第九話
寝具から跳ね起きた牡丹は、枕元に置いていた手紙をがっしりと掴んだ。さっと文に目を通すと立ち上がり、一目散に謁見の間へ駆けてゆく。
来客を出迎えるように玉座に座る王の御前で、従者たちが取り囲んで声高に言い合っていた。
「ああ、桃姫様の御髪が!」
「短くなっても格別に似合っております!」
「新しい服を拵えましょう!」
長く伸びた薄桃色の髪が、肩付近まで短くなっていた。短髪となった桃姫は牡丹の姿を見ると、従者達を下がらせる。用を察したのだろう。
「師匠のくれた髪飾り、返して」
牡丹が睨みつけると、桃姫はにやにやと笑みを浮かべて袖から目的の品を取り出した。見せつけるように鬼灯の飾りへ口付ける。
「もう少しここにいてもよいのだぞ。そなたが失った幼い記憶、わらわなら取り戻せよう」
「嫌だよ。また勝手にあたしを食べる気でしょう」
そっけない断りに、桃姫はつれないなと肩を竦めた。髪飾りを未だ手の中で弄んだまま。
「あの小僧の元へ戻る気だな?」
問いかけに、当然とばかりに頷く。手紙の内容をどれだけ思い出しても、文面通り離れる気は更々なかった。
『私から離れ、どこへなりとも行くがいい。こちらとしてもせいせいする。
今まで沢山嘘を付いてすまなかった。どうか私の事など忘れ、幸せになってくれ』
突き放したいなら、最後まで冷たくすればいいものを。無月の真意も、隠していた内容も未だ掴めない。だから今度こそ、本心を教えて欲しい。
「心を弄ろうとした詫びに、そなたに教えてやろう」
詫びという割に、謝罪の様子は全く見られない。桃姫はむしろ悪だくみをするような笑みを浮かべていた。
「無月は人ではない。鬼憑きだ」
明かされたのは、彼がずっと隠していた秘密であった。おにつき、という聞き慣れない言葉に、牡丹は何それと疑問の声を上げる。
「簡単に言えば、人が鬼の力を得た異形よ」
桃姫は間をたっぷり持たせて、短くなった桃髪を指に絡ませた。鬼灯を軽く揺らし、流し目でこちらを見やる。
「鬼が器を得るのとは話が違う。只人の身には余る力を無月が我が物とするまで、屍が山となっていたからなあ」
唇からは、抑えきれぬ笑みがこぼれていた。どうやらこの状況を楽しんでいるらしく、嬉々として暗い過去を引き摺り出してゆく。
「火灯しの一族など虚言。あれは人殺しの化け物だ」
一族代々火灯しをしていた、と無月から教えられていたのは、全て偽りであった。血が燃えるのも、血筋ではなく彼の持つ鬼の力によるもの。最初からずっと牡丹は騙されていたのだと、鬼は嗤った。
「血に塗れた手を、そなたは何とする?」
「どうもしないよ。いつも通り、握るだけだ」
無月の正体や過去が何であろうと気にしない。ずっと前から変わらない、単純な答えであった。竹を割ったような返答に、桃姫は目を細める。
「青銅鬼とわらわで慣れたか。いや、そなたは元より芯が強い娘であったな」
あの半端者には勿体ないなと桃姫は残念そうに呟き、髪飾りを差し出す。ようやっと返されたそれに、牡丹はほっとして手を伸ばした。その一瞬の隙を狙って、たおやかな指が少女の手首を掴む。抗うのに遅れた身体が傾き、柔らかな唇が少女の耳元へと押し当てられた。
吐息が耳朶を擽り、瞳を丸く見開く。我に返って飛び退くと、妙な感触を振り払うように、そわそわと耳朶を触った。
「やはりそなた、可愛いのう」
悪戯が成功して、桃姫はくつくつと笑った。それが落ち着いた途端、真面目な顔つきとなる。
「心せよ。そなたの故郷に巣食う魔は、一つではない」
非力な小娘を案じるように、桃姫はそう警告した。
◇◇◇
端日家、当主の自室にて。
向かい合って正座をする兄弟の間には、緊迫した空気が漂っていた。もっともそれは主に弟によるもので、兄の方は真顔でただ見つめ返しているだけであった。
「無月殿へのご対応、どうか考え直していただきたい」
弟の訴えに、喜一郎は無表情のまま視線を寄こした。座したまま数秒黙りこくってから、お前は何も知らぬだけだと言い返す。
「お前が同情しているのは、かつて村を襲った災厄。端日家の先祖もあれに殺されているのだぞ」
当主のみに語り継がれていた過去に、弦次郎は絶句した。自分が庇おうとした者が大罪を背負った化け物であると明かされ、迷うように視線を揺らす。項垂れそうになったものの、弦次郎は今一度兄を睨み返した。
たった一人の少女との約束を守るために。
「この村を長年守って下さったのは事実。それに感謝もせず、戻ってきた彼にあのような非人道的な仕打ち、あまりに惨いではありませんか!」
情に流されず合理的に判断する、厳しい兄であった。けれど決して、情を踏みにじる男ではなかったはずだ。
「最近の兄さんはどうかしています。もしやあの連中に脅されて──」
「臭うなあ」
がらり、と戸が開く。ぬらりと入ってきた袈裟姿に、弦次郎は片膝を立て警戒の意を示した。
「そこな弟、最近こそこそと嗅ぎまわっておるな」
巳曽良は錫杖で弦次郎を指し示す。白い布で隠されており、相変わらずその表情は読めなかった。
「巳曽良殿、こやつは役立たずの愚弟です。貴方の計画に影響を与える力もない」
兄の酷評に、弦次郎は傷ついた表情を浮かべる。一方巳曽良の方は言葉通りの意味として捉えなかった。
「貴様、弟を庇っておるな?」
その指摘に、悲しみを湛えた表情がはっとしたものとなる。
役立たずには客人の対応など任せられん。半人前はただ大人しくしていろ。よくそう命じられていたのは、虚空衆に関わらせないようにするためか。
「時間をかけて躾けたが、まだ弟恋しと抗えるか。強靭な意志よな」
「兄に何をしたのですか!?」
質問を無視し、巳曽良はゆらゆらと畳を踏み進む。身構える弦次郎を素通りし、喜一郎の首を無造作に掴んだ。
「安心せい。何分小食ゆえ、無闇矢鱈には手を掛けぬ」
その代わりと、弦次郎へ見せつけるように喜一郎を掴み上げる。首を掴まれ引き摺られた人質は、無表情のまま抗いもしなかった。巳曽良は空いた片手で布をめくり、素顔を相手の眼前へ晒す。
それはできの悪い、福笑いの貌に似ていた。目、口、鼻。顔にある器官が表面を埋め尽くすほど浮かび上がり、皮膚の上を揺蕩っている。
「我らの邪魔をするならば、兄者の命はないと心得よ」
無数の口がけたけたと嗤い、青年の悲鳴を塗り潰した。
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