第2話 ヌトリウム王国とビタリナの日常

ヌトリウム王国――この国は豊かな自然と清らかな水が流れる、広大な王国だ。国土の中央にそびえるのはゼンケリウム城。国王であるオメガリー王が住むその城は、聖女たちが活動する中心でもある。城の周囲には壮麗な建築物が立ち並び、その中でもひときわ目を引くのがマグネシオン大聖堂だ。聖女として認定された者がその力を捧げ、祈りと奇跡を通じて国を守護する神聖な場所である。


だが、この国はいつも平穏であるわけではない。隣国との軋轢や、闇の組織「ノクス」の影響によって不安が広がることも多い。近年、王国を取り巻く情勢は急激に変わり始め、聖女や騎士たちの力がますます重要視されるようになっていた。


そんな世界の中心から遠く離れた小さな村――ここでビタリナは穏やかな生活を送っていた。


「ねえ、ビタリナ! 今日もお祈り、しっかりやってる?」


村の友人、カロリナが元気よく声をかけてくる。カロリナの黒髪が風に揺れているのを、ビタリナはちらりと横目で見た。


「うん、もちろん。でもね、今日のお祈りはなんだか、ちょっと不思議な感じがしたのよ」


「へえ! どんな感じ?」


ビタリナは少し考え込むようにして、指先で髪をくるくると弄ぶ。


「うーん……なんていうか、いつもより強く神様の気配を感じた気がするの。まるで、私に何か伝えたいことがあるみたいな……」


「ふーん。ビタリナ、やっぱり村一番の信仰心だね!」カロリナは笑顔を浮かべて言った。「まあ、私なんて毎日お祈りしても特に何も感じないけどね!」


「そんなことないよ、カロリナだっていつも真剣にお祈りしてるじゃない?」


「はは、まあね。でも、ビタリナみたいに神様に近づけるとは思わないなあ。聖女になれたらすごいけど、そんなの夢のまた夢だもんね」


「そうだね……」ビタリナは微笑んで、少し遠くを見るように目を細めた。聖女――それはこの国で最も尊敬される存在。ビタリナも幼い頃からその憧れを抱いていたが、自分がその一員になれるとは夢にも思っていなかった。


ビタリナの生活は、村の神殿で祈りを捧げる日々だ。日の出と共に起き、神殿に向かい、ひたすら神に祈る。村の人々は彼女を信心深い娘として尊敬していたが、それ以上に目立つことは何もない、ごく普通の生活だった。


その日の朝、ビタリナはいつも通り、神殿の扉を押し開けた。


「ギィィ……」と軋む音を立て、扉が開く。中には、静寂と冷たい空気が漂っていた。神殿の中は狭く、中央には小さな祭壇が一つだけ置かれている。その前に座り、ビタリナはゆっくりと目を閉じた。


「神様……今日も、私を見守っていてください」


彼女の祈りは毎日同じだ。何も変わらない、ただ静かで穏やかな時間が流れていく。だが、その日は少しだけ違った。


「……?」


ビタリナの手に、ほんの一瞬、温かい何かが触れた気がした。それは風でもなく、光でもなく、ただ心の中に響く小さな感覚。彼女は驚いて手を見つめたが、何も変わった様子はなかった。


「……気のせい、かな?」


首をかしげながら、ビタリナは再び祈りに集中した。だが、その感覚が頭から離れない。まるで誰かが彼女を呼んでいるような、そんな不思議な気配だった。


昼下がり、ビタリナは村の広場でいつものように村の人々と挨拶を交わしていた。


「ビタリナちゃん、今日もいい天気だねぇ!」


「おはよう、ビタリナ! また神殿に行くの?」


村の人々に愛され、優しく声をかけられるのがビタリナの日常だった。彼女はそれに微笑みながら応じる。


「はい、今日は少しお掃除もしてから帰ろうと思います」


「いつもお疲れ様ねぇ、本当にビタリナちゃんには感謝してるよ!」


そんな日常がずっと続くと思っていた。穏やかな時間、愛する村の人々、そして静かな神殿での祈り……。


だが、すべてが変わるきっかけとなる手紙が届いたのは、ちょうどその日の午後だった。


「……聖女試験?」


ビタリナは目を丸くして手紙を見つめた。王国から送られてきた手紙には、彼女が聖女試験への参加資格を得たことが書かれていた。


「……そんな、私が?」


驚きと戸惑いが入り混じり、ビタリナは手紙を何度も読み返す。村の神殿でただ静かに祈るだけの彼女が、聖女試験に選ばれるなんて、夢のような話だった。


「でも……私にそんな力があるわけ……」


自分の力に自信がないビタリナは、心の中で何度もため息をついた。


「ビタリナ!」


そこへ、カロリナが息を切らして駆け寄ってくる。


「聞いたわよ! あんた、聖女試験に出るんだって!?」


「え、ええ……でも、私にできるかどうか……」


「何言ってるのよ! あんたなら絶対に大丈夫よ! だって、あの村一番の信心深いビタリナだもん! 絶対に合格するに決まってるわ!」


カロリナはビタリナの肩を叩きながら笑顔で言うが、ビタリナはまだ信じられなかった。


「……ありがとう。でも、本当に私が聖女になれるなんて……」


心の奥底で、自分がどこか違う運命を辿るかもしれないという不安がくすぶり始める。ビタリナは知らなかった。この手紙が、彼女の人生を大きく変える運命の始まりであることを。

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