[ 27*めせんのさきにあるもの ]

 ダーギルの執務室。その、本来自分自身のテリトリーであるはずの場所において、ダーギルは居心地の悪い思いを抱くように身を小さくし、佇む。

 その目の前では、異端審問局のヴィクトル・カガン隊長が、まるで彼自身がこの部屋の主であるかのようにデスクを占拠している。

 その前に立たされ、ダーギルは詰問を受けていた。


「随分とバタバタしているようだな」


「別に、あなたが心配することではない」


「心配などしてはおらんよ。いや、しているかな? さっさとアスタリスクを見つけてもらわねば、私自身の身も危うい。……アーセナルの資材も残り少ないのだろう? このままでは、お前のちっぽけな王国も何も残せぬまま終わりだな。やはり、大局的な視野を持たない凡夫には荷が重かったか?」


 ダーギルはその嫌味にも答える言葉が無い様子で、ただじっと床を睨みつける。


「一寸先は闇。いくら貴様とて、もはや後が無いことは理解しておろう。生き残る道はただ一つ。己が飼い主に結果を差し出すことだ。精々張り切って見せることだな」


「そんなことは、分かっています」


 そういじけるように言い残し、ダーギルはそそくさと自分の部屋を立ち去った。

 あとに残されたカガンは、仮面の奥で小さく皮肉めいた笑みを浮かべた。


「……我ながら、よくもまあ偉そうに言えたものだ。後が無いのは私も同じか。……しかし、これだけあちこちひっくり返しても見つからないとは。いくら広大な砂漠と言えど、探索に値する場所は限られていように。本当に、この砂漠に眠っているのか? アスタリスクは」





 顔の無い胸像の群れの中を、アルガダブは進む。

 ノミを打つ音と自身の足音が噛み合わない不協和音を奏でるのを耳にしながら。


「契約は確かに履行された。あなたと私を縛るものはもう何もない。あなたがここにいる理由は何かしら、アルガダブ?」


 作業の手を止めることもなく、こちらを振り向くこともなく、アシェル・オーラームはそう尋ねた。

 アルガダブはそれに対してすぐには答えず、傍の顔のない彫刻を見つめた。

 そして、その奥に存在する自分自身との相似を。

 顔の無い彫刻と、表情を持たない自分の顔。止まったまま動くことのない時間。


 やがてアルガダブは視線を魔女へと戻し、その答えを告げた。


「最後にあらためて忠告を。……アスタリスク、あれは、ヒトには過ぎた力だ。ヒト以外の何者にとっても。あれは、誰の手にも渡すわけにはいかない。俺は、ダーギルに限らず、あれを狙うすべての者を排除するつもりでいる」


「人類そのものを護るためには、人殺しも辞さない、と。それがあなたの”本能”ですものね。それで?」


「あなたがあのいばら姫を使って何をするつもりなのかは知らないが、あなたには色々と世話になった。できれば、俺の敵とはならないでほしい」


「それは、あの子が決めることだわ。私はただ、見守るだけ」


「アシェル・オーラーム。あなたは、卑怯者だ。何もかもを背後から操り、野望のために直接自らの手を血で汚すような真似はしない」


「違うわ、アルガダブ。あなたは勘違いをしている」


「勘違い?」


「私は、本当にそんなものには興味がないの」


 そう答え、アシェルはようやく手を止めてアルガダブを振り返った。

 その瞳を、アルガダブはまっすぐに見つめ返す。その、瞳の奥の虚無を。

 そうして、アルガダブはようやく察した。


 この人間は、本当に興味を抱いていないのかもしれない。アスタリスクだけではない。自分自身を含めた人類にも、ゴーレムにも、それらの存亡にも。そして、世界そのものにも。

 この人間は、それらを超越した視点に立っているつもりでいる。


 そんなアルガダブの思考を見透かしたように、アシェルがフッと薄く笑う。


「いいでしょう。私もあなたには世話になった。変に疑いを持たれるのも不本意だし、あなたには話してあげましょう。私の目的を。私は、死にたいの。人間としての、本来あるべき死と、その先に待つ救いが欲しい。そのことに、アスタリスクなんて代物はまったく関係が無い。それを巡ってあなたたちがいくら意味の無い殺し合いをしようが、心底興味が無い。勝手にすればいい。そういうことよ」


 無表情のまま、鷹揚な声でそう告げると、アシェルは再び背を向け、作業へと戻っていった。

 アルガダブは時が止まったように静止したまま、その背中をただ呆然と見つめる。


 この人間は、化け物だ。俺は、いったい何と対峙しているのだ?





