第5話 宿屋に泊まるよ

 スリの少年に肉串を押しつけたアイシスはその後も大通りで食べ歩きをして、満腹になってから宿探しを始めた。


 王都には宿屋が幾つもある。

 貴族が王都に滞在する際に使用するような豪奢なところもあれば、大勢が一つの部屋に押し込まれて雑魚寝をするような安宿もあった。


「あ、ここが良いかな?」


 アイシスが選んだのは『栗鼠の巣穴亭』という名前の宿屋だった。

 それなりに外観も綺麗で、看板に描かれてある栗鼠のイラストが気に入ったのだ。

 扉を開けるとドアベルの音が鳴り、中から店員の元気の良い声が聞こえてくる。


「いらっしゃいませ! お泊まりですか?」


 受付から声をかけてきたのはエプロン姿の少女である。

 年齢は十二、三歳ほど。アイシスよりもやや年下だった。


「うん、泊まりだよ。一人だけど良いかな?」


「もちろんです。素泊まりと朝晩の食事つき、どちらがよろしいですか?」


「ご飯付きで。えーと……とりあえず一週間くらい泊まれるかな?」


「大丈夫ですよ。それでは、一泊につき銀貨三枚。一週間ですので金貨二枚と銀貨一枚になりますねー」


「はい、どうぞ」


 アイシスがカウンターに金を置くと、少女がニッコリと向日葵のように元気良く笑う。


「はい、確かに! それではお部屋に案内しますねー」


 案内されたのは二階の角部屋だった。

 丁寧に掃除されてある部屋にはベッドが置かれており、テーブルと洋服タンスもある。


「食事ですけど……朝は六時から九時まで。晩は十七時から二十時までになります。一階にある食堂まで来てください。希望されるようでしたら昼のお弁当などもお作りしますけど、別料金で銀貨一枚かかります」


「うんうん」


「洋服の洗濯も銀貨一枚です。朝に受付で渡してくれたら、夕方までには洗っておきます。もちろん、雨の日はできませんけどね」


 少女が一通り説明を終えると、アイシスに鍵を手渡して出ていこうとする。


「それでは、何かあったら下の方までお越しください」


「あ、待って!」


「何でしょう?」


「都会の方だとチップを渡したりするんだよね? はい、どうぞ」


「ああ、どうもありがとうございま……ふえっ!?」


 それまで年に似合わぬ丁寧な接客をしていた店員の口からおかしな声が出た。


「あ、あの……これって金貨なんですけど?」


「そうだけど……変だったかな?」


「へ、変って……」


 店員が愛嬌のある顔を引きつらせる。

 チップの相場は銅貨一枚か二枚、たまに気前の良い客が銀貨をくれるくらいだ。

 金貨をチップに渡すような御大臣様は、そもそもこんな庶民向けの宿屋に泊まりはしない。

 店員は声が震えないように注意しつつ、恐る恐る訊ねる。


「あの……お客さんは何をされている方なんですか?」


「私? 私は冒険者だよ?」


「ぼ、冒険者……?」


 店員はマジマジとアイシスの顔を見つめる。

 アイシスは服装こそ飾り気のない物を着ているが、顔立ちはとても整っている。

 王侯貴族のお嬢様だと言われた方がしっくりとくるほどだ。


(もしかして、貴族の子女の方が訳アリで冒険者になったのかしら……?)


 受付嬢が頭の中でそんな予想を立てる。

 貴族の子弟の中には、三男・四男であるために家を継ぐことができず冒険者になる者がいる。

 目の前の客もそういった複雑な経緯があって冒険者をしているのではないか。


「何か用がございましたら、いつでも仰ってくださいねえ。何でもいたしまあすわあ」


「……さっきと口調違わない?」


「気のせいでございますわ。オホホホホ♡」


 相手が貴族であるかどうかに拘わらず、気軽に金貨を支払うような客にサービスしないわけがない。

 店員の少女は精いっぱいのスマイルを顔に浮かべて、金貨をしっかりと握りしめたまま部屋を出ていった。


「フウ……今日は楽しかった」


 部屋に一人きりになったアイシスは服を脱いで下着姿になり、ベッドの中に飛び込んだ。

 干したばかりなのかシーツからは太陽の匂いがした。アイシスは猫のように身体を丸める。


 十五歳になって、ようやく故郷を出ることができた。

 途中でモンスターに襲われるという軽いアクシデントはあったものの、無事に王都に上京することができたのだ。

 途中で手に入れたトカゲの素材が高値で売れたおかげで豪勢な食べ歩きをすることができ、心地の良い満腹感に包まれながら眠ることができる。


「いつもの日課がないだけでも全然違うよね……気持ち良く眠れそう」


 実家では、毎晩のように寝る前に嫌な日課が待っていた。

 物心ついた頃から繰り返されているその習慣により、暗い気持ちで眠ることになってしまうのだ。


「ママ……私がいなくても元気にやってるよね?」


 ベッドに寝転がり、天井を見上げながらぼんやりとつぶやく。

 思い出されるのは母親の口癖。毎晩のように聞かされて、一言一句違わずに覚えている物騒過ぎる寝物語。


『お母さんね、悪役令嬢だったのよ?』


「…………」


 不気味なほどの笑顔で語る母親の口調を思い出しながら、アイシスは目を閉じて眠りの世界に旅立っていった。






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