[ 08*みえかくれするなにか ]

 廃墟の暗い通路を、ステラはひとりっきりで何処へともなく進んでいく。


「まったく、あんなバカと一緒にいたらこっちまでバカが伝染しちゃうじゃない。あーやだやだ」


 そんな独り言と、自分の足音以外には何の音も聞こえてはこない。

 ふと黙り、足を止め、来た道を振り返る。薄暗がりの道と、完全な静寂。


「……今、何か聞こえた気がする」


 あいつらが戻ってきた? それとも、敵?


 ステラは緊張し、耳を澄ました。

 けれど、少しの間待っても、何も聞こえてはこない。


 ステラは自分自身に苦笑いしつつ、ゆっくりと溜め息をついた。


「私、不安になってる?」


 冷静に、自分自身の心の中を探る。


「……別に、怖くなんてない。死ぬのが怖くないんだから、他の何だって怖くなんかない」


 ふと、記憶の中の母の姿が脳裏をよぎる。

 病気に苦しむ母の姿。そんな母の手を、不安に苛まれながら強く握りしめる過去の自分。

 そして、仕事が忙しいからと言って滅多に帰ってこない父。


「あの人は、きっと怖いのよ」


 母の過去の言葉が、鮮明に蘇る。今この瞬間、この耳元で囁かれてでもいるかのように。

 それに、その言葉の意味を問う自分自身の声が続く。


「何が?」


「向き合うのが。自分以外の何もかも、全てに対して」


 それからほどなくして、母は逝った。

 それでも、父は諸々の手続きを使用人に押し付けるために一度夜更けに家に立ち寄っただけで、自分とは顔を合わせもしなかった。


 そして、冷たくなった母の姿を思い出す。

 使用人たちは慌ただしく皆バタバタと駆け回っていたが、その喧騒の中、自分はひとりきりで、強い孤独に泣いていた。


 そんな嫌な記憶を振り払うように、ステラは頭を振った。


「独りでいることなんて怖くない。死ぬのなんて、怖くない」





 ふいに、音が聞こえた。

 通路の向こうから、何かが聞こえる。今度は空耳じゃない。

 振動と衝撃音。戦闘? 誰と誰が?


 緊張し、耳を澄ませるステラの心に、少しずつ恐怖が浮かび始める。

 ゴーレムへの恐怖。ヒトを襲う機械。

 宣教団の皆の死んだ姿を思い出す。


 だんだんと、体が震え始める。


「怖くなんか、ない、のに……!」


 向こうから、何かが来る。

 全身を覆い隠す黒い衣装の女。


 一見して人間のようにも見えるが、こんなところに自分たち以外の人間が居るものか。

 つまりは、ゴーレム。


 相手もこちらに気付いた様子を見せた。

 顔を隠す黒いベールが揺れ、その口元が歪んだ笑みを浮かべるのが見える。





 ステラは、逃げ出した。

 迫りくるゴーレムに背を向け、全力で駆け続ける。


 しかし、すぐに息が切れ始めた。

 心臓が爆発しそうなほどに高鳴り、ついには足がもつれて勢いよく倒れこんでしまう。


「張り合いがないじゃない。もっと上手に逃げ回ってちょうだいよ、かわいい獲物ちゃん?」


 ゴーレムはいかにも楽しげにそう言いながら、余裕の態度でゆっくりと歩いてくる。

 ステラはどうにか懸命に這って逃げようとするも、心臓が限界だった。

 急いで懐から心臓に言うことを聞かせるための薬を取り出すものの、手が震えて落としてしまう。


 その薬のケースはそのまま床を転がり、ゴーレムの足に当たって止まった。

 ゴーレムはクスクスと嫌味な笑いを浮かべながら、それを拾い上げた。

 そして、目の前で辛く苦しそうに激しい息遣いをするステラを舐めるようにじっくりと観察していく。


「この薬……。ふーん、あなた、心臓が弱いようね。先天性のもの、かしら?」


 ステラはこの状況をなんとかすべく頭を働かせようとするも、その思惑とは裏腹に思考は加速度的にぼやけていく。

 血がうまく回っていない。息はどんどんと苦しくなる。


「辛いわよねえ。苦しいわよねえ。怖いわよねえ。でも残念、そんなの私の知ったことじゃないの」


 そう言うとゴーレムは薬のケースを放り捨て、またゆっくりと近づきはじめた。

 その動きの中で、歪んだ笑みを浮かべる口元が見える。


「……死ぬのなんて、怖くない」


 歯を食いしばってそう言うステラに対し、ゴーレムは弾けるように笑いだした。


「は? 死ぬのなんて怖くない? 言うじゃない、お嬢ちゃん。それじゃあ、試してあげましょうか、その言葉」


 そう言ってゴーレムは、床を這うステラの前に屈みこみ、その顔を間近に寄せて笑った。

 それを、ステラはなけなしの力を振り絞って睨みつける。


「私の目に映るあなたのその表情、どんなだか教えてあげましょうか? ほら、もう一度言ってごらんなさいよ、怖くない、って」


 ステラはそれには何も答えず、ただ睨み続けた。




 

