第五話
牡丹の師匠探しは、少々難儀した。寝起きに使っているらしい部屋にはおらず、セイも丁度見回りに出ていて聞けなかったのだ。見知った顔に片っ端から訊ねまわり、ようやくとある見張り台の真下で足を止めた。
頂上に吊るされた半鐘の近くで佇む影。明かりも持たず遠くを眺めている姿は、知らなければいる事すら気付かず通り過ぎていただろう。
「師匠―!」
牡丹が大声を上げて呼ぶと、人影が驚いたように揺れ動く。梯子を上り終えると、ようやく懐かしい顔が提灯の明かりに照らされた。
「牡丹、もう奢らずともいいと何度も言っただろう」
「今回は違うよ。師匠に会いたくなったから来たんだ」
「……そうか」
無月はふっと微笑む。追い返されなかったことに気をよくして、牡丹は隣に並んだ。それが当たり前であるかの如く。
「探したよ。沢山人に聞き回ったんだから」
「それは悪い事をしたな。大変だったろう」
「ううん、知っている人ばかりだから聞き易かったし」
ここに勤める者の多くがあの食堂を利用しているから、すっかり顔馴染みが増えていた。家の中でいつも何があったか伝えるように、食堂の仕事について事細かに喋り出す。以前と異なるのは、牡丹が話せば話すほど、無月の横顔に影が落ちてゆく事であった。
「すっかり、ここでの暮らしに慣れたようだな」
ぽつりと呟かれ、牡丹はうんと無邪気に頷く。
優しいのはもう、無月だけではなかった。例外が弦次郎とセイだけ、でもなかった。アトリとテンジャク、客の常連達。皆牡丹を蔑まず、優しくしてくれた。多分皆好きだな、と思うまでになっていた。
「でも、師匠と全然会えないのはすごく寂しかったよ」
優しい人たちに囲まれていても、足りなかった。
仕事をしている時も、客やアトリと話をする時も。
牡丹はずっと、無月に会いたかったのだ。
率直な本音に、目を見開かれる。彼は顔を背けると、ぼそりと小さく呟いた。
「……あまりおれを、甘やかすな」
無月は口を閉じ、遠くの景色を視線でなぞる。つられて牡丹も、門を点々と取り囲むかがり火に目を凝らした。遠くの炎が、風で煽られふらふらと揺らいでいた。
暫く黙って景色を眺めていた無月が、視線はそのままで口を開き直す。
「このまま、クザンで暮らしてはどうだ」
「師匠と一緒に、ここで火灯しをするってこと?」
「いいや、お前一人でだ」
その言葉に、牡丹は弾かれたように隣へと視線を動かす。淡い明かりに照らされた横顔は、遥か遠くの光景を見ているようであった。
「もっと早くにこうするべきだったんだ。ずっと私に縛られていたせいで、お前はあまりに世界を知らな過ぎた」
あの閉ざされた村の世界で、自分の味方は無月だけだと信じていた。それは偽りだったと、最近になって初めて知った。この世にはもっと、あの家で無月と安穏とした暮らしを続けるだけでは知り得ぬ事柄で溢れている。
だからもう、自分から離れろと無月は告げた。
「あの家を出て、ここに住むといい」
「あたしが出て行ったら、師匠はどうするの」
「それは、お前が気にする必要のない事だ」
「気にする!」
強い怒気に、無月はようやくこちらを向いた。さらさらと流れる風にたなびく横髪が、淡い菫色の瞳を束の間隠す。真面目な顔つきを、牡丹は凝視した。その裏に潜む感情全て、逃してなるかと言わんばかりに。
「牡丹、言う事を聞きなさい」
「嫌だよ」
「……牡丹」
「嫌だ!」
離れたくないのに、何故従わなければならないのか。頑なに拒む姿に無月はいつものように撫でるがごとく手を伸ばそうとして、やめる。
子供扱いでもいいから触れて欲しい、と牡丹は思った。距離を取ろうとしているのが伝わって、寂しいから。
「なんで一緒じゃ駄目なの? あたしが師匠みたいな火灯しになれないから? 血が繋がってないから? 役に立てないから?」
「……仕方がないんだ」
「それじゃ納得できないよ!」
困ったような眼差しが揺れ、ふと外の景色へずれる。一転してそれは驚いたものへと変わった。師の表情の変化に牡丹もその理由を探ろうとして、違和感に気付く。
遠くに点在していたかがり火。ほぼ等間隔で並んでいるそれが、一か所だけ他の場所と比べ闇が広がっている。まるでその部分だけ、火が消えたように。
無月は半鐘を鳴らし、見張り台から身を乗り出した。
「襲撃だ! 東門の方角に、鬼が攻めてきている!」
警告の声に混じり、半鐘の音がけたたましくも戦いが始まっていることを告げた。
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