第5話 次代の皇帝を産む重圧

 ―――私は石女なのでしょう?


 皇后としては可愛い仕返しだろう。

 お父様の怒気混じりの圧で顔色が悪い方々の自業自得、同情はしない。


 見渡す限り顔色の悪い方々の向こう、末席のザイツェ伯爵が手を挙げているので発言の許可を陛下が出せば光栄とばかりに大仰に礼をする。


「発言の許可をありがとうございます。皇妃候補者のリストにはありませんが、ポポフ女男爵はいかがでしょうか」



 ザイツェ伯爵は空気を読まない勇者なのか、空気を読めない愚者なのか。


 ポポフ女男爵つまりナターシャの産んだミハイル殿下は皇太子になれないから、こうして皇太子を産める皇妃を選出したのだ。


「ザイツェ伯爵、貴殿は帝国語を理解できないのか?」


 お父様の冷たい声に悲鳴を上げたことで伯爵は愚者でしかないと分かった。


「貴殿にも分かるように言えばミハイル殿下を皇太子になどすれば国内は荒れ、他国に付け入る隙を与えてしまう。殿下の才覚など関係ない、産んだ母がポポフ女男爵であることがその理由だ」


 生母とその実家は皇子や皇女の後ろ盾。

 皇后は未来の皇帝たる皇太子の後ろ盾に相応しい者、万が一のとき他の貴族たちを黙らせて皇太子を守れる女性が選ばれている。


 しかし後ろ盾の資格があるからと言って必ず子を授かれるわけではなく、その代わりとなるのが皇妃だ。


 皇妃にはそれだけの家格と本人の才覚が求められ、皇后を立てることができる性格でなければならない。



「皇帝が税金で愛欲だのを満たすことは許されない。陛下がポポフ女男爵を召し抱えるならばご自身のお金で養っていただきます」


 皇帝の個人資産で養う女性、つまりナターシャはなれても愛妾ということだ。

 威圧感のあるお父様の声に陛下は少し気圧された表情であったが厳かに頷く。


「し、しかし、愛妾など、ポポフ女男爵はミハイル第一皇子殿下の母君ですぞ」

「貴殿は阿呆か」


 とうとう阿呆って言っちゃった。

 書記官の手が一瞬止まり、迷った素振りを見せたあとに納得したように頷いて再びペンを動かし始める。


 議事録に「阿呆」って書いたのかしら。


「だから困ったことになっているんだろうが!」


 その通りなのだけれど……後の世の皇帝がこの議事録を読んでご自分の私生活を見直してくれればいいわね。


 ***


「会議、お疲れ様でした」


 侍女のオリガ以外を外に出した執務室で机に突っ伏していると、オリガの労る声が紅茶の香りとともに届く。


 オリガはペトロフ侯爵邸から連れてきた専任の侍女で、護衛もできるためオリガがいれば護衛も廊下に出てくれる。


「本当に疲れたわ」


 姉のように思うオリガに甘えて弱音を吐けば紅茶が置かれ、それを一口飲めばいつもより少し甘い。


 もう一踏ん張り、頑張れと言うことだろう。

 その通りだから黙って糖分でエネルギーを補給した。



 紅茶を飲み終わった頃に扉がノックされ、侍従が陛下からの手紙を持ってきた。

 中身を確認すれば予想通り皇妃の件について話したいとのこと、「いつでも都合のいいときに呼んでください」という内容の手紙を認める。


 その手紙を渡そうとして、思わず使いの侍従の顔を必要以上に見てしまった。

 眼鏡と少し長い前髪で見えづらい細い目が驚きに揺れ、次の瞬間嬉しそうに曲線を描く。

 

「お久しぶりでございます」

「久しぶりね、ノクト。確か小母様の看病のためにずっと休みを取っていたのよね。いつ王都に?」


「私のような者の予定など覚えていてくださって嬉しいです。一昨日戻りました」

「戻ってきてこの騒ぎだもの、驚いたでしょう?」

 

 ノクトは学院時代に陛下と首席を争っていたとかで交流が深く、それが縁で陛下の専属侍従をしている。

 子爵家の出だが三男なので後継ぎ問題に関係なく気楽に城勤めを満喫していると言っていた気がする。


「半年も留守にしてしまいましたから」


 ノクトとは怪我をした陛下を見舞ったときに初めて会い、そして喝を入れた者たちの一人。


 その縁がいまでも続き、時折話すこともあったが―――。


「雰囲気が少し変わったように見えるけれど、何かいいことがあったのかしら?」

「色々ありまして」


 意味ありげな回答をするノクトと目が合って、そういえばこんな風に何度も目が合うのは初めてだと思うと同時に、いけないことをしているような妙な気分になり扇子を広げてわずかに視線をずらした。


「皇后陛下、ノクト様からこちらを頂きました」

「まあ、何かしら」


 扇子を広げたことでオリガが話に割り込み話題を変える。


「お土産です」

「ありがとう。オリガ、開けて頂戴」


 オリガが丁寧にリボンを解くと、中から羊を模した縫いぐるみが出てきた。


「行った先が魔羊の放牧が盛んな地域でして、魔羊の毛皮は頑丈なのでサンドバッグにしても大丈夫ですよ」


 可愛らしい縫いぐるみを殴るほどストレスが溜まっているように見えるのだろうか。


「ありがとう」

「このくらいしかできないのが不甲斐ないです」


 ノクトはいつも陛下に代わって色々気を使ってくれる優しい人だ。


「羊は悪夢から守ってくれるそうです」


 男性から贈られたものを寝室に置くのは悪い噂のもとになりかねないので、オリガしかいないが一応念を押しておく。


「とても可愛らしいから癒しが必要なこの部屋に飾らせていただくわ。どうもありがとう」


 その言葉に笑うだけのノクトに再び得も知れぬ何かを感じ、丹田に力を込めて強く顎を引いた。


「仕事が残っているの、陛下へのお手紙をお願いね」

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