第六話

 牡丹が灯篭に火を灯す際、偶に同行人がつくようになった。弦次郎が寄ってきて、話しかけてくるようになったのだ。ただの挨拶で終わることもあれば、とりとめもない雑談を振られることもあった。目的が分からず首を傾げる事もあったけれど、彼との会話は厭うほどでもなかった。もっと言うなら、多分、嫌いではなかった。


 弦次郎は随分人に気を配るのが得意な男なのだろう。牡丹がどれだけ簡素な返事をしても、慣れた様子で次の会話を出してくる。そうしていつものように言葉の応酬をぽつぽつ続けていると、幾つもの小さな視線に気付いた。


「また赤憑きだぜ」

「今度はのぼうの弦と一緒だ!」

「こら、人を悪く言うのはやめなさい」


 弦次郎がたしなめるも、声音は優しげな、悪く言えば頼りないものだった。それでは当然懲りる事もなく、子供たちは増々調子に乗った。


 一人が石を投げようとするのを見て、咄嗟に牡丹は前に出る。自分なら慣れているしどうとも思わないけれど、弦次郎が同じ目に遭うのは、何となく嫌だったのだ。


「おい、赤憑き達なんか放っておこうぜ」


 子供の一人が待ったをかける。仲間の話なら聞く耳を持つのだろう、子供たちはべーっと舌を付きだしてから逃げるように駆け出す。庇ったようにも取れる子供が去り際にこちらをちらりと見て、ふいっと視線を逸らした。以前、村まで送った子供だった。


「あの子は、先日夜中に村を抜け出した子です。鬼を捕まえられるかどうかと、友人間で言い合いになったそうでして」


 子供が見つかるまで兄や自分も捜索に加わっていたため、小耳にはさんだらしい。子供の勢いは恐ろしいものですね、と弦次郎は呟く。悪口を言われても苦笑で受け流す姿は、大人びている風ではあった。


「提灯もなく夜外へ出るなど、危うい事です。まあ最近は村の中も少々剣呑ですが」


 穏やかな口調が、ぶつりと途絶える。険しくなった視線を追うように、牡丹は首を動かした。


 見覚えのない顔ぶれが数名道の端で集い、何やら話している。村の中で見たことのない彼らは皆、白い短冊に穴をあけたものを首から紐で下げていた。


 村から浮いた人影がさっと一歩引くと、中央で囲まれていた姿が露になる。着ている袈裟のせいで体格が分かり辛く、額から白い布を垂れ下げているためその顔が判別できない。ぼうぼうに伸びた髪は男性的にも女性的にも見えた。大ぶりの袈裟が動く度に、手に持った錫杖がじゃらじゃらとがなり立てる。空いた手が、ぬうっと前へと伸ばされた。


「そこな小娘、臭う。臭うぞ」


 低くしゃがれた男の声が響き、牡丹は反射的に数歩引く。枯れ木のような指でこちらを指さし、男は吠えた。


「この娘、鬼に憑かれておる!」


 その大声は、道行く村人達の視線を集めるには十分だった。忌避に塗れた眼差しが遠巻きにこちらを眺め、ひそひそと小声で囁き合う。のたまった男の周りにいた者達は特に顕著で、ぎろりとこちらを睨んできた。村の者達と似た侮蔑の眼差しの根底には、男への狂信が燻っていた。


