[ 28*とめられないながれ ]
メフリーズ。その、ヴァンガードとレムナントの争いからは多少距離のある東方の街。
方々から急遽集められた教皇庁や共同軍の人間たちが慌ただしく駆け回る中、アルヴェインは穏やかな昼下がりの陽光が間接的に差し込む室内で、一人静かに酒をたしなんで過ごしていた。
そこに、律儀にノックをして許可を得た上で、カガン隊長が扉を開けて姿を見せた。
アルヴェインはその姿を一瞥すると、その視線の鋭さとは裏腹に、穏やかな声音で語り掛けた。
「……今のところ、期待には程遠い働きだな、カガン」
「……申し訳もございません」
「責めているわけではない。あくまで、現状の進捗に対する単なる感想、世間話だ。最後に結果さえ示せば、その過程など問わん。君の能力も忠誠も、疑ってなどおらんよ。今のところはまだ、ね」
「恐れ入ります」
「それで?」
「おそらく、あの砂漠には最初からアスタリスクなど存在しなかったものかと」
「誰かが、嘘の情報を流したと? ……やはり、レディ・カルシィ、か」
「おそらくは」
「とんだ茶番だな。人形風情がおちょくってくれる。……しかし、アスタリスクの実在は絶対だ。必ずこの世界のどこかには存在する。それ自体は疑いを容れない」
「まだ、当てはございます、猊下。リベルタスです」
「リベルタス?」
「生き残りどもが小数、地下に逃げ延びておりました。彼女も健在です」
「アシェル・オーラーム、か」
「何やら、エメラルドにも存外詳しいようで」
「なるほど。……楽な相手ではないだろう。上手くやれるか?」
「情報を得るだけです。懐にさえ潜り込めれば、後はどうとでもなりましょう。そのためにも、目くらましの花火を回していただきたいのですが。用済みの駒どもを片付ける助けともなりましょうし」
「花火……か。いいだろう。手配しておく」
「ありがとうございます。今度こそ、秘宝の所在を猊下に献上させていただくこと、確かに約束させていただきます」
そう告げると、カガンは深々と頭を下げ、静かに扉を閉めて去っていった。
それから、アルヴェインはもう味にも飽きた酒をグラスの中で弄ぶように揺らしながら、自嘲的な笑みを浮かべて呟いた。
「さてさて、私もなかなか全知全能とはいかんな」
当然だ。人間なのだから。限度というものはある。
けれど、その限度を取り払う手段が存在するのならば。
「この世界は、あまりにも嘘にまみれ、あまりにも不完全で、そして、あまりにも退屈すぎる。私が神となれば、この世界はもっと有意義なものに作り変えられるはずだ」
そのアルヴェインの居る建物の外、ジャックは木陰に座り、侵攻の準備を進める共同軍の一団をぼんやりと眺めつつ、物思いにふけっていた。
旧時代の高性能な武装に身を包んだ集団が、規則正しい動きで通りを行進していく。
聖職者としての自分の心の一部が、この光景を絶対にあってはならないものだと警告を発し続けている。
一方で、いくらなんでもトントン拍子に事が転がりすぎている気もする。
この、教皇庁と連合共同軍が協働しての派兵について、教皇は暗黙の裡に承認し、連合評議会も特段、異論といったものは言ってこなかった。
軍司令部としては、むしろ前のめりといった様子ですらあった。
これが、アルヴェインの有能さの証か。
あるいは、皆それほどまでに終端戦争の再来を恐れているということか。
ヒトとゴーレムの戦いによって、今度こそ本当に人類は完膚なきまでに全滅してしまうのではないかと、そう恐れているのだろうか。
ジャックがそんなことを考えている間に、前線指揮官の士気高揚を目的とした演説が開始された。
「……諸君、我々は、極めて高度な自制心と、慎重な判断力を要する立場にあることを忘れてはいけない。力あるものは、その力の使い道について、細心の注意を払う必要がある。しかし、場合によっては、我々は決断をしなければいけない。実際に力を行使することを。愛する者を護るため、愛する故郷を護るため。身を賭し、命を賭け、正義のために。もう一度言う。我々が戦わずに済むのなら、それが一番だ。当然だ。しかし、そうはならなかった場合。その場合は、我々は勇敢に戦わなければならない。諸君にも、そのことを覚悟しておいてほしい!」
指揮官がそう力強く言葉を締めくくると、その熱に浮かされた聴衆からは喝采が巻き起こった。
ジャックはその様子を冷めた目で見つめ、静かにほくそ笑んだ。
嘘だ。偽りだ。
こいつらは、結局戦いたいのだ。なぶりたいのだ。蹂躙したいのだ。
当然だ。それが、人間というものなのだから。
だからこそ、事態はこれほどまでに急速に多くの者たちを魅了し、巻き込み、進展した。
「……私は、何をしているのだろう」
ふいに思わず口をついて出た言葉に、自分自身で答えを出す。
