第四話
牡丹の手伝いは、日を追うごとに食堂に馴染んでいた。手際がよくはきはきした物言いの性格は、客の大半から受けが良かった。それに加え最初こそぶっきらぼうだった態度も徐々に軟化し、時折微笑を浮かべるようになっていた。
更には途中から身に着けるようになった髪飾りを褒めれば、淡々とした顔がぽっと赤く色付いて、分かりやすく嬉しがるのだから堪らない。客が褒めてわざと照れさせては、うちの手伝いで遊ぶんじゃないよとアトリが釘を刺すのが定番になっていた。
「へえ、無月さんとずっと一緒に暮らしているんだねえ」
店じまいの時間になると、牡丹はアトリと片付けをしながらよく雑談した。あの客は先月大怪我をしたとか、夫がしっかりしているように見えて私生活は抜けているだとか、とりとめもない事をアトリは楽しそうに話してくれた。
代わりに牡丹が話せる事と言ったら、無月との暮らしを当たり障りなく伝える位だった。どんな些細な話にも、アトリは興味津々で耳を傾けてくれた。無月のように。
「虚空衆ねえ。クザンにも来ていたよ」
話が異教の連中になると、アトリは初めて顔をしかめた。頭が国を空けてすぐだったかねえと思い出すように呟きながらも、皿を布で拭う手はよどみない。
「鬼がどうとか穢れているとかやかましかったから、うちの亭主が追いだしたのさ」
喜一郎とは違い、テンジャクは断固として異教を受け入れなかったらしい。鬼の自衛ができている国の不安を煽る言動は、見過ごせなかったのだろう。噂をすれば何とやら、店じまいの戸を開けたのは話題の当人であった。
「おや、お疲れさん」
「おかえりなさい、テンジャク」
「ああ」
妻に続いて出迎えた牡丹を、鋭い眼差しが貫く。一呼吸後にはもうそれは和らいでいて、空いた席にどかりと座った。アトリが用意しておいたおにぎりを持って行くと、礼を言ってから無造作に食べだす。小腹が空いているらしい。
「これだけで足りるの?」
「夜も続けて見回りをするからな。満腹だと気が緩む」
ふうん、と牡丹は次々減っていくおにぎりを見やる。門前は夜だけでなく、日中も見張りが立っている。獣や不審人物に身構える必要があるとはいえ、明るい時分でも村以上に警戒しているのが、牡丹には不思議であった。
「昼もしっかり警護をするの?」
「ああ。鬼がいつ攻めてくるか分からんからな」
「鬼が襲ってくるのは夜だけでしょう」
その言葉に、米粒を指から舐めとる口が止まる。知らんのかと呟き、どう伝えるか言葉を選んでいるうちに、続けたのは妻の方であった。
「普通の鬼はそうさ。けど器を得た強い鬼は、日の下でも活動できるんだよ」
「器?」
「物の例えだ」
最後のおにぎりを手に取り、テンジャクが話を引き継ぐ。
「食ったものの身体を奪い、皮を得る。人間、石ころ、動物。植物に成った鬼もいると聞いた事がある」
日々鬼と争っているだけあって、テンジャク達の鬼への知識は牡丹よりずっと豊富であった。なんてことないような素振りで説明し、テンジャクは数口でおにぎりを腹にしまい込む。
「夜に紛れて襲ってくる方が圧倒的に多いとはいえ、念には念を入れねばな」
話を聞いていると、村が今まで夜に灯篭を灯すだけで無防備に平和を享受できていたのが、幸運に思えてくる。頭が働く鬼であれば、夜目が効きにくい人間をわざわざ真っ昼間に襲いはしないのであろう。それとも単に、強い鬼自体が村近辺に出没していないからか。
「頭の作戦が上手くいけば、見回りの数も今より減らせる。もうとっくに準備は済んでいるそうだから、後は向こうとの我慢勝負だな」
「準備、済んでたの?」
「ああ。詳しくは知らんが、頭はそう言っていた」
聞いていないのかと言われ、牡丹はこくんと頷いた。無月には奢られるのは一度で十分だと、二度目からは誘いを断られていた。牡丹はここに住み込みで働いている一方、無月は屯所で世話になっているらしい。そのせいで全く顔を合わせない日々が続いている。
目を伏せて俯く牡丹に、テンジャクは仏頂面の顔をしかめさせる。場を取りなすように、とんと机の上に湯飲みが置かれた。
「牡丹、無月さんに会いに行ってきな」
気になるんだろうとアトリに言われ、牡丹は頷く。どうして分かったのかと、少し驚きながら。
「朝までには帰ってくるんだよ。逢瀬を楽しんでおいで!」
「……そういう仲なのか?」
「もうっ、アンタは相変わらず鈍いねえ!」
亭主の背中を遠慮なく叩くと、アトリはこちらへ手を振る。それに励まされるように、牡丹は立ち上がった。
師匠に会いたいなと、無性に思った。
◇
からんと戸が閉まってすぐ、湯飲みが持ち上がる。
それで、と話し出す片目の眼光は、冷淡な輝きを湛えていた。
「妙な動きはあったか」
皿洗いを終えたアトリは向かい側の席に座り、肘をつく。蠅を振り払うように手を泳がせ、特に何もと返答する。
「アンタも見た通りの、普通にいい子だよ」
「普通なわけあるか、頭が連れてきた奴だぞ。現に無月とかいう男は、隠れて何をしているか口を割らん」
その口ぶりは、無月を警戒するものだった。そもそも牡丹を誘ったのは、親切心からではなく監視するためであった。数年前に怪我で前線から退いたものの、アトリは今でも並大抵の男より腕が立つ。牡丹が不穏な行動に出る可能性を考慮し、すぐに対処できるように構えていたのだ。
忌々しげに語る夫と違い、妻の方は呆れたと言わんばかりに軽口をたたく。
「そうやって警戒してばっかりだとハゲちまうよ」
「呑気で不用心な頭の分、俺が身構えんでどうする」
やれやれと肩を竦めるも、アトリはそれ以上諫めなかった。代わりに労わるべく、棚の隅に寝かせておいた饅頭を取り出す。
「ほら、ここにいる間位はそのしかめ面を緩ませな」
妻の気遣いに、テンジャクは肩の力を若干抜いた。部下達には内緒にしているが、妻の手料理、特に甘味は大好物なのだ。休憩を終えて見回りに戻る姿は、戸をくぐる前よりも疲れをいくらかその身から落としていた。
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