幕間 落日の帝国⑤
「そんな馬鹿な……冗談だろう?」
騎士からの報告を聞いて、エイルーン帝国皇帝ルーデリヒ・エイルーンは玉座から崩れ落ちた。
難攻不落。建国より五百年、一度として突破されたことのない城壁が、王国軍の到着からわずか一時間ほどで破壊されてしまったのだ。
「壊れた城壁からどんどん王国軍が帝都内部に侵入しており、城門を守っていた兵士も投降しています。王国軍は帝都内部の重要施設を占領しながら城に迫ってきており、あと一時間もしないうちに到着することでしょう……皇帝陛下、どうぞご指示を」
「ありえ、ない……そんな、馬鹿な……」
騎士が指示を求めるが、ルーデリヒは譫言のようにつぶやくばかり。
いっこうに、まともな指示を出してはくれなかった。
「…………」
仕方がなく、騎士が玉座の横に立っている宰相エドモンドに視線を向けた。
「……城壁を破壊したと言ったが、いったい、どのような手段で破壊されたのだ?」
エドモンドは動揺を見せることなく、淡々とした口調で確認する。
いかに皇帝の暴政によって兵士の数や士気が低下しているとはいえ、帝都の城壁は堅牢極まりないものである。
どんな攻城兵器を使用したとしても、一時間足らずで落とせるわけがない。そのはずだった。
「その……実際に現場を見ていた兵士の話によると、一人の少女の手によって破壊されたとのことです」
「少女……?」
「白銀色の髪の十代半ばほどの少女です。とても美しい顔立ちをしていたと兵士達が話していました」
「……ふざけているのか?」
エドモンドが目を細めて、ありえない報告をした騎士を睨みつける。
砂の城でもあるまいに……たかが少女一人に城壁が破壊されて堪るものか。
「い、いえ……複数の兵士が目撃しています。その少女の両腕には光り輝く純白の籠手が嵌められていて、そこから出た光に城壁が撃ち抜かれたと」
「籠手? 光?」
いったい、どんな魔法を使ったというのだろうか。
城壁には魔法による攻撃対策として特殊なコーティングがされているはずだが。
仮に賢者と呼ばれるクラスの大魔法使いであったとしても、一撃、二撃で打ち破ることは不可能なはずだが。
「純白の籠手……『神撃の御手』……?」
しかし、玉座から転倒した体勢のまま項垂れていたルーデリヒが、ポツリとその言葉を口にする。
エドモンドがピクリと眉を跳ねさせ、ルーデリヒに向き直った。
「『神撃の御手』……『創国の神器』の一つですな?」
『創国の神器』とは、エイルーン皇族に代々、伝わっている伝説の武器のことである。
神殺の貫槍ゲイボルグ
神絶の重鎧ヒヒイロカネ
神剋の天兜ユーミル
神越の宙船ノア
神撃の御手タイターン
この五つの神器こそがかつて帝国の初代皇帝が神との契約によって与えられ、五百年の繁栄を得るに至った理由である。
これらの秘宝は代々の皇族に継承されており、たった一つで一国を滅ぼせるほどの力を誇っていた。
「しかし、それらの神器は十代前の皇帝の時代に逸失しております。それ以来、行方不明となっているはずですが?」
エイルーン帝国は神よりこれらの神器を与えられ、地上に楽園を創るように使命を授かっていた。
しかし、二百年ほど前、あと少しで大陸統一が成し遂げられるという時期に行方不明となってしまった。
神器を無くしたことで帝国の国力は大いに減衰して、支配下にあったいくつかの国が独立。領土が大幅に縮小されることになった。
「確かに、かの秘宝の力が本物であれば一撃で城壁を破壊できるでしょうが……失われた神器を手に入れた人間がセイレスト王国にいるということですか?」
「あり得ない」
エドモンドに問われたルーデリヒが顔を上げて、力なく首を振る。
「あり得ないって……貴方が神器のことをおっしゃったのではないですか」
「あり得ないのだ……神器を使用することができるのは代々の皇族のみ。そして、神器はそれを持つにふさわしい者の手に宿るのだ……」
「何ですって?」
エドモンドが眉をひそめた。
それは知らない情報である。皇族だけに伝えられる秘匿された伝承でもあるのだろうか。
「……かつて、初代皇帝は神より神器を授かった。乱世を統一し、地上に安寧をもたらすようにと命じられた。だが……十代前の皇帝は神器の力を、我欲と野心のためにのみ使ってしまった。神器は皇帝を見限り、いつか自分達を使うに値する人間が現れる時までエイルーンの手を離れた。それなのに、どうしてセイレスト王国に……!」
ルーデリヒはブツブツと狂人のような顔でつぶやいて、己の頭を掻きむしる。
そんな途切れ途切れの説明を聞いて、エドモンドも納得した。
「そうか……我が国の皇族はとうの昔に神に見限られていたのだな……」
大陸を統一して争いのない世界を生み出す。
それが神器を与えられた理由だったはずなのに、代を重ねるごとに彼らの心は腐敗していった。
人間に過ぎた力を与えられた自分達が特別な存在であると慢心して、身勝手に使うようになってしまったのだ。
だから、神の秘宝は皇族の手を離れた。エイルーンの地から失われたのである。
「だが……どうして、今になって神器がこの地に? セイレスト王国が新しく神器に選ばれたのか。それとも……?」
それとも……セイレスト王国にエイルーン皇族の血を引く人間がいるとでもいうのだろうか?
「……今さら、考えても仕方がないな」
エドモンドは首を振った。
すでに城壁は壊され、多くの王国兵が帝都に侵入してきている。
どう足掻いたところで、もはや逆転の目はない。
(宰相としての最後の仕事をするとしよう。この地の新たな支配者となるであろう者達を出迎えなければ)
仕えるべき皇帝……ルーデリヒはいまだに頭を掻きむしり、ブチブチと自分の髪を引き抜いている。
「何故、何故……」と限界まで見開いた目を血走らせている狂気の皇帝に、その仕事を果たすことは不可能だろう。
「全ての兵士に降伏を命じる。城の門を開け放って王国軍を出迎える」
「……よろしいのでしょうか?」
騎士が控えめに確認してくるが、エドモンドはしっかりと頷いた。
「構わん、許す」
ルーデリヒは譫言を口にするばかりで、文句を挟んでくることはなかった。
好都合である。下手に徹底抗戦など命じようものなら、兵士達に無駄な犠牲者が出てしまう。
「皇帝陛下を椅子へ。私は城の入口まで、王国軍を出迎えに言ってこよう」
控えていた侍従に命じて、エドモンドは玉座の間から出ていった。
「……どうして、こんなことに……助けてくれ、アリーシャ……!」
そんな泣き声が背後から聞こえてくるが、もはや振り返ることはしなかった。
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