第二話

 牡丹が久しぶりに帰った我が家は、もぬけの殻であった。


「師匠! あたし、帰ったよ!」


 声をかけつつ、家中を探す。水につけられた食器は放置されたままで、一度戻ってきた家主は暫く家を留守にしているらしいと見受けられる。とりあえず荷物を自室へ置こうとして、戸を開けたまま凍り付く。


 そこは既に、空き部屋と化していた。


 自分がいた頃の気配を一切合切拭い去られた空間に足を踏み入れ、ぺたんと座り込む。もう戻ってこないと勝手に決めつけられたのが、酷く悔しい。荷物を室内へぶちまけ、ついでにいつも使っていた布団を押し入れから出せば、かつての部屋の様相を取り戻してきて少し落ち着いた。


 今度は無月の部屋へ足を向ける。旅荷物は片付けられもせず無造作に置かれたままで、旅立つ前とあまり変わりなかった。


 作業場や村へ探しに行くか迷い、忍び寄る夜の気配に提灯と火打石を抱えた。とりあえず火灯しの仕事をしようと思い立ったのだ。


 駆け足で村へ向かい、明かりに気付いて止まる。既に他の人の手によって灯篭に火が灯されていた。肩透かしを食らい、踵を返そうとしたものの、違和感を覚えて灯篭に近寄る。


 ここまで錆色に汚れていただろうか。漂う鉄に似た臭いは、何処から発せられているのか。

 

 姿を消した無月。嫌な予感を、牡丹は振り払おうとした。自分たちがいない間の手入れが悪かっただけだ。そう思おうとして、不安な気持ちのまま家へ戻る。


 玄関へ提灯を吊るし、動悸が早いまま牡丹は再び師匠の部屋へ戻っていた。微かに残る部屋主の気配。書置きでも残ってはいないかと、行灯の明かりを頼りに部屋や旅荷物を探った。藁にもすがるような気持ちで漁った末、牡丹は見慣れぬ小さな箱を発見した。


「これ、もしかして桜爛国の?」


 美麗な隆線が金で刻まれた、漆塗りの小箱。こんな華やかなものは、あの国で以外見たことがなかった。こっそり買った土産か、それとも。好奇心に負け、箱の蓋に手をかける。


 中を覗くと懐紙が詰め込まれていて、牡丹はぎょっとした。懐紙も箱に負けず劣らず、見ただけで高級さを醸し出していたのだ。どうやら中身を何十にもそれで包んでいるらしい。一体何をしまっているのだろうと首を傾げていた牡丹は、最後の一枚をめくりあげて目を大きく見開いた。


 麻の組紐。牡丹がクザンで贈った物を、無月は痛まぬよう包んで入れていたのだ。紐を掴み、牡丹は強く感情を滲ませて呟いた。


「大事なら、ちゃんとつけてよ……!」


 大切にしまって、箱の奥へ閉じ込められたくなんてなかった。

 傷ついてもいいから、傍に居させて欲しかった。


 少女の小さな慟哭が、ふと止まる。玄関から聞こえた物音に、牡丹は目を拭うと慌てて駆け出した。無月が帰ってきたのか。その期待はしかし裏切られ、代わりにいたのは別の人物であった。


 弦次郎が、絶句したままこちらを見つめている。牡丹がぱちぱちと瞬きをすると、立ち尽くした青年に一瞬小さな影が被さった気がした。


 来客の動揺とは対照的に、牡丹はすたすたと迷いなく眼前に立つ。無表情だった少女は、クザンで覚えた微笑を露わにしてみせた。


「弦、ただいま」


 簡単な挨拶に、青年の表情がいとも容易く決壊した。強張った頬を涙が流れ落ちる。泣き出した弦次郎は蹲って謝りだした。


「ごめんなさい……! 私が弱かったばかりに、守れなくて、何もできなくて!」


 玄関先で支離滅裂に懺悔する彼に、牡丹は目をぱちくりさせながらも、まずは草履をはいた。両手をがっちり掴むと引き摺るように立ち上がらせ、家の外へ出た。


「えいっ!」

「あ……ってうわあっ!?」


 手を掴んだまま、力任せにぶんぶん振り回す。突然の行動に驚き、手を離された頃には弦次郎の涙はすっかり止まっていた。


「落ち着いた?」

 

 覗き込んで確認した顔は、先程よりも平静を取り戻した風であった。弦次郎は乱れた息を整え終えると、取り繕うように頬をかきだした。


「も、申し訳ありません、無様な醜態を晒してしまって」

「ううん、あたしもすっきりした」


 乱れた気分を紛らわせてやるだけでなく、無月へのもやもやした気持ちを、八つ当たりで発散させてしまった。ごめんねと牡丹が謝り返すと、弦次郎は驚いたように少女の顔をまじまじと見つめた。


