第八話
「何だオマエら、三体もいたのか!」
朗らかに笑いながら棍を構え直すのは、セイの姿であった。どうやら屋根を飛び移ってここまで到着したらしい。
「サル、諦めろ。オマエらと雑魚じゃオレ達には敵わん」
「ヌカセ!」
ぎいいいっと、ひと際大きく猿鬼は啼いた。それに合わせ、影のような鬼達がざわめきにじり寄ろうとする。セイはそれに動揺した様子もなく、牡丹達の方をちらりと見た。
「ムゲツ、手を貸せ!」
呼ばれた背中が、一瞬ぎくりと硬直した。無月は目を瞑ったまま、いやいやをするように首を震わせて意を示した。
悠長によそ見をする敵へ、鬼の群れがなだれ込む。軽く薙ぎ払って蹴散らす隙に、猿鬼が体当たりをしかけた。両手で棍を前に突き出し、セイは体重の掛けられた攻撃を防ぐ。爪と牙が幾ら食い込もうとも、黒塗りの棍はひび一つないままであり、使い手も笑顔を崩さず涼しげなものだった。
揺るがぬ強さに頼もしさを感じていた牡丹は、更なる乱入に気付いた。セイへ群がろうとする鬼の群れとは、別のもの。背中から秘かに忍び寄ろうとしているのを見て、牡丹は声を上げた。
「セイ、上! 危ないよ!」
警告の声を発しようと、セイの両手は塞がっている。それを好機と空から飛び掛かったのは、啼き声を聞きつけ東門から移動してきた、最後の一体であった。猿鬼は醜悪に顔を歪ませ、無防備な首元へと口を大きく開いた。
凶歯が皮膚へかじりつく。首筋へ、ではない。
腕だった。首元から生えた、三つ目の腕にかじりついていた。
「脆いなァ」
首から腕を突如生やしたセイは、にやりと笑った。おぞましくも鋭い牙は肌に傷一つ負わせられず、むしろ噛んだ歯に亀裂が走っていく。血の一滴すら零れぬ滑らかな皮膚が、さあっと変色した。赤みを帯びた肌色から、鮮やかな青緑色へと。
「そんな脆さで、この
自らよりも強靭なモノへ牙を立てる口を、青緑色の腕が掴み上げる。鬱陶しそうに持ち上げて力を籠めると、拳の中でごきりと骨が折れる音が響いた。だらんと抵抗の失せた四肢を放り投げると、さながら毬の如く巨体が弾んでいく。傍若無人な鬼の乱闘ぶりに、牡丹はただ呆気に取られていた。
最後の一体が、ぎりぎりと歯ぎしりをして本性を露わにした同胞を睨みつける。どう見ても、形勢不利であった。逃げるか、否か。迷うようにして揺れた身体が、接近してくる複数の足音を聞きつけてにいと嗤った。
「隊長、ご無事ですか!」
加勢に現れた兵の群れは、猿鬼にとって絶好の獲物に見えた。かく乱するような動きで飛び回りながら、急速に距離を詰める。反応が遅れた兵達の横をすり抜け前に躍り出たのは、テンジャクであった。
「舐めるなよ、鬼共が!」
迫りくる死の牙先を、鋭い観察眼は必要最小限の動きで見切っていた。勢いを殺さぬまま突き立てられた棍が、猿鬼の腹に穴を穿つ。辛うじて急所を避けた猿鬼が、怒りを煮え滾らせて吠えた。
「タダの人間の棒きれ如キガ──!」
「生憎、ただの棒ではない」
テンジャクはそっけなく告げると、目で合図を送る。腹を穿たれ身動きの取れない背中を、対の棍が貫いた。
「そうさァ、このオレの骨で作った、とっておきダァ!」
二つの棍が交差するように、巨大な身体を横断する。ぎっと短い断末魔を響かせたが最後、猿鬼はどす黒い血を吹き出してどうと倒れた。先程まで暴力を誇示していた鬼は、今となってはただの大きな猿と然程変わらぬ骸であった。
統率が死ねば、残るは普段の小競り合いとそう変わらない。残りの鬼達がまばらに動き出すのを、兵達は手慣れた動きで仕留めていく。
「かがり火で鬼共の侵入経路は限られている。冷静に対処しろ!」
テンジャクが指示を飛ばしている最中、最後に残った鬼がどしどしと二人の方へ近寄ってきた。未だ抱きすくめられて碌に動けない牡丹へ顔を寄せ、にいと唇を釣り上げる。
「よォく生きてたなァ! えらいゾ!」
三つ目の腕が小さな頭を掴むと、ぐりぐりと撫でた。おいと慌てた声のテンジャクに止められ、青銅鬼はぱっと指を離す。
掴み殺した鬼の毛や体液がこびり付いた、化け物の色をした手のひら。そうだったそうだったと、鬼はからから乾いた嗤い声を上げた。
「すまん。気味が悪いよなァ」
「ううん」
牡丹は首を横に振った。
鬼の手はごつごつしていて硬くて、乱暴だった。けれど触れられた時にあたたかくなる気持ちは、同じだった。
「セイに撫でられるのは好きだよ。指が硬くなっても好き」
その言葉に、テンジャクとセイは揃って虚を突かれた。一足先にその状態から戻ったセイが、今度は右腕で頭を撫でまわす。
「オマエはやっぱり肝の据わった、大した女だなァ!」
セイは破顔すると少女の頭を構いまくった。牡丹の髪がすっかりぼさぼさになってからようやく手が離れ、笑顔が苦笑いへと変わる。
「それに比べ、オマエなァ……」
呆れを混ぜた金色の視線の先を辿る。事が終わってもなお、無月は目を瞑って少女にしがみ付き震えている。その姿はまるで、全てから隠れようとしている怯えた子供のようだと、牡丹は思った。
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