第7話 当たり前と思っていた(ニコライ)

「宰相と話す時間を作ってくれ」


 侍従長が政務室を出ると、俺は姿勢を崩して椅子の背にもたれる。


 机の上には皇后から提出された皇妃候補の令嬢のリスト。

 俺とは少々年齢は離れているがそれでも問題なしと判断されたのは一番の目的が俺の子をなすことだからだろう。


「子ども、か」


 二ヶ月前、ナターシャが俺の子だという子どもを連れて城にきた。

 死んだと思っていたナターシャとの再会に動揺はしたが、驚きや戸惑いはあったものの不思議とそれ以外の気持ちは湧かなかった。


 怪我をして動けなかったときはナターシャに傍にいてほしいと思ったし、ナターシャが死んだと聞いてから暫くは見舞いの花や菓子を見て「ナターシャが好きだったな」と彼女を思い出したりもしていた。


 いつの間にかナターシャのことを考えることはだんだん無くなり、思い出せることがどんどん減っていった。


 久しぶりに見たナターシャの姿に、彼女はこんな女性だったかと思わず首を傾げた。

 自分に正直になれば、なぜこんな欲深さの滲み出る女性に惹かれたのか心底不思議だった。


 ナターシャを連れてきたザイツェ侯爵は俺がまた彼女を寵愛することを期待したのだろう。

 飾り立てられた彼女は俺と二人きりになると涙を流しながら宰相と皇后の悪事を訴え、今でも変わらず愛しているとしな垂れかかってきたが心は一切揺れなかった。


 ――― この首飾りを覚えていますか?


 俺に昔を懐かしませようと思ったらしく、以前いつも付けていた首飾りを俺に見せつけたが懐かしさも何も感じなかった。



 ペトロフ侯爵家に命を狙われて隣国に逃げたと言うナターシャの証言を信じていない。


 ペトロフ侯爵は目的のためなら一切容赦しないし、失敗もしない。

 俺だけでなく宰相を知る者なら誰も信じない、誰も裏取りの調査を薦めてこないのがその証拠だ。


 ナターシャは怪我をして歩くこともできなくなった俺に将来はないとみて姿を消したのだろう。

 ナターシャが俺の思うような女性ではないことは婚約中にも感じていたが、若くして死んでしまったことで俺は記憶の中のナターシャを美化し過ぎていたようだ。


 婚約中にもナターシャには男がいた。

 それも複数人。


 当時から宰相はそれを知っており、ナターシャが子どもを俺の子だと主張したときに当時の調査書を俺に渡し、神官数人による鑑定を手配した。


 調査書を見てなぜ当時にこれを教えなかったのかと宰相を責めたが、「皇族かどうかは鑑定で分かるから国に問題はない」と言い切られた。


 皇族の血を持つハトコのセルゲイもナターシャと男女の関係だったようだが、俺と同時期にセルゲイがナターシャと関係を持たないように厳しく監視していたらしいし、そもそもナターシャがいなくなる半年前からセルゲイは南方地域で豪遊していたから子どもの父親の可能性はない。



 鑑定魔法で皇族と認められたあと、ナターシャは何度も俺に会おうとしたが忙しさを理由に会うことはなかった。

 避けていると思われるのは重々承知、しかし今さら話すことなど何もない。


 愛情はもちろん俺を裏切っていたことへの恨み言すら湧かない。

 おかしなくらい情がわかない。


 それよりも気になるのは皇后のこと。

 自分のナターシャへの気持ちを思い返すたびに、俺の心は皇后の温度のない目で占められる。



 あの日、ミハイルを第一皇子にするという書類を渡した日に皇后は変わった。


 変わったとしても、宰相流に言えば国に一切の問題はない。

 皇后は怪我をした当日こそ政務を休んだが、翌日から復帰して俺の期待以上にミハイルの環境を第一皇子に相応しいものに整えた。


 今月は多忙のあまり以前から取り決めていた房事は中止したが、「今夜はいけない」という俺の言葉に対する皇后の言葉はいつも通り「分かりました」というものだった。


 気が進まないのなら暫くはやめようかと提案しかけたが、それは止めた。


 俺も皇后も気分で房事を拒絶できる立場ではない。

 ミハイルが第一皇子となればなおさら皇太子に相応しい皇子が必要で、ペトロフの皇后が産む皇子以上の皇太子はいない。


 鑑定魔法と状況的なものからミハイルは俺の子。

 俺に皇后がいる以上はミハイルを第一皇子とするには皇后の認知が必要、しかし俺はそれを皇后に相談せず決定事項として皇后に告げた。


 彼女なら反対しない、彼女に甘えて現実から逃げているのは重々承知だ。


 皇后に皇妃を娶るよう薦められて、彼女の想いに胡坐をかいていたことに気づいた。

 己の傲慢さに反吐が出る。



 ***



「お呼びでしょうか」

「宰相、皇妃についての意見を聞きたい」


 俺の言葉に宰相はふっと鼻で笑う。

 傍に控えた侍従長の顔が青いが、おそらく俺も似たような顔色だろう。


「そういうことは嫁の父親ではなくご自身の父親に相談してください。手紙を出したので直ぐにいらっしゃるでしょう」


 宰相の言葉通り、先の皇帝でありいまは離宮で暮らしている父上が五分もたたずにやってきた。


「ニコライ、どうかこれ以上アナスタシアを無下に扱うのはやめてくれ……全ては私のせいなのだ」


 そう言って突然土下座する父上に俺は驚いた。

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