百合の一幕 放課後の家庭科室

坂餅

野菜炒め

 家庭科部の活動は週二回。部員は部長である三年生のここねと、副部長の二年生が一人、新入部員の一年生が三人の計五人。 活動内容は、簡単なお菓子作りや裁縫など、そしてそれを文化祭で販売したりする。


 活動場所は家庭科室だが、裁縫などは家でもできるため、文化祭前などの時期ではないと部員全員家が庭科室に揃うことは無い。


 最後に全員揃ったのは、四月に開催した新入部員歓迎会という名のお茶会だ。


 そんな家庭科室で、小動物のような思わず守ってあげたくなるで有名な家庭科部部長の芹澤せりざわここねは、来客にインスタントのコーヒーを入れていた。


「はい、真奈まなちゃん」

「ありがとう」

「今日は一人なのね」


 家庭科室の大きなテーブルには部長のここねと、部員ではないが、ここねの彼女で、ここねは世界で一番可愛い、でこの一年やっていこうと考えている柏木菜々美かしわぎななみが並び、来客である津村つむら真奈が向かいに座っている。


「あの保健委員に凛空りくが取られたと言いたいの?」


 菜々美の言葉に泥沼から這い出る腕のような声で言い、クマの凄い目に憎しみの感情を込めて睨む。


「言っていて辛くなるのは真奈の方だと思うわよ」

「…………」


 黙って顔を逸らした真奈の、アシンメトリーになっている黒髪から覗くピアスがキラリと蛍光灯の光を反射し、捕食者の鋭い眼光のように菜々美に突き刺さる。


 そんななんとも言えない、重くもない微妙な空気の中、黙って二人のやり取りを聞いていたここねが口を開いた。


「どうしたの? 真奈ちゃん一人でここに来るなんて」


 真奈はいつも大河たいが凛空という非力で頭のいいギャルに憑りつく霊のようにべったりなのだが、今日は一人なのだ。


 首をかしげたここねのサイドテールがぴょこんと揺れる。


「凛空のために……家庭技能を身に付けたいから」

「花嫁修業だね!」

「花嫁……⁉」


 ここねの言葉に、雷に打たれたような衝撃を受けた真奈の動きが停止する。


 小柄なここねはテーブルの上に身を乗り出し、真奈の目の前で手を振る。


「固まっちゃった……」


 そして真奈が固まっているのをいいことに、隣で座る菜々美に抱きつく。


「菜々美ちゃん大好き!」

「あああああ⁉」


 顔を赤くした菜々美の絶叫で、再び動き出した真奈。その一瞬で菜々美から離れたここねは何事もなかったかのように続ける。


「じゃあ料理にする? 裁縫でも大丈夫だよ?」

「…………料理が苦手。だから料理」


 快く承諾したここねが、早速始めようと立ち上がる。


「はーい、じゃあ準備から始めよっか。あっ、菜々美ちゃんは見ててね!」

「ええ……味見は任せなさい……」


 荒い息をつきながらテーブルに突っ伏す菜々美である。



「じゃあ今日は、簡単な物を作ろっか」

「うん」


 真奈を連れて歩く小柄なここねという図、そこからここねの姿だけを切り取り、真奈の位置に自分を立たせる。


「ふふっ」


 そんな妄想をしている菜々美をよそに、二人は準備室に入って冷蔵庫の前に立つ。冷蔵庫内をザっと確認したここねが真奈を見る。


「どれぐらい苦手なの?」

「切るのは問題無い……焼き加減とか、味付けとか……そういうのが苦手」

「なるほど……」


 それを聞いてここねがなにを作るかを考える。真奈の苦手を克服するためにうってつけのメニューはなにか――。


「じゃあこれにしよっか」


 材料を取ったここねが真奈と一緒に戻ってきた。


 その手には焼肉のタレと玉ねぎと人参が一つずつ、真奈の手には半玉のキャベツともやし一袋、それにブロックの牛肉があった。


「牛肉なんてあるだ……」

「うん! 家から持ってきてたんだあ」

「そう」


 菜々美に振舞うため家から持って来ていた牛肉、野菜炒めで全て使うつもりは無いため、菜々美に振舞う分の心配はいらない。


「今から野菜炒めを作ります」


 菜々美から少し離れた場所のテーブルをアルコールスプレーを吹きかけて拭き、材料を広げる。


 まな板を肉用と野菜用の二つ出し、包丁も肉用と野菜用の二つ出す。


 まずは牛肉を使う分だけ切り分けたここね。残った牛肉はすぐにラップで包み、トレーに乗せて冷蔵庫に持って行く。肉を切った後、手を洗うのも忘れない。


