第六話
東門をごうごうと照らしていたかがり火は、地面に叩きつけられてとうに明かりの役目を放棄していた。地面に伏して、或いは壁や門に寄り掛かるようにして、人間の身体が幾つも転がっている。皆辛うじて息はあるものの、力の差は歴然であった。
傷一つ負っていない鬼が、煙を吐く炭を踏みつけてギャラギャラと嗤う。暗がりを得て悦ぶように、ひと際大きな鬼の背後で幾重もの影が震え、波打っていた。朧な姿のそれらは、何かの部位の形をしていた。
腕や足だけのもの。
大量の葉を繋ぎ合わせたようなもの。
馬の顔にミミズのような首がついているもの。
どれも歪で統一性のない中では、率いる鬼の姿だけが特別に見えた。完全な形の、生き物の姿であったからだ。
「愚かナリ。誠に愚かナリ」
ひとしきり笑うと、毛むくじゃらの手で近くにあった人間の頭を掴む。震える手で小刀を構えようとしていた女の顔を覗き込み、鬼は犬歯を見せつけるように唇を釣り上げた。
人の言葉を発する、毛むくじゃらの獣。それは本来の生物よりも二回りは巨大な、猿の姿をしていた。
「ワレを斯様な玩具で退けられると思うタカ!」
そう言うと、鬼は木の実で遊ぶかの如く女を門へと投げつける。首が物言わぬ躯となる寸前、ぬっと太い腕が空中で抱きかかえた。
「よう、随分手荒い挨拶だな、サルオニ!」
血の匂いが漂う場に似つかわしくない明るさで、セイが朗らかに笑った。重傷の部下を地面におろし、門前で仁王立ちとなる。続けて到着したテンジャクが兵達に合図を送り、負傷者達の前へと立つ。棍を構えた副隊長に、セイは待ったを掛けた。
「一応言っておくぞ。サル、オレ達の仲間になる気はないか?」
それはあまりに場違いな勧誘であった。部下達は皆呆れているものの、慣れているとばかりに口を挟む様子はなかった。
「その代わり、人を襲うのをやめろ。器を得たならば、人を食わずとも生きられるだろうが」
猿鬼の返答は、嘲笑であった。
黄ばんだ歯を覗かせ、笑止千万、と高らかに吠える。
「食えるモノを食いタイ時に食わズして、何とスル!」
油断なく武器を構えたまま、餓鬼がとテンジャクが吐き捨てる。片目の眼光は、既に殺気が弾けんばかりであった。
「そうかつまり、ここで死にたいわけだな」
そりゃあ残念だとセイは片頬を釣り上げ、棍を携え駆け出した。猿鬼は黒塗りの凶器から逃れるべく、大きく跳躍して後退する。代わりに手下の鬼の群れが、雪崩の如く押し寄せてきた。
「しゃらくせえ!」
黒閃が闇を裂く度に、有象無象の鬼達は形を崩し霧散する。さながら台風の如き攻め様であった。味方であろうと、並大抵の者では猛攻に巻き込まれてしまうだろう。
「セイ、油断するな!」
白い一閃が、背中を狙おうとした数体の鬼を払う。二人の動きを妨げぬようにして、部下達は弱い鬼達の対処に専念していた。猿鬼でさえ攻めあぐね、何度か飛び掛かろうとしては二の足を踏んでいる。
「気を付けろ、鬼共は恐らくまだ何か企んでいるぞ」
「だろうなあ。本気の襲撃にしちゃあ、気合が足りん!」
思考の末、或いは感覚で二人とも違和感に気付いていた。かがり火を猿鬼が気にしないのであれば、もっと早く攻め入ってもよかったはずだ。
今夜、この瞬間襲ってきた理由。
奴らにとって都合が良かったのか。
例えば、何かの準備を済ませた──?
遠くから突如響いた異音が、解答を示す。何かがぶつかったような騒音に、セイは不用心にも門の方へ振り返る。その隙に迫る牙を代わりに防ぐと、テンジャクはチッと舌打ちをした。
「──陽動か」
◇
半鐘による警報から殆ど間を置かずして、屯所は避難場所となっていた。慣れているのだろう、多くの人間が子を連れて集まりながらも、混乱している様子はあまり見られない。アトリが松明の傍で立っているのが見張り台の上からでも見えて、牡丹は安心した。料理用ではない小刀を幾つも腰に吊り下げているのには、少し驚いたが。
「鬼、ここまで攻めてくるのかな」
「大丈夫だ。ここの人間は皆鍛え上げられているし、セイは強い」
先程までの会話を束の間忘れ、牡丹は師と共に東門の方向へ目を凝らしていた。距離の遠さと暗闇が戦況を覆い隠し、不明瞭な不安がじわじわと忍び寄ろうとする。彼の強さは助けて貰った経験で知っている。師匠の言う通り大丈夫だと、牡丹は何度も自分に言い聞かせた。
どれだけ時間が経っただろうか。突如響いた騒音が、戦況の変化を告げた。音の発生源へ首を動かすと、西門方向の明かりが消え失せていた。牡丹の隣で、険しい表情となった無月が小さく呻く。
「まさか破城槌か……? あんなものを作るとは、随分賢い鬼だな」
「はじょうつい?」
「丸太などを打ち付けて、対象を壊す兵器だ」
博識な無月は簡単に説明をすると、今度は大声で他の人間達に状況を報告する。どうやら鬼は大きな兵器を作り上げ、かがり火ごと門を粉砕したようだ。
「まずいな。確か各かがり火にも見張りを配置していた筈……本来より守備が薄く広がっている。悪手だったか」
かがり火に細工を施したゆえに陣取りも把握しているのだろう、無月は眉をしかめたままひとりごちる。襲撃により手数を集中させている東門と比べ、手薄であろう西門から攻め入られればどうなるか。
壊された門の方向を眺めていた牡丹は、嫌な予感に身を震わせた。西門は食堂が建っている場所と近い。客が賑やかに飲み食いしている情景が、アトリと穏やかに会話した記憶が、建物が瓦礫となる想像が一気に脳裏を走った。
自分が悪く扱われるのは、慣れている。
けれど──自分を受け入れてくれたものが傷つくのは、我慢できない。
「食堂、壊れてないか見てくる!」
いてもたってもいられず、牡丹は急いで梯子を掴む。反射的にこちらへ伸ばされた手が空ぶるのは、見えていなかった。そそくさと梯子を下りて走り出す背に、声が追い縋る。
「待て、行くな牡丹!」
走りながら、牡丹はつい笑みをこぼしていた。あんなに自分から離れろと言っていたくせに、必死に止めようとする師匠がおかしかったのだ。
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