第七話
人気の失せた通りを抜け、提灯を掲げる。黒々とした気配が、そこかしこに満ちている。村の近くの竹林と同じだ、と思った。沢山の何かがこちらを凝視して、けれど近寄ろうとしない。火灯しの提灯が、鬼から守ってくれているからだ。
あちこちの建物から、何かが軋む音が響いて来る。鬼達が興味本位で壊しているのだ。食堂の戸に長い指のようなものが巻き付こうとしているのを見て、牡丹は咄嗟に提灯を押し付けた。途端、ざあっと闇が解けて散り散りになる。
「アトリの食堂に手を出すな!」
庇うように両手を横に広げ、戸の前に陣取る。この手の先にある頼もしい明かりが、自分とこの場所を守ってくれるはずだからと。
この時牡丹は思い至らなかったのだ。
火灯しの炎を恐れぬ鬼も存在するという、事実を。
「アハハハハァ! 笑止! 笑止!」
「ワレラ、下等な鬼にアラズ! 故に恐レズ!」
ギャラギャラと耳障りな嗤い声が、二つ。顔を上げた牡丹の首を、けむくじゃらの手が掴んで地面に叩きつけた。指先から転がり落ちた提灯をぐしゃりと踏みつけたのは、もう一体。二体の大きな猿鬼が、ぎょろぎょろと獲物を見物していた。
「コイツはイイ、がらんどうダ! いい器に成ロウゾ!」
「クエ! 殺セ! 血と肉と骨にワケロ!」
歓喜に満ちた声が、頭上でがんがん響く。霞む視界を動かすと、にたにた嗤う鬼達の顔がすぐ傍にあった。周囲を取り囲むのは、手下の弱い鬼達。
そして、黒い靄のような何か。
『──赤憑きめ。赤子の内に間引いとけば──』
『両親が早死───のもきっと────せいさ』
『とっとと死んじまえ、──の面汚しが』
暗闇に罵声が溶けてゆく。いつものようにやり過ごそうと視線を下に落として、地面に転がった髪飾りに気付いた。叩きつけられた時に落ちてしまったのだろう。それを見た瞬間、目の前の鬼達も靄の囁きもどうでもよくなった。無月のくれた贈り物の方が、ずっと気がかりだった。手を伸ばして掴み、壊れてはいない感触に安堵する。
「ナンダァ? 武器カ?」
突然獲物が動いたのに興味を引かれたのか、手首を掴まれた。痛みに歯を噛みしめるも、手のひらにしまい込んだ宝物が奪われぬよう、握りこぶしに力を入れる。
「離せっ! お前達なんかに渡すもんか!」
鬼の手を振り払うなど、華奢な娘の力ではできようはずがなかった。それでも威勢だけは衰えず、拒絶を口にしながら諦めず手に力を籠め続けた。哀れな足掻きに、嘲笑が強まる。にやけた顔が馬鹿にするように眼前に迫り、ふと止まった。
圧倒的な死を前にして、なおも力強い眼差し。
苛烈なまでに燃える紅の色に、二体は知らず気圧されていた。
「……ナンダコイツ?」
「折ルカ」
「壊スカ」
揃った声が、覆いかぶさる。四つの手が牡丹の四肢を掴んだ。十秒と経たないうちに、小枝を折るような容易さで手足はもがれてしまうだろう。
牡丹としては、自分が死のうが生きようがどうでもよかった。けれど手の中にある感触が、行くなと叫ぶ声が、後ろ髪を引いてくる。牡丹に生きていて欲しいのだと。
胸の奥に降り積もった想いに応えるべく、牡丹は無駄なあがきであろうと抗うべく身を固くした。
「アアアアアアッ!」
悲鳴が宵闇に轟く。牡丹のものではない。先程まで両手首を掴んでいた、鬼のものであった。
捕まれていた四肢が突然解放される。それとほぼ同時に、何かがどんっと自分にぶつかった。勢い余ったそれと共に、牡丹は地面を転がる。痛くはなかった。牡丹の身体を守るように、無月に抱きすくめられていたから。
驚いて腕の中から抜け出そうにも、がっちりと捕らえられていて無理そうだ。どうにか動こうとした指が、湿った着物の布地を掠める。ぶつかり転んだ時のせいか、ここに来る途中で傷を負ったのか、無月から錆びた鉄のような香りが滲み出ていた。
「師匠、怪我してるの!?」
「そんな事はどうでもいい!」
あまりに強い怒気に、牡丹は息を飲む。抱きしめる腕は小刻みに震えていた。無月は両目をきつく閉じて額を小さな肩にうずめ、苦しそうに息をついた。
「頼むから、あまり無茶をしてくれるな……!」
牡丹は目をぱちくりと瞬きさせ、ぽつりと訊ねる。
「師匠は、あたしが死んだら嫌?」
「当たり前だろう!」
その言葉は、すとんと胸の中心に着地した。ああそれなら。全然どうでもよくはないなと、気持ちをそっと改める。手を回し、震える背中を安心させるように撫でた。
自分より大きな男をなだめながら、牡丹は状況を確認した。悲鳴を上げながらのたうち回る鬼。毛むくじゃらの身体は、爪先から足に至るまで炎に包まれていた。肉の焦げる臭いがつんと鼻を刺激し、暴れていた四肢は力尽きたようにぴくりとも動かなくなった。もう一体は大きく後ろに飛びずさり、警戒を露わにして犬歯をのぞかせる。
「キサマ、よもやその炎──」
忌々しげな呟きが、ぶつりと途切れた。上空へ牙をむき、猿鬼は更に大きく後退する。寸前まで鬼がいたその場所を、屋根から黒閃が貫き通した。
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