第二話

「どうぞこちらへ」


 二人が案内されたのは、豪勢な客室であった。寝台は布団よりもずっと厚みがあり、瑠璃色の水差しは調度品というよりも芸術品さながらの美しさがあった。


「今宵はひとまず、こちらの部屋で旅の疲れをお癒し下さい」


 説明を終えると、葵は背筋を伸ばして去っていく。牡丹はどっと疲労感が湧いて寝台に腰かけた。想像以上の柔らかさにぎょっとして、慌てて立ち上がる。


「これじゃあ、逆に落ち着かないよ」

「そうだな。しかし今更別の宿を探して、一国の王の厚意を袖に振ったと責められても困る……」


 顔をしかめて無月はぼやく。嫌な記憶を掘り起こしているような表情が、ふと気になった。


「師匠、桃姫と会った事があるの?」

「昔、一度だけな。あまりいい思い出ではないから、聞いてくれるな」


 いつも穏やかな師匠にしては露骨に嫌そうなそぶりを見せるので、牡丹はこくりと頷いた。不快にさせてまで知りたいとは思わないし、桃姫と無月の間に昔何があろうと、関係のない事だ。


 関係ない筈だと思いながらも、しこりを残す感触にふと首を傾げる。気を紛らわすべく、牡丹は別の疑問を口に出した。


「桃姫にお願いする事って、なに?」

「……ああ、まだ伝えていなかったな」


 すまないと謝罪の言葉が寄こされる。最近謝られてばかりな気がする、と牡丹は思った。無月が黙っていることを、牡丹が指摘するようになってからだ。以前は彼が何を考えていようと、あまり気にしていなかった。けれど、家を出るよう告げられた時の記憶が、警鐘を鳴らす。


 このまま踏み込まずただ頷いていては、いつか彼は自分を──。 


「桃姫は、鬼だ」


 物思いに耽りそうになった思考が、突然の暴露で停止した。目をぱちくりと瞬きする牡丹の反応に、無月は苦笑して話を続ける。


「村の灯篭や提灯は……かつて私の何代も前に、あの方から助言を頂いたものだ」


 クザンではセイの腕を武器として使うように、桃姫も鬼の力を利用して国を守っているのだろう。この国には多くの飾り提灯があるのだから、作り方から参考にしたのかもしれない。もっとも、村の提灯はここのものと比べて全く飾り気がないが。


「クザンでは、猿鬼に提灯が効かなかった。村にもいつか似た危険が迫るかもしれん。改良すべく、助言を貰いに来たという訳だ」


 提灯をあっけなく踏みつぶして嗤う鬼の姿は、記憶に新しい。あのような鬼が攻めてくれば、確かにこのままでは小さな村はひとたまりもないだろう。


 つらつらと述べられる説明が、一旦止まる。


「ただ、あの通り桃姫は、なんというか……変わっていてな」


 困ったような顔を浮かべて、無月は牡丹をちらりと見やる。桃姫の横暴さは短い邂逅で十分に味わった。続いた言葉は、その予想の更に斜め上をいくものだった。


「あの方は、元気で若々しい子が好きなんだ。特に牡丹は、かなり好みだろうよ」


 そんな事を言われても、全くもって嬉しくなかった。向こうからしても、改名を粗雑に断った相手などむしろ嫌いそうなものだが、無月はそうは思っていないらしい。


「次の謁見では、お前一人が執拗に絡まれるかもしれん。どうか堪えて欲しい」


 絢爛たる国の王が牡丹にどう絡むのか、とても想像ができない。かといって申し訳なさそうな無月を見ていられず、牡丹は分かったと頷く。了承の返事に、無月はほっと胸をなでおろしたようだった。


「……すまないな」

「ううん、別に。この位なんでもないよ」


 淡い笑みを乗せた眼差しに何故か気恥ずかしくなって、牡丹は視線を逸らした。耳元の髪飾りをいじりつつ気持ちを落ち着かせた頃には、もうすっかり胸の奥のしこりは溶け消えていた。


