第九話

 今回の鬼の襲撃に、クザンは少なからず被害を受けた。西門は破壊され、崩れた家もある。負傷した兵士も多い。それでも次の日には活気な声が青空の下に響いていた。


 クザンの人々が逞しく修理に当たっているのを、牡丹は部屋の中で人伝手に聞いていた。猿鬼に捕まれた四肢は、暫く腫れて痛みを伴った。大したことないと仕事を手伝おうとする牡丹に業を煮やしたアトリは、包丁を枕元に突き立てたのだ。


「傷が治るまでじっとしてな。でないとその足たたっ切るよ!」


 敷布を貫き床に深々と刺さった刃物を前に、牡丹はこくこくと頷いた。殺気を飛ばしてくる相手に逆らってまで、動く気にはならなかったのだ。


「この家を守ろうとしてくれたのは嬉しいけど、アンタが怪我する方が辛いんだ。もう、よしておくれよ」


 こうしてまた一つ、どうでもよくない理由が増えていた。アトリが殺意を籠める程心配しているのだからと、牡丹はそれ以降は大人しく寝転っていた。


 無月は一度、見舞いに来てくれた。元気そうな牡丹に安堵してから、気まずそうに口を開かれる。


「牡丹、あの時の事は忘れてくれ」

「あの時って、鬼が燃えた時の事? あれって師匠が」

「忘れてくれ」


 再度きっぱり頼まれ、助けてくれたんでしょうと続けようとした言葉を飲み込む。


 牡丹を捕らえていた鬼の、突然の発火。それは無月の血が提灯の和紙を炙った時を想起させた。きっとあれと同じような原理だったんだろうと牡丹は内心結論付ける。気にはなったが、師匠がそこまで口止めしてくるなら、敢えて問いたださなくともいいかと思い直した。


「でも、震えた師匠があたしを抱きかかえて守ってくれたことは、絶対忘れないよ」

「後生だから、全て記憶から抹消してくれ……」


 渋い表情の無月に、牡丹は頷かずにっこり微笑んだ。師匠の頼みとはいえ、このお願いは聞けそうになかった。


 助けてくれたことも、死んで欲しくないという願いも、どれも一生憶えていたい、大切な思い出なのだから。




◇◇◇




 二人がセイに別れを告げに屯所へ訪れた日には、彼の腕の数は二本に戻っていた。


「あれか? 切り落としたぞ!」


 なんてことないようにセイは笑って言った。それからいい事を思いついたとばかりに、傍で控えるテンジャクに声をかける。


「あの腕で今度は大剣でも作るか!」

「鍛冶師が言うには、小刀の様な小物の方が活きるだと」

「ふうむ、急ごしらえで生やしたから硬度が甘かったか」


 自らの腕を素材にする話題に、牡丹は怯えこそしないものの面食らっていた。骨とはそんなに丈夫な素材になるのかと考えていると、セイは簡単に説明してくれた。


「オレは鉱石から成った鬼だからな!」

「……すまない。いたずらに怖がらせまいと黙っていた」


 無月も旧知の事実だったらしく、言いにくそうに謝られる。鬼の姿にクザンの民が何も反応しなかった辺り、知らないのは牡丹だけだったらしい。別に怖がりはしないし、最初から教えてくれてもよかったのにと牡丹が疎外感を覚えていると、それでとセイが二人をじろじろ眺めて切り出した。


「これから村に帰るのか?」

「いや、私達は桜爛国おうらんこくへ向かう」


 無月の言葉に、えっと牡丹は驚いた。初耳だったのだ。ばつの悪そうな表情を浮かべ、無月は今更訊ねてくる。


「……勝手に決めてすまない。牡丹、嫌か」

「ううん、嫌じゃない!」


 ぶんぶんと首を横に振って答える。無月と一緒なら、どこだって構わないのだから。それに、とクザンへ赴くときには浮かばなかった言葉が付け加えられる。


「知らない所に行くの、楽しみな気がするよ」


 どこだろうとどうでもいい。そう思っていたけれど、クザンは沢山の『好き』を牡丹にくれた。勿論他の場所もそうとは限らない。そしてそれは、あの村と同じ扱いを受けると決まっているわけではないのだ。そんな当たり前のことを、今更ながらに思い知っていた。


 牡丹の変化に、無月は一瞬だけ表情を強張らせたように見えた。続けてそうかと相槌を打った時にはもう、優しそうに微笑んでいた。


「旅立つ前に、知り合い全員に挨拶しに行ってはどうだ」


 無月は明るく提案して、ちらりと目配せをした。意図を察したセイはやけに大げさにため息をつくと、副隊長の背中を軽く叩く。


「屯所の中で迷子になっても困るだろうし、ボタンと一緒に行ってやれ」


 その言葉に、片目の眼光が鋭く瞬いた。彼は険しい顔つきのまま、行くぞと先導する。問答無用でずかずか歩いていく男の背を、牡丹は慌てて追いかけた。


 機嫌が悪そうな眼差しが、部屋を出た所でちらりと牡丹を映す。先程までより幾分か柔らかくなったそれで、テンジャクは問いかけてきた。


「この国は気に入ったか」

「うん。好きになったよ」

「そうか。アトリもお前が去るのを大層惜しんでいた。部屋ならいつでも空いている。だから……、いや」


 テンジャクはここへ残らないか、誘いたかったのかもしれない。言った所で牡丹の考えが変わりはしないと見越して、言葉を切ったのだろう。眼帯越しに隠れた目玉をがしがし掻き、軽く息をついてからまた歩き出した。出会った時よりも和らいだ眼差しを感じ、微笑を浮かべて隣を歩く。


 いつかまたこの国へ、師匠と共に訪れたい。


 この時無月が何を考えているか全く知らぬままに、牡丹はただ未来への展望へ想いを馳せていたのだった。



 二人きりになった部屋。先程より重みを増した空気の中、セイはほらよと懐から封筒を取り出した。


「紹介状だ。これでアイツに会えるだろう」

「感謝する」


 牡丹に内緒で取り決めていた仕事の報酬を受け取ろうとして、無月の指は空を切った。


「本当にあの国へ行く気か」


 ひょいと封筒を持ち上げ、セイにしては珍しく歯切れ悪く問いかけてくる。


「何を企んでいるか知らんが、トーキに関わるのはやめておけ。碌な事にならんぞ」

「承知の上だ」


 無月は引き下がるつもりはなかった。例え、どうなるか分かっていたとしても。


 硬い表情のまま、頼むと今一度告げる。数十秒もの間旧友を睨みつけていたセイはとうとう根負けし、どうなっても知らんぞと封筒をその手に叩きつけた。

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