「真奈ちゃん、野菜炒めは作ったことある?」

「無い」

「そうなんだ。簡単にできるんだよ」


 こくりと頷いた真奈に野菜を渡す。


「じゃあまずは野菜を切っていこっか。キャベツはひと口大で、玉ねぎはくし形、にんじんは短冊切りだよ!」


 切ることに関しては問題無いと言っている真奈、切り方は心得ているはずだと予想する。


「分かった」


 ここねの予想通り、真奈は言われた通りの切り方で野菜を切っていく。それはもう凄まじい速度でここねよりも早い、マシンガンのような音を立てて切っていた。


 遠くでその様子を見ていた菜々美は目を擦る。なにが起きたのかもう一度確認する前に、野菜は全て切り終えていた。しかし――。


「あっ……、真奈ちゃん。野菜は洗って、人参と玉ねぎは皮を剝かないと。ごめんね言ってなくて」


 切ることに関しては問題無くても、やはり料理は得意でないようだ。


 牛肉を薄く切り終えていたここねは、フライパンに牛肉を入れて真奈のサポートに行く。


 どうすればいいのか固まっている真奈の隣に立ち、切られてトレーに待機している野菜を見る。


「人参はいけるけど、タマネギだけは皮を剥こっか」


 そう言ってくし形に切られた玉ねぎの茶色い皮を丁寧に取り除くここね。真奈も一緒に剥いていく。


「人参は……?」

「その薄さだったら気にならないと思うから大丈夫だよ。それに、その薄さじゃもう皮も剥けないと思うし」


 綺麗に短冊切りにされた人参の皮を剥けと言われてももうできない――はずなのだが。


「問題無い」


 そう言った真奈は短冊切りにされた人参を掴んで宙へ放ち、手に持った包丁を動かした。


 まな板に着地した人参の隣に、薄く細い人参も着地した。


「削いだ」

「わあ、凄い!」


 短冊切りにされた人参の皮だけを宙で削ぎ落すという真奈の神業を見たここねが目を輝かせる。


 そんな神業をもう一度。


「真奈ちゃん凄いよ!」


 遠くで見ていた菜々美は、なにがあったのかと目を擦ったが、その時に二回目の神業は披露されていたらしく、見ることは叶わなかった。


 これでできていなかった下処理は終わった。後は適当にキャベツともやしを水で洗う。


「じゃあ焼いていこっか」


 コンロの上にフライパンを置いたここね、この先を真奈にやってもらう。


「焼き加減や味付けは心配しなくても大丈夫だよ、最悪お肉に火さえ通っていれば大丈夫だから!」


 グッと両手を握りしめるここね。


 真奈は無言で頷くとフライパンの前に立つ。


「とりあえず油引いてからお肉焼いちゃおっか」


 サラダ油を持って来たここね、それを真奈に渡す。


「量は?」

「適当だよ」

「………………」

「五百円玉二枚分ぐらい」

「分かった」


 言われた通り、サラダ油をフライパンに五百円玉二枚分の量入れる真奈。


「じゃあ火をかけて、フライパンを温めよっか。中火だよ」


 カチカチカチと音を立てて火が点く。フライパンに手をかざして、十分温まったことを確認した真奈。ここねの指示を仰ぎ、牛肉を入れる。


 じゅうじゅう音を立て、遠くにいる菜々美の方まで牛肉の焼けた匂いが広がる。


「いい匂いね」


 そんな菜々美ににっこりと笑いかけるここね。


芹澤せりざわ、どうすれば」


 真奈に呼ばれて引き続き指示を出す。


「とりあえず表面の色変わるまでだね、色が変われば野菜を――硬い人参から入れてね」


 言われた通りに菜箸を使って牛肉を焼いていく。すぐに表面の色が変わり、真奈は指示通りに人参をフライパンに入れる。


「これはどのくらい?」

「うーん……持ち上げて少ししなるぐらいかな」


 他の野菜を入れてからも炒めるため、サッと適当に炒めてでもいいのだが、焼き加減を見るのが苦手な真奈にはそう伝えた方がよかっただろう。


「なるほど……」

「そしたら、次は玉ねぎとキャベツともやしをいれて、いい感じに炒めます」

「順番は?」

「全部柔らかいから適当で大丈夫だよ」

「そう……」


 言われた通りに残りの野菜を入れる。


「底のお肉と入れ替えてね」