 この位、なんでもない。確かにそう思っていたが、次の日にはもう前言撤回したくなるのを、今の牡丹は露とも知らなかった。




◇◇◇




 翌日。早朝一番にして、従者の葵は二人に宣言した。


「本日より桃姫様の寵愛を受けるに足るよう、存分にもてなさせていただきます」


 碌な説明もなしに、牡丹は複数の従者に引きずられていった。気の毒そうな顔で見送る無月の背後にも、数名の男の従者が構えていたので、恐らく彼も連行されたに違いない。


 牡丹が連れてこられたのは、大浴場であった。問答無用で衣類をはぎ取られ、乳白色の湯へと突っ込まれる。かさついた肌を、四方八方から伸びた手がせっせと磨いてきた。


「柊、貴方は髪を。紫陽花と百合は肌をお願いします」 


 袖をまくり上げた葵が、てきぱきと他の従者へ指示を飛ばす。幾ら同性であろうと、明るいうちから身体中を好き勝手に磨かれるなど初めてだ。牡丹の拙い抵抗を、彼女たちは笑みと共にさらりと流した。


「か、体くらい自分で洗えるよ!」

「ご遠慮なさらずに。私達、好きでやっていますもの」

「不摂生な暮らしでしたのね。お肌に水が足りませんわよ」

「髪もこんなに荒れて。椿油を塗りましょうね」


 赤子をあやす母親とて、ここまで甲斐甲斐しいものであろうか。彼女達は数十分にわたり、それはもう丁寧に牡丹の汚れを洗い落とした。長風呂から出されると、今度は手足や肩を揉まれた。指が疲れるだろうに、彼女たちはにこにこと楽しそうに指圧をかけてきた。


「肩なんて凝ってないよ」

「ふふ、血行をよくしていますのよ」

「ほらお肌が赤らんできましたわ」

「暖かくなってきたでしょう?」


 指先まで揉まれ、お湯とは別の熱がぽかぽかと体の内側から湧いてくる。眠くなった牡丹は、彼女たちが注意深く爪を観察し、硝子製の爪磨きをそっと押し当てるのをぼんやりと眺めた。


 食事頃になるとようやく無月と再会した。同じく洗礼を受けたのか、牡丹と似たり寄ったりの疲れた表情を浮かべている。


「美容と栄養を考慮した献立です。お召し上がりください」


 机の上には、牡丹が見たこともない料理が並べられていた。美味しくはあるのだが、自分が何を食べているのかさっぱり分からなかった。


「師匠、この果物ってなに?」

「私にも皆目見当がつかん……」


 博識な無月さえ分からぬ珍品の数々を、二人は死んだ魚のような目で味わった。それから少し休憩を挟み、二人はまた従者たちにそれぞれ連行された。


 風呂や食事よりもずっと厄介なのが、衣装合わせであった。


「ねえねえ、こちらの服がいいのではないかしら?」

「爪を桃色に塗って桃姫様の御髪と近くしましょうよ」

「ならこの腕輪はどうかしら、桃姫様にも合いそう!」


 従者たちはきゃあきゃあと明るく声を上げては様々な服や装飾品などを牡丹につけ、ああでもないこうでもないと意見を交わす。茶菓子を食べつつ語らう彼女達は、それはもう生き生きしていた。水色の寒天を時折つまみつつ、牡丹はもうどうにでもなれと投げやりな気持ちで大人しく着せ替え人形となっていた。


 賑やかな論争を、葵の叩く手が一旦遮る。


「一週間後まで、毎日こうして案を練りましょう」

「一週間続けるの!?」

「そうですが何か?」


 牡丹は幾度目かの頭痛がしてきた。これなら食堂の手伝いの方が、何百倍もましである。


「綺麗な服を着たら終わり、じゃないの?」

「美は一日にして成らず、ですから」

「なにそれ」

「至言ですよ。知らないのですか」


 初耳であった。

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