「なんと、おぞましや」

巳曽良みそら様に祓っていただかねば」


 妙な連中の言葉に、無表情のまま首を傾げる。特に最近体調に変わりがあるわけでもないし、牡丹は鬼を退ける火を扱う、火灯しの弟子だというのに。


「あんた達が何を言ってるのか、さっぱり分からないよ」


 思うがままぴしゃりと言い返すと、侮辱と取った者達が鼻白む。布で隠された表情はその返答に何を思ったか、更に近寄ろうとした。


「お下がりください、巳曽良殿」


 不穏な場に、冷静な声音が水を差す。弦次郎は牡丹たちと男の間に割り込むように立ち、人当たりの良い笑みを浮かべた。


「彼女は決して村に害をなす者ではありません。この場はどうかお引き取りを」


 巳曽良と呼ばれた男は、弦次郎を窺うように顔を向けるそぶりを見せた。骨の浮き出た腕をさっと横に出すと、剣呑な眼差しの取り巻き達が一息で鎮まる。


「ぬしの兄者に免じて、此度は退こう」


 兄を持ち出した物言いで陰りを帯びた笑みには、気付いたのかどうか。巳曽良はじゃらじゃらと錫杖を鳴らしながら取り巻きを引きつれ、この場から去った。


 怪しげな集団が完全に見えなくなってから、弦次郎はやれやれとため息をついた。


「彼らは虚空衆と名乗っております。兄が招いた異教の客人との事ですが、半人前の役立たずに対応など任せられぬと蚊帳の外で……」


 説明がそこで途切れる。眉を顰め言葉を詰まらせたのは、愚痴の混ざった話を続けるのが憚られたからであろうか。じっと窺う牡丹の視線に気付き、彼は気を取り直すように微笑んだ。


「貴方がいてくださってよかった。私一人であれば、無様な醜態を晒していたかもしれません」


 虚空衆の連中が絡んできたのは牡丹が原因だろうに、何故礼を言われるか分からなかった。傍に寄られる理由も、優しくされる理由だって牡丹には分からず、どうにも落ち着かない気分になる。


 十秒近くたっぷり考え、火灯しの技術を探る手伝いをして欲しいと頼まれていたからかと思い至る。きっと見返りが欲しいから、優しくしてくれるのだ。そう考えると、こちらの仕事の恩恵を受けながら砂をかけてくる村の連中と比べて、この男はずっとましで、いいやつに思えた。


「色々探ってみたけど、まだ火灯しの秘密は分からないよ」

「秘伝の技術を明らかにするのは容易くはないでしょう。気長に待ちますよ」


 弦次郎の相槌は、彼の期待に応えられていない割に、然程残念そうには聞こえなかった。そればかりか手伝いの礼まで言われて、よっぽど技術を得たいんだなと牡丹は思った。


「ちゃんと秘密が分かったら、師匠を守ってあげてね。約束だよ」

「……貴方は随分、無月殿を慕ってらっしゃるのですね」


 視線を彷徨わせて、弦次郎は呟く。困惑の表情は、建前や世辞から離れた本心の感情を滲ませていた。


「無礼を承知で申し上げますと、依存や洗脳の類にさえ見える程だ」


 何故そこまで、と問いかけられる。牡丹は無月だけが大事で、それが当たり前で、何故と言われても咄嗟には答えられなかった。一旦瞳を閉じて考え込んでから、ぱちりと赤いまなこを露わにする。


「優しくしてくれたから、かな」


 ようやっとそれらしい言葉をひねり出す。彼が黙ったままなので、補足の言葉を訥々と続けた。


「師匠は名前も記憶もなくしたあたしに優しくしてくれたよ。だからかな」

「……記憶をなくした? 何かあったのですか?」

「覚えてない」


 師匠に出会う前の事は、碌に覚えていない。『牡丹』の名前も、無月が与えてくれたのだ。赤い目を蔑むこともなく優しく受け入れ、親切にも多くの事を教え、弟子にしてくれた。慕うのは当然だ。


 疑う余地など一切ない筈の想いを、それならと弦次郎の問いかけが切り込みを入れようとする。


「私が貴方に優しくするなら、貴方は私を好きになるのですか?」


 無月のように、この目の前の男が牡丹に優しくしてくれるならば。

 セイに頭を撫でて貰った時の事を思い出し、牡丹は頷く。


「うん。多分、好きになる」


 率直な返答に、弦次郎は面食らったようだった。火照り出した頬を誤魔化すかの如く、指でかき始める。露骨に挙動不審になった彼に、牡丹は不思議な眼差しで顔を寄せた。


「どうしたの、弦」

「えっいや、な、なんでもないよ……って、その呼び方……」


 指摘されて、はたと気付く。名乗られたのは最初の夜きりで、彼の名前をちゃんと覚えていなかった。それで子供の悪口の呼び方に釣られてしまったのだろう。


 先程より何故か距離を取った弦次郎は、その説明に得心したように頷いた。


「今度からは間違えないようにする」

「ああ、いや、弦で構いませんよ」

「分かった、弦」


 呼び方を変えただけなのに、弦次郎は嬉しそうに笑った。形良く拵えられたものとは違う、はにかんだそれで。それを見ていると、どうしてか胸の奥がむず痒くなる。酔った師匠の相手をした時と、少し似ていた。


 どうも最近よく分からない事ばかりだけれども、存外悪くない気分だと牡丹は思った。

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