第五話
セイという男は、大層元気で力が有り余っていた。村には何故か足を運ぼうとしなかったが、タダ飯は悪いからなと森に消えては獣を捕ってきた。そして無月や牡丹によく絡んできた。
「ようボタン、暇ならオレと鍛錬でもしてみないか?」
「やらない」
棍を構えての誘いを、そっけなく断る。師匠の知り合いだから丁重に扱うものの、彼自体の事はどうでもよかった。淡々とした反応ばかり返す牡丹をセイは愛想のないヤツだなと笑うばかりで、いつも気を害する様子がなかった。
「じゃあムゲツ、晩酌に付き合え!」
「まだ昼だぞ」
土産だと酒の入った瓢箪を掲げる客人に、無月は呆れたような眼差しを向ける。それは牡丹には見せない、気安い雰囲気があった。
「私は、酒は飲まんよ」
「硬いこと言うな。ボタンも一緒に飲まないか?」
「牡丹、この男の物言いは気にしなくていい」
こちらに話しかけた途端、先程までの気安い雰囲気が別のものに変わる。それが少し、寂しく感じた。
「あたし、提灯作ってくる」
「待て、なら私も手伝おう」
「ううん、師匠はセイとお話ししたいでしょう」
だからいい、と首を横に振る。自分がいると、二人の込み入った話に水を差してしまう。それは初日から何となく感じ取っていた。
「いやあ、空気の読める弟子だな! 折角だ、男二人の内緒話というものをやってみるか!」
明るいセイの声が、気まずくなりそうな空気をほぐしてくれた。肩を抱かれた無月は迷うように視線を揺らし、根負けしてため息をつく。すまないなと申し訳なさそうに告げられ、ううんと首を横に振った。
牡丹は特に気にしていなかった。無月がよければそれでいいのだから。
それに今回は一人の方が、都合が良かった。
◇
小柄な足音が家から十分遠ざかってから、セイは杯を傾ける手を休めた。
「それで、あの弟子は何だ?」
無月は探る目つきから逃れるように、手のひらに収まる杯に視線を落とす。牡丹は聞き耳を立てる事もせず素直に作業場へと向かったらしいと察してから、小さく息をついた。
「気になるか」
「そりゃあな。あのオマエが誰かを構い続けて、しかも随分懐かれているときたもんだ」
昔を知る男は、あぐらをかいたまま喉を酒で潤す。張り付いていた笑みが、顎を拭った拍子に真面目なものへと変わった。
「それにあの女、やけに希薄すぎる。あれではまるで──」
続きを聞いて、眉間の皺が深くなる。諦め半分に注がれた酒を一口含むと、無月は重たい口をようやっとこじ開けた。
◇
家の近くを流れている川に沿って下ると、天然の洞窟がぽっかり穴をのぞかせている。やや狭い入口を潜り抜けた中は色々と手を加えられていて、仕切りの布を越えた先はちょっとした広い一室位の広さがあった。ここが火灯しの作業場だ。
牡丹は行灯で部屋を照らしてから、慣れた作業に取り掛かる、竹で骨組みを作り、輪の形にしたそれの周囲に真っ赤な和紙を貼る。それで提灯の出来上がりだ。そして組み立てるのに必要な竹ひごや和紙などは、全ていつの間にか師匠が手配してくれているのだ。
火灯しの作る提灯に秘密があるとするなら、牡丹が携わっていない部分の筈。そう思って、作業を進める傍らまじまじと素材を観察してみた。
鼻を寄せて間近で調べても、妙な匂いはしない。提灯と言えばここで作ったものしか知らないから、他の一般的なものとの違いなんて分かるはずもなかった。
試しに棚を見分するも、元からどこに何がしまわれているか把握しているし、鍵がかかっている所もない。
日が暮れてきた頃合いを見計らい、そのまま灯篭へと向かう。火打石と火口は村で売られているものをそのまま使っているので、灯篭の方に仕掛けがある筈だ。古びた石造りのそれはずっと昔に造られたものらしく、表面に赤茶けた汚れがこびり付いている。見た目は随分くたびれているのにずっと鬼を追い払い続けているのだから、不思議なものだ。
やっぱり仕組みがよく分からず首を傾げながら、牡丹はいつものように火を灯す。赤々と燃える炎は疑問に答える口を持たず、ただ辺りを明るく照らしていた。
◇◇◇
牡丹が仕事を終えて戸を開けると、中から酒の香りがむわりとぶつかってきた。つい顔をしかめた牡丹は、中の惨状に目を丸くした。
「大体お前は昔からいつも、分かったような顔を浮かべて勝手ばかり……、聞いているのか!」
「あーあー聞いている聞いている」
セイは面倒くさそうに相槌を打っている。うんざりした表情が牡丹を見て、帰ったかと呟き気軽なものへと変わった。
「丁度いい。代わりにコイツの相手をしてくれ」
