしゃべる不思議な生き物」なんて言いつつ、カリーナ様のしなやかな貴族の女性らしい在り方に敬意を払っている。
「ねえ、シアちゃんはニックさんのことが許せない?」
「いいえ」
カリーナ様がどのことを聞いているのか分からないが、陛下のしたことで許せないことはない。
「夫が隠し子を連れてきたことは怒っていい案件だと思うけれど?」
「ミハイル殿下が産まれたのは私が皇后になる前のことですし」
面倒なことができたとは思ったけれど怒りはない。
陛下とナシャータが婚約した経緯を思えば婚約期間も夜を共にしていただろう。
「それじゃあ、あのことは?」
あのこと、と言われて私の心臓は大きく跳ねたが何ごともなかったかのように微笑む。
感情を隠す微笑みを浮かべることが貴族への道の第一歩。
「怒っていませんわ」
「シアちゃんは怒る権利があるわ。知らないとはいえ、そのあとのニックさんの態度もよくないし」
「あのことは陛下も被害者なので」
私は純然たる被害者ではない。
陛下が何も知らないのをいいことに彼の皇后の座をつかんだ。
陛下は私が媚薬を盛ったと思っているが、盛ったのは私ではない。
そして私ではない以上、あの媚薬を盛ったの誰であれ指示なさったのは先帝陛下だろう。
先帝陛下は悪人ではない。
だからカリーナ様がそれを知っているのは、先帝陛下が話したからに違いない。
先帝陛下は誰かに怒ってほしかったのかもしれない。
あのとき私もお父様も沈黙を選び、先帝陛下を怒ることはしなかった。
私が沈黙を選んだのは国への忠義などではない。
あのときが陛下の皇后になれる唯一のチャンスだったからだ。
だって陛下はあのとき皇后になる令嬢を探していた。
その手伝いを私自身がしていた。
どうして私では駄目なのかと何度も思った。
「彼女はどうだろう」と無神経に私に聞く陛下に尋ねたいと何度も思った。
私はペトロフで、一時は陛下の婚約者になりかけた。
年齢だって当時は二十四歳と十九歳、見た目も精神的にも大した差ではないはずだった。
せめて陛下のお后探しを断ればいいのに、そんなことはできない。
だって私は陛下の傍にいたかった。
その結果がいまの状態。
でもこの状況は国として最良ではないが悪くもない。
私はペトロフは皇族の希望を叶えるために在る家の娘。
皇帝のために綺麗事を並び立てることも、密やかに政敵を排除するだけの力がある。
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