「どうしたの?」

「いえ、少し変わられたような……。あ、髪飾り、よく似合っていますね」


 旅立つ前にはなかった装飾を褒められ、条件反射で頬が赤くなる。鬼灯の飾りをいじり、照れながらありがとうと小声で返すと、何故か増々驚かれた。


 改めて家に招き、二人で座して顔を合わせる。中々頬の薄赤色が落ちぬまま、彼は留守の間村で何があったか簡単に教えてくれた。


 虚空衆による村の掌握。不満を述べる村人もいたが、村に危害を加えられるわけでもなく、信頼の厚い端日家当主の判断ならばと大半は受け入れていた。無月が捕らえられたという話を聞いた所で牡丹は腰を上げようとするも、慌てた様子で止められた。


「座敷牢には始終見張りがいます。忍び込むのも難しい」

「そんなに厳重なの?」

「ええ。それに私は、表立って貴方にご協力ができないのです」


 申し訳なさそうに謝罪される。虚空衆に歯向かえば、兄の命が危うくなるらしい。彼に手引きしてもらうのは難しそうだ。


 牡丹は帰郷を虚空衆から隠すため、玄関先に吊るした提灯は片付けていた。連中には顔を覚えられている上、弦次郎以外に村で味方がおらず、村に行くのは藪蛇となりそうだ。


「弦が今日来たのは、見張るように命じられたとか?」

「いえ、ここには……個人的な理由で毎日足を向けておりました」


 縋るような気持ちがあったのかもしれませんと、弦次郎は苦笑する。脅され碌に身動きできず、非力な自分を呪うばかり。きっと、状況を打開する誰かを求めていたのだろう。


「朔の夜に村の外で儀式を行う、と彼らは言っていました。これで鬼の力を完全に掌握できるようになるのだと」


 村の外であれば牡丹も近付きやすいのが僥倖だった。とはいえ大事な儀式であれば、やはり警戒も強いだろう。


 こんな事ならばクザンで武術を学ぶべきだったと後悔する。セイやテンジャクに助けを求めるにしても、朔の夜は間近に迫っていた。とはいえ、如何に困難だろうと、牡丹の選択は揺らがない。無月だって勝手にしたのだから、自分だってどんな手を使ってでも勝手に助けようと、覚悟を決めているのだから。


「色々教えてくれてありがとう」


 礼を言うと、本当に助けに行かれる気なのですねと確認される。弦次郎は苦しそうに顔をしかめ、自嘲の言葉を吐いた。


「役立たずな自分が悔しくてなりません。貴方を碌に助けられず、無月殿を守るという約束も違え、怯えてじっとしているばかりだ」

「弦は沢山助けてくれたよ」


 後ろ向きな考えに反論する。兄の命を握られながらも、彼はこうして牡丹に情報を伝えてくれた。一人ではきっと、何もできずに終わっていただろう。


「大丈夫だよ。弦は気弱で情けなくても、頼りになる所もちゃんとあるから」

「……もしかして私、結構嫌われていますか?」


 ううん、と牡丹は首を横に振った。最初こそどうでもいいと思っていたけれど、彼を嫌ったことは一度もなかった。


「師匠の次に好きだよ」


 弦次郎は驚愕の眼差しを浮かべたまま硬直し、少女をしばし見つめた。数秒のち、何かが吹っ切れたように息を吐いて笑う。


「ならば私は此度の件が片付いた時こそ、約束を果たしてみせましょう。貴方の友情に報いるために」


 彼はきっと虚空衆へ告げ口しないだろうし、今後も味方となってくれる。それを疑う気持ちなど一切浮かばず、やはり弦次郎は頼もしいなと思った。


「牡丹さん」


 帰り際に、弦次郎は一旦足を止める。真面目な表情で見つめられ、牡丹は小首を傾げて続きを促した。


「どうか、ご武運を」

「うん。弦もね」


 軽く頭を下げると、弦次郎はまた歩き出す。大きな背中が闇へ紛れてゆくまで、牡丹は見送り続けていた。



 自分の足音以外聞こえなくなってから、弦次郎はようやくゆっくりと振り返った。火灯しの家は暗がりに溶け、屋根の形すら判別できない。あの家に少女が帰ってきたのが、夢幻だったのではないかとさえ思えてくる。


「……師匠の次、か」


 道を引き返したくなるのを、ぐっと堪える。


 もっと早くに会いに行く、勇気があれば。

 あの時、自分も共に村を出ていれば。

 『次』ではなかったかもしれない、だなんて。


「悔しいなあ……」


 小さな呟きは闇の中へと吸い込まれ、消えた。

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