第三話
初仕事から数日後、客足が一旦途絶えた昼過ぎにて。皿洗いを終えた牡丹の前に、布袋が置かれた。
「はい、給金」
アトリには滞在が恐らく長期間とはならないと、事前に伝えてある。小まめに渡すつもりなのか、早くももらえた給料に、牡丹はぱっと飛びついた。
「出かけていい?」
「ああ、いいさ。にしても早速だねえ」
「うん。師匠に奢ってあげるんだ」
分かりやすく声を弾ませる牡丹を見て、へえとアトリは声を出す。やけに思惑ありげな呟き方であった。
「師匠ってのは、アンタのいい人なんだねえ」
「え? うん」
師匠はいいひとだ。そう思って返答するも、何となく意味が違うような気がした。アトリは分かったとばかりに何度も頷き、ぐっと親指を立てる。
「ゆっくり休んでおいで!」
明るく背中を送り出され、うんと牡丹は頷く。浮足立つ今の自分は多分笑っているだろうな、と思った。
疲れをものともしない足取りで最初に向かったのは、屯所であった。そこで無月の場所を訊ね、門へと足を運ぶ。セイと何やら話している見慣れた後姿へと見つけると、元気よく駆け寄った。
「師匠、お金貰ったから奢るよ!」
布袋を片手に笑顔で言う牡丹を見て、無月は驚いたような顔を浮かべた。隣ではセイがにやにやと笑って状況を眺めている。
「私の事は気にする必要はない。好きに使えばいいんだ」
「好きに使うよ。あたしが師匠に奢りたいんだ」
「いや、私でなく自分用に使うべきで……」
「ムゲツ、一度くらい折れてやれ。こうなると予想は付いていただろうが」
中々譲らぬ態度に、セイが助け舟を出す。それでようやく、今回だけだぞと無月は渋々頷いた。
「セイ、すまないが」
「おお。ついでに二人でのんびり観光でもしてこい!」
鬼対策のための仕事だというのに、依頼をしにきた時から変わらずセイは全く急ぐ様子はなかった。
無事無月を連れ、牡丹は店の並ぶ通りへと向かう。村とは比べ物にならない通りの熱気に、改めて牡丹は圧倒された。
「そこの人、揚げたての串焼きはいかがかい」
「イハークからの銀食器だよ!」
「
鮮やかな売り物の量と種類に、眩暈がしてくる。助けを求めるように師匠を見るも、彼は静かに首を横に振った。
「あたしに何か買われるの、迷惑?」
「いや、嬉しいさ。その気持ちだけで十分だ」
だからいいのだと言わんばかりに微笑まれる。どうしても自ら要求するつもりはないらしい。牡丹は困った。見慣れぬ売り物が多すぎて、師匠がどれを好むか分からない。迷った末小さな雑貨が細々と並べられた棚を見分し、ある一角に視線が吸い寄せられる。
それは麻で作られた組紐だった。無月が普段使っている物は、大分くたびれてほつれているのを思い出したのだ。さっと手に取り購入すると、はいと無月へ差し出す。
「これ、よかったら使ってよ」
「……私に渡さずとも、自分で使えばどうだ?」
「あたしは髪結んだことないからいい」
ようやっと無月は組紐を受け取り、まじまじと見つめる。もしかして気にくわなかっただろうかと牡丹が不安になったところで、紐を見つめる眼差しがふっと緩んで微笑んだ。大事そうに懐へしまわれるのを見て、牡丹は胸の奥がむずむずしだす。食堂で働いた時に感じたもの以上の威力であった。
「ならありがたく受け取っておこう。……牡丹、どうかしたか」
「う、ううん」
首をぶんぶん横に振り終えた頃には、妙な気分はもう落ち着いていた。無造作に垂れ流した黒髪をたなびかせ歩き出す牡丹を見つめ、続こうとした足が止まる。無月が足を止めたのは、煌びやかな装飾品の出店であった。
「師匠、もっと華やかな紐の方が良かった?」
「……そうだな。お前にはその方が合いそうだ」
独り言のように呟くと、無月は棚から髪飾りを摘まみ上げ、牡丹へと向けた。
「ああ。やはり似合うな」
牡丹が状況を掴めず目をぱちくりしているうちに支払いが終わり、手を取られる。小さな手のひらにしっくりくる大きさの髪飾りが乗せられ、戸惑いが強まった。
「紐の礼だ。受け取ってくれ」
「え……だ、だめだよ。あたしが奢りたかったのに!」
「私がお前に贈りたくなったのに、受け取ってはくれないのか?」
そんなわけないと、牡丹は慌てて首を横に振った。無月がくれるものは、何だって嬉しい。ただ、この贈り物は今まで貰ったもの全てと何かが違う気がした。彼の物言いもいつもよりずるいような、形容しがたい普段との差があって、それでいて嫌とは感じなくて、ただただ頬を赤くして俯く。普段と違うのは牡丹も同じであった。
つられて頬を僅かに赤く染め、誤魔化すように無月は苦笑した。
「柄ではなかったな。いらなかったら捨ててくれ」
「一生大事にするよ!」
牡丹は力強く宣言して、髪飾りを改めてまじまじと見つめた。先端には鬼灯をあしらった小さな細工が付いていて、牡丹の眼と同じ赤色であった。耳元から刺して髪を軽くまとめる造りらしく、結わずとも使えそうだ。
すんなりと耳の上あたりに納まった髪飾りに、無月は目を細める。それが気恥ずかしく感じられて、牡丹の頬からは鬼灯の色が暫く残り続けていたのだった。
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