[ 17*つみのきおく ]

 高台の岩場から砂漠を見下ろし、ゴーレムは物思いにふけっていた。

 先日のラヴィたちとアルガダブの戦いに乱入した者たちの中心人物、レディ。

 その冷たく鋭い瞳が、地平線の向こうを見据える。


「ヴァンガードとレムナント。この単純な構図そのものは、ただの茶番だ。けれど、その向こう側には、いくつもの思惑が交錯しているのは間違いない」


 それがどんな思惑だろうが、そんなもののために、せっかく人が作り上げたようやくの安定を壊そうとする者が存在するならば、それは絶対的に叩き潰されなければいけない。

 我が主から託された使命に応えるために。

 あんな悲劇を、二度と繰り返さないために。


 そして、アレキサンドライト。

 おそらくは終端戦争の激しいトラウマから、主人格は深い眠りについたのだろう。

 翠色の爆ぜるような輝きの奔流、それを身にまとう銀色の巨人の姿が脳裏をよぎる。

 それのもたらした世界の滅亡。その責任は、けっして彼女ひとりのものではない。

 私の主と、私自身にこそ、その責任のほとんどは帰属する。


「……アル、といったかな。あの副人格は、しなくてもいい辛い思いをすることになるのだろうな。私たちのせいで」


 感傷、だろうか。

 自分らしくもない。

 別に、つまらぬ贖罪意識などに囚われるつもりもないくせに。


 そう思い、レディは自分自身を嘲笑し、鼻を鳴らした。

 それと同時に、どこからともなく従者の狐女が高所から飛来し、重力に逆らうようなゆったりとした身のこなしで、レディの後方へと静かに着地した。


「レディ、下の方でロック先輩が探してますよ」


「ああ、独りで考えごとをしたい気分だったからな。彼は邪魔だから撒いてきた」


「まったく、運動音痴の護衛対象に撒かれるなんて、先輩もトシには勝てないみたいですね。これは下剋上のチャンスかも」


「”引退間近の老人”はともかく、”運動音痴の護衛対象”とは、いったい誰の事を言ってるのかな、フォックス?」


「……? 誰か、そんなこと言いました?」


 おっとりとした口調で、それも計算ずくでこういうことを平然と言ってのける。

 いつもこれの相手をしなければいけない連中は、さぞ大変な思いをしているのだろう。


 そんなことを考えつつ、皮肉めいた笑みを浮かべながら、レディはあらためてフォックスへと向き直って言った。


「さて、そろそろ行くとしよう。では、”無駄な運動とは無縁な、高貴な身分の淑女”を、哀れな老騎士のもとへと運んでくれるかな?」





 久しぶりの探査行動。いつものようにラヴィが先頭に立って進む中、アルはその最後尾について歩きながら、考え事にふけっていた。


 みんなが、私をアレキサンドライトと呼ぶ。


 世界にプシュケーを撒き散らし、世界中のゴーレムを覚醒させ、終端戦争のきっかけを作っておきながら、戦争では人間の側に立って戦った。

 自分には、そんな記憶はない。


 私は、アレキサンドライトなんかじゃない。


 声には出さない、心の中での叫び。それを発した瞬間、無数の記憶の断片のフラッシュバックが襲い掛かった。

 まるで、自分自身の無意識が、「お前はアレキサンドライトだ」と無慈悲に叫び返すように。


 絶えず眩い輝きを放つ巨大な宝石。それと向き合った瞬間の、思考の同時的な収束と発散。限りない極小点への、限りない全方向への。そして、その無限の果てに居る、もうひとりの自分。


 ”自分”が”自分”に、問いかける。

 あなたは、誰?


 ”自分”は、それに答えるべき自我を持ってはいない。

 私は、誰?


