第四話

 牡丹たちがもてなしを受け始めて、一週間後。大詰めとばかりに、従者たちは目を爛々と輝かせて最後の衣装調整に入っていた。


「牡丹様、初日とは見違えるようです!」

「やはり素朴な飾り立ての方が似合いますわ!」

「ああっ、裾の長さも最適です!」


 並びたてられる誉め言葉に、牡丹は小さな声でありがとうと礼を述べた。幾ら褒められてもやっぱり慣れないままだった。草履とは違う革靴の感触に、ふらりとよろめく。従者達が両側から手を取ってくれ、牡丹は支えられるようにして並んで歩いた。


「これで謁見、できるかな?」

「ええ、勿論です。ですがその前に」


 葵はちらりと他の従者達に目配せを送る。皆一様にして、うきうきとした眼差しで頷き合った。


「ええ、ええ、是非見てもらいませんと!」

「どんな反応をして下さいますかしら!」

「この瞬間が、いつも二番目に楽しみですわよね!」


 謁見とは別に何かあるのかな、と牡丹は重たい首を傾げた。女性陣の思惑を掴めぬまま廊下へ出て、謁見の間へと向かう。厳重な扉の前には、無月が一人で立っていた。足音に気付き顔をこちらへ向け、無月は目を大きく見開かせて動きを止めた。


「あれ、師匠は服同じなんだね」


 自分と違って、無月は着せ替えられている様子がない。不思議に思って呟くも、反応はなかった。代わりに葵が隣から答えてくれる。


「元より対象は、牡丹様のみでしたので」


 初耳であった。牡丹と同じく日を追うごとに血色や肌つやが良くなり、ついでに気疲れを増していたようなので、てっきり無月も対象なのだとばかり思っていたのだ。

無月とは庭園で歓談していたのに、牡丹は着飾らなければ会う価値無しと見做されたのだろうか。


「……師匠?」


 推測を立てたところで、牡丹は未だ反応のない無月に首を傾げる。普段とは異なる自らの姿を、当の本人は興味がないからとあまり自覚していなかった。


 今の牡丹は、桜爛国で与えられた慣れぬ服を着ていた。長く柔らかな着物と帯紐は新品同然に汚れを知らず、焚きしめられた澄んだ香りを纏っている。白い布地には、同じ名を持つ花が幾重にも咲き誇っていた。普段肩を掠める黒髪は一つに纏めて結われ、小さな赤い花の意匠をあしらった簪で留められている。着物が華やかな分、髪を彩るのは簪と、無月から貰った鬼灯の髪飾りだけであった。この髪飾りも一緒にと、牡丹はあらかじめ葵達に頼んでいたのだ。


「さっきからぼうっとして、どうかしたの?」


 声だけは元のまま、無月へ顔を寄せる。化粧っ気のなかった顔は、白粉と紅で彩られていた。薄っすらと白んだ肌に、瞳と口元の紅が艶々と色濃く映る。今の牡丹は、普段よりもずっと、年頃らしい娘として映っていた。


 幼さの残る声音でようやく硬直が解けた無月は、今度は視線をさっと横に逸らした。露骨な反応に、着慣れぬ服で重たくなっていた牡丹の気持ちが更に沈む。


「あたし、そんなに変かな」

「いやそうではない、そうではないんだ!」


 無月は片手で自らの顔を覆った。手のひらの中から、辛うじて聞き取れる感想が漏れてくる。


「お前があまりに、美しい女になっていたから……」


 隠しきれぬ耳元は、真っ赤な色へ塗り替わっていた。釣られて牡丹も、ぼっと一気に肌を紅色に染める。後ろでは葵達が客人の連れの反応を見て嬉しそうに手を取り合っていた。


 長い裾を掴み、牡丹は真っ赤になったまま俯く。相手の顔を見られない理由は、きっと同じだった。


「う、美しい、の?」

「あ、ああ……。知らぬ間に随分成長して、いやおれが見ようとしなかっただけか……」


 とうとう無月は両手に顔を埋めてしまった。どうやらかなり混乱しているらしい。


「何を言っているんだおれは……。全部忘れてくれ」

「ええっ、嫌だよ! 嬉しかったのに!」


 大声を出して反論すると、両手の中から呻き声が零れてきた。二人が散々照れ合った所を見計らって、葵が声をかけてくる。


「さあ、この艶姿を桃姫様にも是非披露しましょう!」


 従者たちは扉を開け、二人を謁見の間へ誘った。奥の玉座には、前回と同じく国の主が腰かけていた。部屋に足を踏み入れた客人の姿を見て、桃姫はゆらりと立ち上がる。待ち構えるように無月は居住まいを正してこうべを垂れた。


 王が足を向けたのは礼儀を示した男ではなく、拵えられた娘の方であった。目を細めて頭の先からつま先まで出来栄えを確認すると、大きく頷く。


 そしてがばりと、抱きついた。


「あああ~、やはりそなたは可愛いのう!」


 桃姫は満面の笑みを浮かべて、牡丹の顔にすりすりと頬擦りした。妙齢の美女による突然の奇行に、牡丹と無月は唖然としたまま身体を硬直させる。


「あ~、肌がすっかり艶々で、装いも実に似合うておる。褒めて遣わすぞ!」


 嬉々とした声が、手がけた従者一人一人の手腕を布選びから装身具に至るまで評価する。主君に褒められ、葵達は身に余る光栄ですと感極まった表情を浮かべた。ひとしきり従者達を褒めてのち、ようやく桃姫は顔を牡丹から離した。


「そなたはもう帰ってよいぞ」

 桃姫は無月へ向けて、手で追い払う仕草をしてみせた。庭園での光景が嘘のような軽い扱いに、牡丹は更に驚く。もっとも無月の方は半ば予想がついていたらしく、苦笑いを浮かべて大人しく了承した。


「先に部屋へ戻っている」


 無月は牡丹へ手を伸ばしかけ、そっと降ろす。綺麗に整えられた髪が乱れぬよう慮っての事だろう。それが寂しく感じて、腕に絡み付いてきた桃姫には気を留めず口を開く。


「早くいつもの服に着替えて、沢山師匠と話したいな」

「……私もだよ」


 ふっと、優しく微笑まれる。見慣れたはずの表情に、牡丹は何故か落ち着かない気持ちになった。何となく師匠の後姿を視線で追う。重たい扉が、追いかける視線をぶつりと遮った。

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