決まっている。娘を救うためだ。
自分に残された唯一の肉親。あの子を救うためなら、他人がどれだけ犠牲になろうが、知ったことではない。
つまりは、私もひとりの人間、だということだ。
高い岩場の上に腕を組んで佇み、砂漠を見晴らすレディの元へ、フォックスがどこからともなく静かに降り立った。
「こんなところで、暑くはないんですか?」
「暑いよ。けれど、見晴らしが良い。考え事をするには、こういう場所に限る」
「そういうものですか」
「そういうものさ。それに、暑いと言っても、君たちとは感じ方が異なるからね」
涼しい顔でそう言ってのけるレディに、フォックスは両手で顔にパタパタと風を送りながら、嫌味のような言葉を続ける。
「まあ、なんて便利なお体ですこと」
「それで?」
その問いかけに対し、フォックスは表情を真剣なものに変えると、本国からの報せを主へと告げた。
「メフリーズ近郊にて、連合軍の大部隊が集結しているとのことです。それも、教皇庁が管理しているはずの前暦の兵器を装備して」
「性急だな。所詮応急策だったとはいえ、いいかげんにダミー情報だと見破られたか。そして、その出どころにも。一応はさすが、と言いたい気もせんでもないが、まあ、面倒は面倒か。……数に数というのも無粋だが、背に腹は代えられん。フォックス、本国にかき集められるだけの兵隊をかき集めて寄越せと言ってこい」
「了解」
すぐさま飛び去るフォックスを見送り、レディはあらためて砂漠一帯を俯瞰する。
「……あいつのそんな幼稚な野心を見抜けなかったとは、私も所詮はこの程度か」
思わず、自嘲を含んだ笑いがこぼれる。
「セラハ様。やはり、これは私には荷が重い」
けれど、やるしかない。歩み続けるしかない。
あの方が夢見た、人類に変革をもたらすその時までは。……託されたのだから。
だからこそ、いずれ来るその時のために、人類には今しばらく平穏の中で英気を養ってもらわねばならない。
そして、その平穏を脅かすものが存在するのなら、それは絶対的に排除する必要がある。
そう考え、レディは思考を元の流れへと戻しつつ、鋭い視線で陽炎の先を見据える。
「……いずれにせよ、アルヴェインは有能には違いないが、有能なだけの男でもある。厄介ではあるが、正攻法の域は出ないだろう」
彼なりに搦め手から攻めているつもりなのかもしれないが、それも結局は筋道立った理論に則った上での話だ。シムルワース・アルヴェインという男は、その身の丈に合わない野心の大きさとは裏腹に、実際的な視野はそれほど広くはない。あくまでも予めレールの敷かれた、組織という決められた枠組みの中でしか生きられない、実務だけの男。対処のしようなどはいくらでもある。
そんな者よりも本当に怖いのは、筋道から外れた物事の捉え方、考え方をする連中の方だ。
「要注意すべきは、やはりアシェル・オーラームと、スティグマか」
管理室へと戻ったアルガダブは、いつの間にかスルールの姿が消えているのに気付いていた。
何かをするつもりなのだろう。何をするつもりなのだろうか。
何かをしでかす予感はあるが、今はそれを気にしている暇はない。
ヴァンガードの向こう側で、東方の軍隊が動きを見せ始めている。
事態は、じきに制御が利かなくなるだろう。
その前に、レムナントは先制攻撃に打って出る必要がある。
「結局は、こうなる定めか」
アルガダブの心の内に、軽い迷いがよぎる。
心を持ってしまったがゆえの苦しみ。ふと、アレキサンドライトの、アルの、苦悩を思い出す。
「……それでも、私は心を持って良かったと思っている」
迷いをかき消すように、ダーギルへの激しい怒りをたぎらせる。
「それでも、貴様だけは……!」
追い詰められたダーギルは、なけなしのリソースを注ぎ込み、グリズリーを基にした小型戦車の量産を急いでいた。
「……これが、決戦となるだろう。人類の再興のため、輝ける時代を取り戻すため、私こそが、王として、この地を、世界を、正しく導いて見せる」
次の瞬間、その場にレムナントの大軍の接近を報せる警報が鳴り響き、ダーギルはその音に怯えたように体をビクリと震わせた。
怯える? 何に? 機械ごときに? バカバカしい。
「……来るなら来い。機械など、所詮人間の道具に過ぎないと、再教育してやる」
ダーギルはなけなしの気力を振り絞ってそう叫ぶが、それとは裏腹に、その頬には一筋の涙がこぼれる。
「……なあ、そうだろう、アメル? 俺は間違ってなどいないはずだ」
そう呟いた瞬間、楽しかったはずの過去の思い出の数々が次々に襲い掛かり、ダーギルは叫び声を上げていた。
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