「逃げるな、話はまだ終わってないぞ!」
腰を浮かしかけたセイに絡んでいるのは、無月だった。いつも穏やかな表情を浮かべているはずの師匠は顔を真っ赤に染め、セイの肩に手をかけて只管文句をこぼしている。小さな杯が空となって転がっているのを見て、師匠は酒に弱い事を牡丹は新たに学んだ。
「大丈夫?」
「ああ大丈夫、大丈夫だとも」
酔った彼を見るのは新鮮だったが、どうも首元がおぼつかないし、眠そうにも見える。牡丹が心配して訊ねると、渋い顔つきが一気に嬉しそうに破顔した。
「牡丹、お前はいい子だなあ」
そう言うと、いつもよりずっと雑な手つきで頭を撫でてくる。髪が乱れていくのに、牡丹はちっとも嫌じゃなかった。だって初めてなのだ。無月がこんなに喜色満面の笑みで自分を構ってくれるのは。
機嫌の良さそうなまま立ち上がろうとした身体が、ぐらりとふらつく。牡丹が慌ててその身を支えると、大きな体がしな垂れかかってきた。
「し、師匠、本当に大丈夫?」
「寝かせた方がよさそうだな。ったく、数口しか飲んでないくせして、ここまで弱いとは」
セイはやれやれと呟きながら、呑気に杯を傾けている。どうやら手を貸すつもりはないらしい。
牡丹は難儀して無月を引き摺り、彼の部屋へと引っ張っていった。棚と小物が少々あるだけの、殺風景な部屋だ。それは牡丹も似たようなものだし、何度か掃除に入った事もある。布団が大抵引きっぱなしなのも、よく知っているのだ。
戸を片足で開け、酔っぱらいを布団へ転がそうとする。けれど無月は牡丹の頭を掴み、なおも撫で続けていた。お陰で小柄な体も一緒に布団に倒れ込む。見慣れたはずの顔が間近にあって、牡丹は訳もなく身体が強張った。
「あ。……えっと、え?」
嬉しそうな師匠の顔。自分も嬉しくなる。
頭を撫でられる。これも嬉しい。
ならば何故、自分の心臓が緊張したように早鐘を打ち始めたのか、牡丹には判別がつかなかった。
「ああ、お前は本当にいい子だ、いい子……」
とろんとした眼差しが、ゆっくりと瞼に覆い隠されていく。ずり落ちていく大きな手が、名残惜しそうに頬をなぞった。
「だめだな、おれは、おまえを、早く……」
手がぽすんと布団に落ちる。寝入ってしまったらしい。もぞもぞと無月の身体から抜け出し、牡丹は胸に手を押さえて何度か瞬きをした。呼吸を繰り返していくうちに、よく分からない胸の動悸が静けさを取り戻す。何だったんだろうと首を傾げつつ、牡丹は無月の部屋から出て行った。
「お疲れさん。オマエも飲むか?」
「飲まない」
牡丹は客の誘いにきっぱりと断る。無月をああまでべろんべろんにしてしまった酒に警戒していたのだ。
そりゃ残念、とあっさり諦めてセイは杯をあおる。ぐびぐび酒を飲み干していくのに、その頬はちっとも色付いてはいなかった。どうやら酒豪らしい。
「どうした。構って欲しいのか? いいぞ!」
じっと観察しているのに気付き、セイはにやりと笑った。牡丹は別にと答えようとして、いつも無月に構ってもらえる時のことをふと思い出し、否定とは別の言葉を口に出す。
「頭、撫でて」
「ん、おお? もしや、とうとうオレにも懐いたのか!」
セイは気難しい猫に擦り寄られたかの如き喜びようだった。上機嫌でにじり寄られ、よーしよしよしと頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。先程の無月以上の力と雑さで、髪が四方八方に飛び跳ねる。
「どうだ、嬉しいか?」
その言葉に、牡丹は目をぱちくりさせた。このがさつな手は師匠ではないけれど、師匠にいつも撫でられるときのようなぽかぽかとした心地が胸に積もっていく。
『嬉しい』をくれるのが師匠だけではないのだと、牡丹は初めて知った。
「うん。セイに撫でてもらうのも好きみたい」
「おっそうか! オマエ、実は結構素直なヤツだなあ!」
ぽかぽかする。嬉しい。
けれど、先程のような胸の動悸はない。
どうしてだろうとセイの顔を間近で凝視していると、無骨な手は唐突に頭から離れていった。
「あまり可愛がり過ぎると、ムゲツに睨まれそうだ。ここらで止めとくか」
「師匠、睨むの?」
「おお、アイツはオマエに相当入れ込んでいるからな。横取りはオレの性に合わん」
無月は牡丹にとても優しい。それなのにどうして、セイが牡丹に優しくすると睨むのか。セイの言っている意味が、牡丹にはいまいち理解できないのであった。
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