 ラボラトリイの管理室の中で、スルールは独りでいた。


 ハジーンは人間に捕まった。アルガダブはおそらくスポンサーのところ。

 彼は嘘をついていた。ダーギルとかいう人間への殺意は本物だろうが、それはアメル・アトルバーンへの、別の特定の人間への思い入れによるものだ。


 人類そのものへの思いはどうか。憎悪か、あるいは。


「人類への復讐のため? 終端戦争で人類に蹂躙されたゴーレムの同胞たちの無念を晴らすため? ……ヘソで茶が沸くね」


 それはまったくの嘘、というわけでもないのだろうが、それが本心のすべて、というわけでもないのだろう。


「アルガダブ、結局君は僕を騙し、利用していたのかい? 駒として? ラヴィ・アトルバーンを、友人の娘を傷つけるな、という枷をはめて? レムナントというのも、結局は檻に過ぎないのかい?」


 飼い主が誰であろうと、枷をはめられ、檻の中で飼われているということに変わりはない。

 その上、この状況下で自分は肝心なことは何も知らされることのないまま、蚊帳の外に追いやられている。


 スルールはそうした思考の果てに激昂し、激しく周囲の物に当たり始めた。


「どこまでいっても、道具は道具、ってことかい? 嫌いだなあ、そういうの。どいつもこいつもさ、僕のこと見くびってると、痛い目見るってこと、思い知らせてやるよ。……全部、ブチ壊してやるよ、何もかも」





 リベルタスの周辺、荒涼とした岩地を舞台に、アルとスティグマが激しくぶつかり合う。

 あらためて目的を明確化したアルは、一度自身の限界を確かめておきたい気持ちになり、スティグマに相手を頼み、模擬戦に臨んだ。


 その戦いの中、スティグマは遠慮することなく魔法を駆使した軽やかな動きで宙を舞い、アルを翻弄しつつ肉薄する。


「は、速い!」


 アルの方はその動きを目で追うことで精いっぱいで、体の動きまでは追いつけはしない。

 圧倒的なスペック差。根本的にスティグマの方が性能は高い。その上、魔法による強化まである。その、この上なく優雅で、この上なく力強い身のこなし。

 アルは自身の力不足を、否応なしに痛感していた。


「やりますわね、お姉様。とても旧式のゴーレムとは思えない動きです。けれど、私はすべてを凌駕する到達点。申し訳ありませんが、私の勝ちですわ!」


 スティグマがそう叫び、決着のための最後の一撃を放ってくる。

 アルはそれに対する対処が追いつかず、呆然とそれを見つめるしかない。


 しかし、その途端、アルの思考が急激に加速し、ひとつのビジョンが強烈にフラッシュバックした。

 自分の思考が、収束しつつ、発散していく。


「繋がった!」


 その叫びに応えるように、手元に周囲のプシュケーが集まり、燃えあがる。

 そのまま両手を前に突き出し、スティグマの強烈な一撃を真っ向から弾き返す。


 その思いがけない事態に、スティグマが驚きの声を上げる。


「魔法⁉ なぜ、お姉様が!」


 一方で、アル自身も驚きの表情を浮かべながら、あらためて自身の掌を見つめ、そこに力を込めていく。


「……こう、かな?」


 そのアルの意志に呼応するように、周囲で励起されたプシュケーが翠色の輝きを明滅させていく。


「うん、いける!」


 コツをつかんだアルは不敵な笑みを浮かべると、スティグマへと飛びかかった。

 形勢逆転。今度は先ほどまでとは違い、新たな力を得て自信を取り戻したアルが、困惑した様子のスティグマを一方的に追い詰めていく。


 アルの体は、自然と動いていた。

 アル自身に記憶はなくとも、全身の準知覚制御機構が記憶していた動作を再現していく。


 幾度とない激戦を乗り越えてきたアレキサンドライトの機体が、高いスペックを誇りながらも、まだ不測の事態への対処を学習できていないスティグマを激しく猛追する。

 経験の差。それが決め手となり、追い詰められたスティグマはついにバランスを崩し、尻餅をついた。


「……負けた? 私が? 旧式に?」


 そうショックを受けるスティグマに対し、アルの方も別のショックを受けていた。


 もう、自分がアレキサンドライトではないと偽るのが難しくなっている。

 次の瞬間、また自分のものではないはずの記憶のフラッシュバックが襲いかかる。

 巨大な宝石。意識の収束と発散。プシュケーの導き。自我の目覚めと大いなる力。


「この体は、やっぱりアレキサンドライトのものなんだ」


 自分は、この体の本当の持ち主ではない。自分は、ここに居てはいけない存在なのか。


 アルがそうした考えにふけっている一方、スティグマは調子を取り戻した様子で立ち上がり、腰の砂を払った。


「やりますわね、さすがはお姉様。今回は私の負けです。けれど、次は必ずや私が勝たせてもらいますわ。では、ごきげんよう」


「ご、ごきげんよう……?」





 そのままスティグマはアルに背を向け、優雅な足取りでその場を後にする。

 けれど、その内心は複雑に揺れ動いていた。


 負けた。負けるはずなんてないのに。負けることなんて、あってはならないのに。

 自分は、この星で最高位の存在であるはずなのだから。


「……マザー、私は、本当にそんなに特別な存在なのでしょうか」

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