第10話 愛されない皇后の棲家
奥宮のことを陛下に進言すると、陛下は奥宮を運営するための予算案と共に承認してくれた。
「奥宮についてはもう噂されている?」
「特に緘口令は敷いていないのでどんどん広がっています」
人の口には戸が立てられないのだから噂が広がるのを止めるほど面倒で無駄なものはなく、皇妃候補になれない理由を問い詰めてくる方の相手をしたほうが楽だ。
「これで皇妃候補の家たちも前向きになってくれればいいけれど」
皇妃候補として選ばれた家には有象無象が群がるだろうけれど、どの当主も適当に裁くだけの手腕はあるはず。
それができなかったり、人に
「シエル宮は意外ときれいね」
「先帝陛下が譲位なさるまで使われていましたから」
シエル宮は内宮から居を移す皇后の新しい住まい。
一応皇后は正妻なので他の皇妃たちが暮らすルチル宮とは別の宮が与えられている。
「三代前の皇帝陛下がシエル宮を作るまでは皇后も皇妃たちと一緒にルチル宮にいたのよね」
三代前のグレンスキー皇帝は平民向けの通俗小説でよく出てくる方だ。
彼にはのちに皇后となる婚約者がいたが、のちに愛妾となる子爵令嬢を真実の愛と言って寵愛した。
彼の子どもたちは全員その愛妾から生まれている。
次に皇帝となったペトロフ皇帝もこの愛妾の子どもだった。
グレンスキー皇帝は一途だと平民の間では人気があるが、貴族の間では迷惑な皇帝と認識されている。
グレンスキー皇帝が崩御されたあとに皇帝になったペトロフ皇帝の時代、このロシャーナ帝国はグレンスキー皇帝の愛妾の専横と皇帝の力不足で荒れた。
皇后ソフィーナはグレンスキー皇帝が崩御される前に儚くなっており、一人残った愛妾は皇帝の母であるからという理由でそのまま城に残り権力に溺れ、そんな母をペトロフ皇帝は止めることができなかったのだ。
ペトロフ皇帝は色々足りない皇帝だった。
そのため彼は国内でも国外でも舐められ、国は荒れて多くの貴族が他国との戦争や国内の政争で身内を失くしている。
ミハイル殿下が皇太子になることをこの国の貴族たちが認めないのはこの歴史が原因だ。
「グレンスキー皇帝はよほど皇后を疎んじていたのね」
グレンスキー皇帝にとって皇后ソフィーナ様は形だけの妻。
皇后ソフィーナのために作られた西端のシエル宮は建物の影になって暗くなるのが早く、皇帝が自分の真実の愛の邪魔者だと感じていたことを想像させられる。
「しかし南側に広がる大きな庭園は見事ではありませんか。先の皇后様はあまり利用されなかったようですが、グレンスキー皇帝はこの庭の造園にかなりのお金をかけたそうですよ」
ソフィーナ皇后は花好きとして知られており、あの時代に作られた公園が帝都のあちこちにある。
愛さず、子も産ませず、飼い殺しにして薄暗い宮に追いやった
「あちらの温室は夜でも花を楽しめるそうです」
聞けば温室には魔石をエネルギーにして温度を保つ魔道具と光る魔導灯がいくつも設置されていて、夜でも昼と変わらない明るさだとか。
そして皇后ソフィーナは常に春のような温かさを保つあの温室が好きで、シエル宮で過ごすときは大体この温室にいたらしい。
***
「皇后陛下にご挨拶いたします」
「今日はありがとう。足の調子はどうかしら、つらいならイスを用意するけれど」
女官長が連れてきた老婆が首を横に振る。
杖はついているが背筋は伸びていて、凛とした雰囲気のあるこの老婆は元女官長で普段は城の奥にある邸宅で暮らしている。
女官長という立場は色々な機密に関与するため、退官しても城を出ることが許されず与えられた館で一生を過ごす。
国に殉じるという意味では皇后と同じ、それができる者しか女官長にはなれない。
「お人払いを」
「私たちだけにして、全員この奥宮から出ていきなさい。近衛騎士隊長、入口の監視をお願いいたします」
これから秘密通路を私は元女官長から教えてもらう。
緊急時に皇族が逃げる秘密通路は女官長が口伝で伝えられるもので、女官長は既に知っていたが全女官長の介助のために同行してくれる。
「秘密通路があるのはシエル宮だけ?」
「いまはそうです。以前にはルチア宮にもありましたが、それまで皇后がお使いになっていたシエルの間が閉鎖されるときに埋められたと聞いています」
シエル宮ができて皇后が出ていくと、例の真実の愛の愛妾は元皇后の部屋をルチルの間として長くそこで暮らし続けた。
その愛妾が亡くなってずっとルチルの間は空き部屋だったが、先代皇帝の皇妃はお一人だったので一番広いそこが与えられたと聞いている。
「皇妃たちに差ができないよう、今代はルチルの間は使用しないことにするわ。秘密通路のこともあるから扉には頑丈な鍵を取り付けておきましょう」
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