 いつまでも楽しんでいても仕方がない。そろそろこの小娘をひと思いに楽にしてやろう。

 ハジーンがそう考えた次の瞬間、何処からともなく何者かが姿を現し、手にした刀で斬りかかってきた。

 ハジーンは突然の事態に戸惑いながらも、それをギリギリで回避しつつ、後方へと飛びのく。


「何者?」


 今の今まで何処にも姿が見えなかったのに、急に現れた。得体の知れない相手。


 口元以外を仮面で隠した白い装束の男。それが刀を手にし、小娘を護るように立ちはだかる。

 まだ若い。おそらくは小娘と同じ年ごろ、十代後半といったところだろう。


 その少年はハジーンの問いかけには答えず、そのまま再び刀の攻撃を仕掛けてきた。

 それに対し、ハジーンは即座に糸で刀を絡めとるものの、敵の動きは止まらない。

 素早い動きで間合いを詰め、蹴りを放ってくる。

 ハジーンはただの人間の体術など脅威とは思わず、その攻撃を真っ向から受け止めるが、その一撃は想像を遥かに超えた重みを持ったものだった。

 戸惑うハジーンに対し、敵は畳みかけるように素早い蹴りを放ち続け、その動きの中で刀の自由も取り戻して見せる。


 強い。

 それも、明らかに人間離れした動きだ。

 ハジーンはあらためて距離を取り、その存在を観察するが、どうやらゴーレムというわけでもなく、れっきとした人間のようだ。


 そうこうしている間にも、敵の少年はまたも攻撃を仕掛けてくる。

 やたらと精確で重い一撃一撃。ハジーンは、それをどうにか捌くので精一杯だった。

 癪だが、正直分は悪い。

 ハジーンは素直にそれを認め、撤退することに決めた。


 ありったけの糸を一気にぶつけ、敵の動きを抑える。

 その拘束は一瞬にして解かれたものの、逃げる隙を得るためだけならば、その一瞬で十分だった。

 一気に全力疾走し、その場を走り去る。どうやら追ってはこないようだ。


 走りながら、ハジーンは心の中で思いつく限りの悪態をつく。

 今日は良いとこなしで気分が悪い。頭の中でも鬱陶しい声がずっと鳴りやまない。

 腹が立って仕方ないが、それで判断を誤って命を落とすようでは身も蓋もない。


「次よ。次会ったときは、覚えてなさいよ変な坊や。そして、アレキサンドライト」





 突然のできごとに面食らいながらも、ステラはすぐに薬に飛びつき、それを飲み下す。

 少しの間を置いて、急速に脈が落ち着いていく。それに合わせて気分や思考も平常の状態を取り戻していき、ステラはようやく人心地つけた。


 その間も、謎の少年はむき身の刀をぶら下げたまま、まっすぐに立ってこちらをじっと見つめている。見守るように、あるいは、監視するように。

 ステラの方も、鋭敏さを取り戻した頭でその姿を観察する。


「……あなた、誰?」


 少し待つが、返答はない。


 いずれにせよ、ステラにはその少年が”誰か”は分からずとも、”何者か”の目処はついていた。


 エノンズワードの、異端審問官。

 戦争を生き延び、今も活動を続けるゴーレムの残党や、それを悪用しようとする人間を処罰するための執行人。

 しかし、その活動範囲はあくまで東方連合の領域内に限られるはずだ。


「アークトゥルスの人間が、こんなところで何をしているの?」


 またも答えはない。


「……私のことを護るのがあなたの仕事? それとも監視することが? その両方? あるいは、そういう話ではなく、これは他の何かのついで? あくまで偶発的にこの状況に遭遇したってだけ?」


 結局それにも答えないまま、少年は現れたときと同じように、また何の前触れもなくその姿をフッと消した。


 ステラは深く溜め息をつき、ゆっくりと立ち上がった。

 辺りを見渡す。やはりどこにも少年の姿は見当たらない。


 結局彼は何の目的でここに居るのか。その命令を、誰が下したのか。


「アルヴェイン先生……?」


 異端審問局は、自分の恩師であるシムルワース・アルヴェイン枢機卿の管理下にある組織だ。


「先生が私を心配して、部下の審問官を護衛として密かに付けてくれていた?」


 違う。

 仮にそういう話だとして、そもそも秘密にする意味が分からないし、このイレギュラーな状況下においても直接の接触もせずに遠巻きに見守っているだけというのはなおさら意味が分からない。


 やはり、護衛というよりも監視、なのだろうか。

 自分は、異端者としての疑いを掛けられているのだろうか?

 その自覚はない。思い当たる節を頭の中で探すも、皆目見当がつかない。

 けれど、その最中に別のことに思い当たった。


 そもそも、この中東への宣教団に紛れ込めたのは、先生の口利きによるものだ。


「最初から仕組まれていた?」


 仕組む? 何を? 何故? 何のために?

 その答えは、何処にも見つからない。ヒントとなりそうな要因すらも。


 ステラは自身の思考がまたも暴走し始めているのを自覚し、もう一度深い溜め息をつき、強制的に思考を停止して頭を冷やした。


 やめよう。どうせ今は何の答えも出せやしない。


 もう一度周囲を見渡す。何の気配も感じられない。


 いずれにせよ、自分が置かれている状況は、思った以上に単純なものではないのかもしれない。

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