第七話

 牡丹が虚空衆と揉めたという噂は、想像以上の速さで広まった。端日家現当主が直々に火灯しの家に現れたことで、牡丹はそれを思い知る羽目になった。


「火灯しはいるか。話がある」


 喜一郎は屋敷で会った時と同じく険しい顔つきだった。硬い声音は、こちらに対する強い拒絶や侮蔑が含まれているようにさえ感じられる。


 彼は無月の隣で座る牡丹を睨み、続けてセイを見て露骨に顔をしかめた。奇異な見た目の大男について問い詰めようと口を開きかけたものの、結局話を先に進めるための言葉を選ぶ。


「貴様らに用はない」

「……あたしは弟子です」

「牡丹。すまないが席を外してくれ。セイもだ」


 反論の言葉が、無月の頼みにすぐさま溶け消えた。牡丹は大人しく頷き、邪魔をせぬようこの場を立ち去る。続けてセイも、頭をかきながら面倒くさそうに家を出た。


「堅苦しい会話でもする気かね」


 ああいう空気は眠くなると、セイは青空に向けて大きな欠伸をした。そのまま普段の如く気ままにぶらりと出かけるのかと思いきや、ただぼうっと立っている牡丹をちらちら見てくる。


「なに?」

「ああいや、オマエはああいう空気は平気そうだな、と」

「師匠がいるならいつでも平気だよ」


 分かり切ったことを、と言わんばかりに牡丹は答える。とはいえ弦次郎と比べると、喜一郎の相手は少し緊張していた。無月から丁重に扱うよう言われているし、向こうがこちらに殊更気を張っているのが露骨に伝わってくるのだ。警戒か、畏怖か。どちらにせよ、好ましいものではない。


 牡丹の答えは予想がついていたらしく、だろうなとセイは相槌を打った。


「まあムゲツは小難しい会話が得意だし、こういうのは適材適所だな」


 知った風に師を語る口に、牡丹はふと興味がわいた。無機質な眼差しを好奇心の色に変え、ねえと訊ねる。


「セイは師匠のこと、ずっと前から知っているの?」

「おお。アイツとは先代の頃からの長い付き合いだ」


 牡丹が初めて無月と出会った時から、彼はもう一人だった。先代の話など一言も聞いたことがないし、そもそも興味もなかったのだ。


 セイにとってはそうではないらしく、金色の瞳を懐かしそうに細める。


「先代は気弱なヤツだったよ。もっと堂々としていりゃよかったものを……」

「昔の師匠はどうだったの?」


 長くなりそうな昔話を軌道修正すると、そうさなあとセイは記憶を掘り起こすように頭をぼりぼりとかいた。


「酷いもんだったぞ。誰とも関わらず、馴れ合わず。暗い顔ばかり浮かべて、辛気臭いヤツだった」

「あたしと話す時は、よく笑ってくれるよ」


 牡丹といる時の無月は、笑みを浮かべていた。太陽のような苛烈な明るさではなく、月のように淡い穏やかなそれで。幼い頃の暗い無月をいまいち想像できないでいる牡丹の頭を、大きな手がわしゃわしゃと撫でる。


「おお、だから久しぶりに会ってびっくりしたぞ。オマエのお陰だろうな」


 そう言われると悪い気はしない。それに、セイに頭を撫でられるのはやっぱり好きなので、雑な手つきから逃れずそのままでいた。


 家から二人が出てきたのは丁度その時だった。大人しく撫でられている牡丹を見て、無月の眼が驚いたように見開かれる。


 一方、喜一郎は冷ややかな眼差しをよこした。


「最近うちの弟とつるんでいるそうだな」

「はい、そうです」


 口止めされていたわけでもないので、撫でつけから解放された頭をこくりと素直に頷かせる。この男相手だと少々緊張するけれど、怯えはしない。冷たくされるのも、睨まれるのも、慣れているからだ。


「これ以上弟に関わるな。火灯しの者と仲睦まじいなど、外聞が悪い」


 そう言い捨てると、客人は今度こそ用は済んだとばかりに去っていく。後姿を見送り終えてから、無月は二人を交互に垣間見た。


「いつの間にか、仲良くなったようだな」

「おおっ、何だまさか嫉妬か!」


 セイが何故か楽しそうに声を上げたのに対し、無月はいつもの穏やかそうな表情のまま何も言わなかった。するりと視線を牡丹にずらし、客人との会話の内容を掻い摘んで伝え出す。


「最近、村で異教の連中がたむろしている。そいつらはどうも、火灯しをよく思っていないようでな」

「……あたしが揉め事を起こしたから?」

「遅かれ早かれ、向こうから喧嘩を吹っかけてきただろうさ。お前が気にせずともよい事だ」


 先程置かれた手よりも細いそれが、乱れた髪を整えなおすように撫でつける。無月の言葉は優しいけれど、自分のせいで彼までも悪く言う連中が増えたかと思うと、まったく気にしないわけにもいかなかった。


 気持ちを切り替えさせるように、だからと無月は続ける。


「暫くほとぼりが冷めるまで、村から離れる事になった」

「おっ、ついにオレの国に出向く気になったか!」


 セイの言葉に、そう言えばただ遊びに来ただけじゃなかったと牡丹は今更ながらに思い出した。頼む本人に全く急いた様子がなかったので、すっかり忘れていたのだ。


「師匠、村はどうするの?」

「灯篭は、手入れせずとも暫くは使えるだろう。提灯の方は、セイの案通り多めに作り置きしておく。流石に一昼夜では準備は済まないし、お前に暫く負担をかける事になるが──」

「そのくらい平気だよ。あたし達が留守でいない間も、村が無事でいられるようにしないとね」


 帰った時に村が滅んでいれば流石に気分が悪くなるし、金子も貰えなくなる。加えて、弦次郎が死んだら嫌だな、と思った。


 牡丹の返答に、無月は戸惑ったようだった。いやその、と何やら言葉を濁し、視線を彷徨わせてから口を開く。


「お前も、付いて来る気か」

「うん。当たり前だよ」


 何故そんな事を聞かれるのか分からず、牡丹は小首をかしげる。自分は火灯しの弟子で、師匠の傍に居るのは当然だ。


 一切迷いを見せぬ様子に、無月は小さく息をつく。


 それは落胆したような。或いは、安堵したような。牡丹には判別の付かない、複雑な表情であった。

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