 火が通りすぎないよう、底にある牛肉は入れた野菜の上に乗せる。水分の多い野菜が中に入ったことにより、じゅうっと焼ける音が大きくなる。


「炒めてしんなりしてきたらタレをかけて完成だよ」


 しばらくの間真奈が炒めるていると、キャベツに火が通り嵩が減ってくる。もやしと玉ねぎも透明になってきており、もう味付けをしても大丈夫だ。


「はい、焼き肉のタレ」


 焼き肉のタレをかければ味は間違いない。味付けも苦手な真奈でも美味しい物を作ることができる。


「最初は少なくかけて、薄かったらその都度足していけばいいよ」


 手作りのタレとは違い、焼き肉のタレのような市販品ならばそれ一本で味付けが完結するため、足すことは容易だ。


 真奈は素直に、ここねの言う通り少なくかける。そして炒めて全体に味を絡める。キャベツを一つ食べ、味が薄かったのか、再びタレをかける。


「キャベツとかの水分が出ちゃってなかなか味がつかないよね」


 ここねに見守られながら真奈は味付けをしていく。


 その様子を遠くから見ていた菜々美の下まで、焼き肉のタレの匂いが届く。その匂いを嗅いでよだれが溢れそうになる菜々美である。


 そしてようやく納得のいく味付けにできた真奈。


「芹澤、凛空に持って行く」


 お皿を持って来たここねに言う。


「そっか、じゃあ使い捨て容器に入れる?」

「お願い」


 皿をしまい、その代わりに使い捨ての耐熱容器を二つ持って来る。


「ありがとう」


 貰った容器に野菜炒めを入れる。


「後は片付けだね」

「うん」

「まずはフライパンとか、野菜を切るのに使った物を洗おっか」


 使ったものを手早く洗っていく。


 野菜に使った物を洗い終えた後水切り籠に入れる。続いて肉を切った包丁とまな板も洗い、それらを洗う時にはスポンジを変えるのだ。


 真奈が洗っている間に鍋に水を張って湯を沸かしていたここね。


「お肉に使った包丁とまな板、スポンジもそのままだよ」


 沸いた湯を持ってき、シンクの中に置いてある器具類にかけ、脂を流しきる。包丁やまな板は後で殺菌庫に入れるため、この場で殺菌処理はしなくても大丈夫だ。煮沸消毒はスポンジだけで十分なのだ。


 片付けをすべて終えた真奈とここねが戻ってくる。


「終わったよー」


 二つに分けた野菜炒め、一つはここねと菜々美の分だと言って分けてくれたのだ。


「後でわたし達も食べよっか」

「ええ。真奈、ありがとう」

「礼を言うのはワタシの方。ありがとう、上手くできた」

「凛空ちゃん喜んでくれるといいね」


 ここねが微笑みかけると、常に憎しみを宿し、嫉妬の色に染まる眼が僅かに柔らかくなる。コクリと黙って頷く姿がいじらしく愛らしい。


 真奈はすぐに凛空の下へ行くとのことで、割り箸を二膳渡して送り出す。


「改めて、今日はありがとう」

「うん、また来てねー」

「じゃあね」


 手を振って真奈を見送る。


 そして真奈を見送り、約一時間ぶりに二人きりになった家庭科室。


「わたし達も食べよっか」

「そうね、お腹すいていたのよ」

「えへへ、わたしも!」


 二人で隣り合って席に着き、貰った野菜炒めを頂くことにする。まだほのかに立つ湯気に乗り、焼き肉のタレの間違いない美味しさの匂いがする。


「白米が欲しくなるわね」

「さすがにご飯は炊いてないかな」


 ごめんね、と笑うここねと野菜炒めを食べる。


 柔らかい肉、しなっとした野菜、それらを焼き肉のタレが包み込む。


 やはり焼き肉のタレ、間違いない。


「焼き肉のタレって美味しいわね」

「うん! 簡単手軽でこんなに美味しいもん」


 ここねは焼き肉のタレを使わずとも、美味しい野菜炒めを作ることはできるが、人に料理を教えるときはよく市販の物を使う。


 その大きな理由は、料理は身構えなくとも大丈夫ということを伝えたいからだ。


 料理を普段しない人が料理をする時に陥りやすいのが、料理は手間暇かけなければならないという考えだ。下準備から下処理、調理時の工夫やひと手間、確かに美味しいものを作るのは欠かすことのできないこと。しかし、それを慣れていない人がするのは、手際のよさなど、技術や知識の面から難しい。だからここねは料理を教えてほしいと言われたら、敢えて曖昧に教えたりするのだ。


