第四話

 茂みに隠れて様子を窺うまではよかった。けれど騒ぎに乗じて無月を助けようとした所で、牡丹は巳曽良にあっさりと見破られてしまっていた。


「離せっ!」


 抵抗しようとするも、干からびて老いた男の手を振り払う事は出来なかった。錫杖の先が手のひらを地面に押さえつけ、耐え切れず包丁が指から離れる。


「斯様な小物でどうにかしようとは、健気な小娘だな」


 信者へ回収した武器を預け、巳曽良は嗤った。折角家から持ちだした包丁は守り刀にすらならず、牡丹はやっぱりクザンで戦い方を学んでおけばよかったと後悔した。


「どうしてここに……」


 倒れていた無月が身を捩り、驚きで目を見開かせている。縛られている手に打ち込まれた釘は痛ましく、遠目で見るよりずっと心配になった。


「師匠、傷大丈夫?」

「私の事はどうでもいい!」

「どうでもよくないから帰ってきたんだよ!」


 当たり前とばかりに言い返すと、無月はぐしゃりと顔を歪めた。ここまで自分が身体を張っているのに、まだ信じられないのだろうか。


 このまま師匠と顔を合わせていたかったが、巳曽良は前髪を掴んで強引に自らの貌へと引き寄せた。舌が触れそうな距離で、幾つもの口がほうと声を出す。


「同胞が器に仕損じた娘か。既に色がついておるとはいえ、他の人間よりも食いやすかろう」

「やめろ、牡丹に手を出すな!」


 叫び声に呼応して、釘が熱を帯びたように赤く染まる。金物の焦げた臭いに、巳曽良は驚嘆と呆れを混ぜた表情を浮かべた。


「赤鬼憑きの力、やはり侮れぬな。釘を足さねばなるまいか」

「師匠に酷い事しないでよ!」


 顔面目掛けて拳を付きだすも、あっさり払い落とされる。痩せ細った体躯であろうと、鬼であれば非力な人間一人の対応など造作もないのだろう。


「無力な小娘が吠えよるわ。ぬし一人で何ができよう!」


 威勢だけはいい人間に、嘲りの声が幾つも浴びせられる。多数の人間を付き従えた力のある化け物を前にして、確かに牡丹はとてもちっぽけだった。


 それでも、と思う。村で好き放題して、無月を散々苦しめた奴なんかに、絶対頭を垂れてやるものかと。


「できなくたって、死んでも諦めてやるもんか!」


 牡丹は耳元の髪飾りを掴み、迷いを捨てて振り上げる。それを武器にしたのは意外だったのか、先程よりも少し反応に遅れながらもやはり、手首をがちりと掴まれた。

 振動で、鬼灯の飾りがしゃらりと揺れた。鬼を貫くことのなかったそれに、突然ぴしりと亀裂が走る。


「この気配は──」


 ぱきん、と赤い実が罅割れた。微かに漂った匂いは、熟れすぎた果実のものによく似ていた。


『失う覚悟ができたなら、これを使え』


 別れの際に耳打ちされた桃姫の力が、髪飾りを対価に露わとなった。牡丹を掴む手の力が、緩む。顔中の口をひん曲げて、巳曽良は忌々しげに吐き捨てた。


「あの阿婆擦れめ、邪魔をしおって……!」


 拘束が緩んだ隙に、牡丹は自らの懐に手を入れた。最後の武器を指でしっかと掴み、今度こそと突き出す。


「師匠をいじめるなっ!」


 包丁よりも小さな短刀を、巳曽良はよろめきながらも身体を捻って逃れる。やはり一太刀も浴びせる事は出来なかった。


「ぬう!?」


 届かなかった刃の先、男の顔が突如炎に包まれた。堪らず牡丹から手を離し、顔の彼方此方を掻きむしり出す。ただ傍観していた信者達もこの光景には流石に腰を上げ、巳曽良の元へ駆け寄った。


「小娘如きが、何故鬼憑きの炎を!?」


 顔だけを燃やしながら、怒りに染まった眼がぎょろぎょろと睨む。呆気に取られていた牡丹の代わりに呟いたのは、無月であった。


「……私の血を吸った短刀を、持ち出したのか」


 無月の部屋を漁った時に発見したのは、牡丹があの夜、一度だけ見たことがある短刀だった。普段から力を移すために使っているのなら、その刃は長年無月の力を浴びた事だろう。セイやテンジャクの棍のように普通の武器以上の力を得ているかもしれない。そんな期待を込めて持ち出したとはいえ、ここまで効果を発揮するとは思わず、使った張本人が一番驚いていた。


 この隙にと、我に返った牡丹は無月の元へ駆け寄った。縄を解き、釘に手を伸ばそうとした所で待ったがかかる。


「触るな。手が爛れてしまう」


 無月は目を瞑ってから、右手の甲に突き刺さった釘の頭部を掴む。皮膚が焼ける音を意にも介さず、一気に引き抜いた。飛び散った血は火の粉へ転じ、鱗粉の如く宙を舞った。引き抜かれた釘は赤く溶け、地面をゆっくりとなぞっていく。反対側の釘を抜いた所で、いい加減限界だったのだろう。またもばたりと地面に倒れ伏す。


 牡丹が慌てて半身を起こしてやっていると、土を踏みしめる音が近付いてきた。


「やってくれたものだな」


 信者達に支えられ、巳曽良が二人を見据える。焼け爛れた顔の表面は、先程までよりも目や口、鼻の数が減っていた。


「我らの力が一部焼けてしもうたわ。同胞も暫くここへ戻りはすまい。潮時か」


 空き地を呑まんと大きくなっていく炎を消すよりも、この隙に乗じて逃げ出す方を選んだらしい。戒めから脱した無月を再び従えさせるのが、今の弱った自分では難しいと判断したのもあるのだろう。


 加えて、相手は人ならざるもの。力を取り戻し、再び計画を企てる時間はたっぷりある。それゆえの余裕でもあった。


「我らはここを去ろう。村が焼ける前に、なあ?」


 最後の言葉に、無月の身体が一瞬強張った。

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