第5話 男の娘物語 5 安岡



  小雨の中、大学の中庭を抜ける安岡は、軒下で雨宿りしている佐川耕平を見つけた。


 向こうは気づいてないようだと思い、そのまま通りすぎようとした安岡の背中に耕平の声が追いかけてきた。


「安岡先輩。おはようございます」

  振り向く安岡の傘の中に、耕平が飛び込んできた。


「ああ、おはよう。授業はもう終わったのか?」

  素っ気なく返事する安岡の目を見上げる耕平が首を振った。


「何言ってるんですか、まだ9時ですよ。哲学の講義が休講だったんです。掲示板見てなかったから知らなかった。先輩は今から授業ですか?」


「いや、学食で朝飯食いにいく所だ。俺の部屋この近くだから、何も買ってないときは学食にいくんだ。安いしな」


「この近くなんですか。いいですね」


「お前は、自宅からだっけ? 地元なんだよな」


「地元ってわけじゃないですよ。高校の時も寮だったし。田舎は隣の県です。そこからこっちの進学校にきて、そのままこの大学受けたんです」


「何で部屋、近くに借りなかったんだよ。この辺安いワンルーム多いぞ」


「確かに大学の近くが通学には便利だけど、住むのはもう少し駅の近くがいいかなって思って」


「遊ぶことばっかり考えてたんだろ、サボってるとすぐついていけなくなるぞ」


「わかってますよ。だから講義は真面目に受けてます」

 朝の学食は、安岡と同じように朝食を取りにきた生徒で半分ほど席は埋まっている。


「お前、朝は食べてきたんだろ」

 安岡は耕平と早くわかれたいと思った。

 自分は耕平を苦手に思っているのだと、その時気づいた。


「朝は抜いてるんですよ。コーヒー一杯飲むだけで。あんまり食欲もないし、でも、今になってお腹減ってきたかな。一緒にいいですか?」

 島田だったらこういう時、ラッキーと思うのだろうか。


 安岡はできるだけ笑顔を作って、いいよ、と答えた。



 しかし、自分はどうして耕平が苦手なのだろうか。

 セルフサービスの朝食セットをトレイに取りながら考えた。


 同性愛に嫌悪感を持っているわけじゃない。

 安岡のいた高校のラグビー部には、男同士のカップルも二組いたし、男子クラスではそういう噂を立てられる男たちもよく見かけたものだ。


 しかし、安岡の考える同性愛は、あくまで外見が男のカップルのことだった。

 耕平のように見た目が女のような男は、普通のゲイとはいえない。


 ここまでくると、ニューハーフという人種に近くなる。

 そうか、俺は見た目が男か女かわからない、という不安定な状態が苦手なのかもしれない。

 実際は男とわかっていても、頼りなく美しい耕平を見ていると、女に対するように、かばったり守ったりしてやりたくなってくるのだ。


 向かいに座る耕平がコーヒーをすすり上げるのを見ながら、安岡はやっと納得のいく答えを見つけることができた。


 よく見ると耕平は自分とは正反対だというのも思った。

 細い顎と切れ長の眼、それにふっくらした艶やかな唇。


 それは丸顔でがっちりした鼻や、顎が太い安岡の正反対だ。

 腕が太くて筋肉質な安岡のまったく逆だ。


「ところで、お前の高校は男女共学だったんだよな。彼女はいたのか?」

 ふと思ったことを、そのまま安岡は口にした。


「いませんよ。勉強で忙しかったし」

 トーストをかじった後、コーヒーを一口飲んで耕平が答えた。


「そこそこイケメンの奴なら、その言葉信用しないけどな。お前くらい美形なら案外そうかもって思えるな」


「そうですか?」


「ああ。お前ならその辺の女と付き合うより、鏡見てる方が楽しいだろう」


「何か刺ありますよ、その言い方」

 安岡は耕平を見つめていた目を逸らした。

 苦手な割には、結構楽しげに話していた自分に妙な不信感が浮かぶ。


「いや、お前見てると、神様は不公平だって思えてならないんだ」


「そんなこと、ないですよ」


「俺なんかとは真逆だしな」

 ため息をつく安岡の真似をするように、耕平も深くため息をついた。


「安岡先輩こそ、がっしりした肩幅に盛り上がった背筋が素敵じゃないですか。モテるんでしょ。彼女、当然いますよね」

 耕平はもしかしたら、女みたいな自分の外見を嫌いなのかもしれない。

 安岡は、今まで思ってもいなかった自己嫌悪する耕平を想像してみた。


「そりゃまあ。女の一人くらいいるさ」


「やっぱり、もてそうだもんな」

 諦めたような口ぶりは、安岡に変な気を起こさせる。


「お前って、やっぱり男が好きなのか?」

 初めて見たときは絶対そうだろうと思っていた。


「やっぱりって何ですか? そりゃ、自分が客観的にどう見えるか、くらいわかってますけど……」

 結局、安岡の質問には答えない。


「じゃあ、女が好きか? 裸の女を想像しながらベッドでマスかいたりしたか?」

 ここだけ小声にするくらいのデリカシーは安岡にもあった。


「露骨だなあ。その質問にはノーコメントです。別に、ホモって思われるのには慣れてるし」

 耕平が裸でベッドの上に寝そべり、右手で勃起したものを擦る所を想像した。

 自分の股間が固く反応しないことに、安岡は安心した。


「そういえばこないだかなり酔ってたらしいけど、大丈夫だったか? 二日酔いひどかっただろ」

 安岡はその歓迎会には出ていないが、田頭からその時の様子を聞いていた。


「翌日は少し頭が痛かったかな。生まれて初めてでしたからね、あんなに飲んだの。ああ、二日酔いってこんな感じなのかって思いましたよ」


「最後は島田に持ってかれたって、田頭、悔しがってたけどな。電車で帰ったのか?」

 酔ってふらつく、か弱い耕平に島田がうれしそうに肩を貸す光景が見える様だ。


「どうだったかな。実はよく憶えてないんです。電車で帰ったんだと思うけど」


「実は島田に貞操を奪われていたりしてな。はは、それはないか」

 想像して、その淫靡なイメージの美しさに若干戸惑ってしまう。


 男同士の同性愛というのは、汗臭い肉のぶつかり合いだというイメージを持っていたが、それとはちょっと違う、ほとんど男女の絡みに似た、しかしそれよりもっと妖しい映像だった。


 ちょっと小首を傾げた耕平は笑みを消した。


「それならそれでもいいんですけど……」

 語尾を濁す耕平は何が言いたいのだろう。島田の事が好きなのだろうか。

 しかし、さっき会った時の耕平の態度は、むしろ自分に好意を持っている様に思えた。


 久しぶりに会った飼い主に駆け寄るチワワみたいだと感じた。

 こいつに好かれるのはちょっと困る、という気持ちがあった。


 それなのに、なぜか、自分以外の男に好意を持つ耕平というのを否定したい気持ちが、安岡の中に沸いている。俺は男には興味ない。女が好きだ。


 そう思う安岡の女好きな性質にも、目の前にいる佐川耕平という人間は不思議と染み込んでくる。


 違和感なく、異性愛者の自分の心を無理やり開いて入ってくるようだと思った。


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