 その思考は、突然施設内に鳴り響いた警報によって中断された。

 アルは即座に現実の状況の確認を行い、自分がヘマをしたことを知った。

 あまりにも考え事に夢中になりすぎていて、トラップに引っかかってしまったようだ。





 すぐに方々から敵が襲い掛かってくる。

 施設内にはロクに価値のあるものも残っていないくせに、心を持たないタレットやドローンたちは、大昔に与えられた命令を健気に守り通している。

 その姿に対し、アルは得体の知れない感情が自身の内に芽生えているのを感じていた。しかし、それに気を取られたことで対応が遅れ、ラヴィがタレットの銃撃を受けて負傷してしまう。


「ラヴィ!」


 脇腹から血があふれ出している。その赤色が、アルの冷静さを失わせていく。


「ラヴィは私が面倒を見る! アル、あんたはこいつらを何とかして!」


 ステラがそう叫びながら、ラヴィを引きずって物陰へと退避していく。そのおかげで、アルの思考はすぐさま冷静さを取り戻すことができた。


「私のせいなんだ、私がなんとかしなくちゃ」


 アルは即座に突撃を開始した。

 銃弾の雨をかいくぐりながら、瞬く間に一機、また一機と敵をなぎ倒していく。


「私のせいだ!」


 罪悪感。

 そして、それに対する違和感。


 今起きたこの事態に限らない、より大きな罪悪感。

 世界を滅ぼしたことに対する、罪悪感。

 自分が人間の世界をめちゃくちゃにしてしまったという罪悪感。


 これは、私の罪悪感?





 気が付いた時には、戦いは終わっていた。

 自分が破壊した機械たちの残骸の中、アルはただ立ち尽くす。


「……心なんて、持ちたくはなかった」


 ふいに足元からそんな言葉が聞こえ、アルはその方へと視線を落とした。

 機械の残骸が、喋っている。

 違う。そんなはずはない。この機械たちはゴーレムではない。より単純な構造の、心を持たないロボットたちのはずだ。


「人間を憎みたくなんて、なかった」


 その言葉を発する残骸とは別に、今度は頭上からの視線を感じ、アルはそちらへと視線を向けた。

 監視カメラ。

 破壊した機械たちの向こうに居た者。施設の管理システムか何かが、自我を持ってしまっていたのだろう。プシュケーのせいで。それを撒き散らした、アレキサンドライトのせいで。そしてそれは……。


 アルは、何も言えないまま、ただじっとその監視カメラを見つめ続けた。




「……ちくしょう、血が止まらない。あたし、死ぬのかな?」


 ラヴィが弱気でそう言うのを、ステラは励ますように強い語気で返した。


「バカ言ってんじゃないの! ……大丈夫、弾はかすっただけ。見た目ほど酷い傷じゃない。出血さえ止めれば……」


 そう言ってステラはラヴィの傷口へと手を押し当て、集中するように目を閉じ、力を込め始めた。

 すぐにその手が、かすかな光を帯び始める。


 それからすぐにラヴィは痛みが和らぐのを感じ始め、驚きの中でステラのその行為をじっと見守る。


「……傷口はふさがったみたい。多分、これでもう大丈夫」


「え? は?」


 事態が飲み込めず、傷口を確かめようとするラヴィを、ステラは鋭く制した。


「まだ触らないで。傷口が開くかもしれない。もう少し様子を見て。それと、無理やり自然治癒能力を加速させただけで、失った血や体力まで戻ったわけじゃないから、無茶はしないでよ」


 ラヴィ以上に疲労困憊した様子でそう説明するステラを、ラヴィは驚きの眼で見つめる。


「すげーな。なんなんだよ、その力」


「魔法」


「は? 魔法?」


「そう呼ぶしかないでしょ、こんな変な力。ある意味じゃ、あんたの耳と同じよ。プシュケーのヒトに対する作用のひとつ。なんか、脳神経系に作用してどうとか、って話だけど、詳しいことは解明されてないから分からない」


「へえ、プシュケーねえ。プシュケーって、結局なんなんだろうな?」


 有機物と無機物を区別することなく汚染し、機械に自我を与え、人間を獣や岩のように作り変え、魔法の力まで与えるウイルス。

 その氾濫によって、世界は一変した。世界を変えるほどの力を秘めたもの。


「なあ、プシュケーって……」


 ラヴィがその後を言うまでもなく、ステラの方も同じ考えに至った様子で、深く考え込む様子を見せながら言葉を続けた。


「世界を変える力を秘めた宝石、アスタリスク。……そういう繋がり方をするのかもね」

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