 今回の野菜炒めだって、人によればスーパーに売っているカット済みの野菜を用意したりする。


「真奈に伝わったのかしら?」

「大丈夫だと思うよ、手際よかったし」

「ここねの手際が良かったからかしら」

「えへへ、あーん」


 甘い雰囲気が家庭科室を満たす。


 まだまだ放課後は終わらない。



 早速家庭科室から凛空の下へと向かう真奈。いつもなら、授業中を除き、常に凛空を視界の中に入れて生きているのだが、今は視界の中に凛空はいない。速やかに視界に入れなければ真奈の命は持たない。


 凛空はどこにいるのか、探さなくても分かる。凛空がいるのは一階の昇降口近くにある保健室だ。三階から飛び降りてショートカット、作った野菜炒めを零さないよう守りながら校舎内を駆け抜ける。


 終礼が終わり一時間は経っている、部活動に所属している生徒以外は殆どいない。


 たどり着いた保健室、息が全く乱れていない真奈が保健室の扉を開ける。


「凛空!」


 大股で奥のベッドへと向かう。


 そこで必死に睡魔に抗っていた、真奈のクマとは違う、目元がうるさいメイクをした女子生徒――大河凛空が、近づいてきた真奈に気づく。


「んぇあ? 真奈じゃん……どしたん、いい匂いさせて」

「食べて、作った」


 そう言って真奈はボールを拾ってきた犬のように野菜炒めの入った容器を見せる。


「やった、あたし腹減ってたんだよね」


 よっこらせと起き上がった凛空が大きなあくびをする。その拍子に真奈の付けている物と同じピアスが光る。


 保健室は原則飲食禁止だ。これを食べるのなら外へ出なくてはならない。重たい身体を動かし、ベッドから降りた凛空。


 今日は終礼が終わった直後に体調が悪くなったのだ。


「せんせーありがと、だいぶ楽になったから帰るねー」


 真奈は気にしていなかったが、勿論保健室には養護教諭がいた。その養護教諭に一応真奈は軽く頭を下げて凛空と共に保健室から出ていく。


「いやもうマジ眠たい、カラコンやめよっかな」

「凛空は身体が弱い。気を失ったらワタシにはどうしようもできない、だからやめてほしい」


 凛空は綺麗に染められている金髪を手櫛で梳きながら苦笑交じりに言う。


「やっぱそう思う? あたしも眼は大切だから止めたほーがいいって思ってたんだよねー」


 そういってから、隣を歩く真奈を見る。


「なに作ってくれたん?」

「野菜炒め。肉も入ってる、凛空にはもっと食べてほしい」

「食べてんだけど、貧弱な身体はどうもならなんだよねえ。トマトジュース飲みたい」

「持ってる」

「用意がいいね」


 どこからか取り出した二百ミリリットルのパックに入ったトマトジュースを受け取り、早速ストローを刺して飲み始める凛空。


 二人が向かう場所は食堂だ。人も少ないし、椅子もある。虫が飛んでくる心配も外よりかはマシだ。


 適当な席に着いた二人は向かい合い、真奈が凛空の前に容器を置く。


「まだ温かい。食べて」

「いただきます。真奈の分は?」

「ワタシはいい。凛空が全部食べ――」

「はいあーん」

「……………………………………」

「あぇ? 固まった」


 まあいいやと、野菜炒めを口に入れる凛空。


 以前、真奈が手料理を振舞ってくれたが、芸術的な食材の断面を棒やすりで削って無駄にするような焼き加減と味付けだった。しかし今回はそんなこと無く、焼き肉のタレという間違いない美味しさが付いた、いい具合に焼けた食材という、美味しいとしか言えない料理だった。


「うんっま」


 凛空のその言葉で再び動き出した真奈、凛空以外には見せたことの無い、少し頬を染めた顔で答える。


「芹澤に教えてもらった。凛空に……美味しいって言ってほしくて」

「美味しい!」

「……嬉しい」


 いつも地獄からやって来た憎しみの権化という印象を与える真奈とは思えないような穏やかな表情を浮かべている。


 この表情を見られるのは凛空の特権だ。食堂なら、人の目が届く範囲は限られている。それを狙ったという理由もあったのだ。


「また作ってほしいな」

「また作る。教えてもらう。凛空が喜んでくれるなら」


 凛空が食べてくれるなら、美味しいと言って喜んで、笑ってくれるのなら作るしかない。


「やった、あたし楽しみにしてんね! はいあーん」

「……………………………………」

「っぱ固まった」


 今回はいきなりのことで驚いたが、次はなにをリクエストしようか。そんなことを考えながら、固まる真奈の口に野菜炒めをねじ込むのだった。

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