第四話
「よう、危ない所だったな」
提灯が見知らぬ男の姿を照らす。年頃は三十か四十といった所だろうか。荒れ放題の赤褐色の髪は、雑にひとまとめにして頭部で結ばれている。大柄な体を覆う短めの着物や股引きはあちこち縫い直されており、腰には帯ではなく毛皮を巻きつけている。その出で立ちは村の男達よりもずっと豪快で、山賊と名乗られても違和感はなかっただろう。男の手には細長い棒が握られていた。黒塗りにされたそれがどうやら、鬼を追い払ったらしい。
無月の髪よりもずっと眩く輝く金の瞳が、牡丹の頭のてっぺんからつま先まで視線を動かす。怪我はなさそうだな、と男は呟いた。
「襲われながらも悲鳴一つあげんとは、肝っ玉の据わった女だな。それに比べて……」
男は呆れたような表情を浮かべる。視線の先には、未だ腰を抜かしたまま震えている子供の姿があった。
「情けないもんだ。連れが食われそうだったってのに」
「違う! 赤憑きなんて連れじゃない!」
ほう、と男は興味深そうな声を上げる。それから真面目な顔つきとなり、子供の着物の襟を容赦なく掴んで、力ずくで引き寄せた。
「そうかつまり、仲良くもない女に庇われておきながら、ただ怯えていたわけだな」
「あたしは別にいいよ。気にしてないし」
牡丹は男の詰問を止めるような形で間に入る。その子供が助かろうが野垂れ死にしようが、どうでもよかった。ただとっととこの件を終わらせて、家に帰りたかった。無表情のまま、牡丹はじっと子供を見つめる。
「で、あんたは帰りたいの、帰りたくないの、どっち」
「……帰りたい」
「なら村まで送る」
ついてきたらとぶっきらぼうに声をかけ、牡丹は提灯を手に歩き出す。夜の道は歩き慣れているから、今更迷いはしなかった。遅れてよたよたと子供が、更に後ろを守るように、男が黙ってついてきた。
竹林を抜けた先を照らす灯篭を目にしてようやく、子供は安堵した表情を浮かべる。子供を探しているのか、村は何やら騒々しい。家の前まで送ってやらなくてもいいかと足を止めると、子供はその背を追い越し歩いてゆく。そのまま帰るのかと思いきや、数歩先で振り向いた。
「……ありがとう」
小声で礼を言うと、駆け出していく。もういいだろうと牡丹は踵を返し、師匠の待つ家へ向かうべく歩き出す。当然のように、重量のある足取りが続いた。
「何か用?」
怪訝な顔を浮かべて振り返り、牡丹は声をかける。見知らぬ男がついてくる理由が分からずにいると、男はようやく口を開いた。
「ああ、アンタならオレの探しているヤツを知ってそうだと思ってな」
男は棍を肩に抱え上げると、ニッと笑顔を向けた。溌剌とした、清々しい満面の笑みであった。
「オレはセイ。ムゲツって男に会いに来たんだ」
見知らぬ男は、親しげに師匠の名を口にした。
◇◇◇
いつもは静かな牡丹の帰宅が、今宵ばかりはいささか賑やかであった。理由は、連れてきた客人である。
「ようムゲツ、生きてるか?」
セイは図々しくも牡丹より先に戸に手をかけて、声を張り上げる。無月はいつもより帰りが遅くなった弟子を心配する表情から驚いたものへ変え、二人を出迎えた。
「セイか。久しいな」
それから遅れて、牡丹の汚れた着物におやと怪訝な眼差しを向けてくる。見知らぬ客人を連れ帰ってどこか落ち着かない気持ちが、それだけですっと鎮まった。
「牡丹、何かあったのか」
「ううん、別に」
「コイツは鬼に食われかけたんだ」
その言葉に、無月の表情がさっと険しくなる。オレが助けてやったんだと胸を張るセイをしり目に、無月は手ぬぐいで丁寧に土を払ってくれた。
「大事はなかったか」
「平気だよ」
この位、牡丹にはなんてことなかった。けれど無月が心配してくれるのは嬉しかったので、優しい手にされるがままでいた。
一方セイは、勝手知ったる我が家であるかの如くどっかりと座った。随分態度がでかい男である。とはいえ無月はその振る舞いに何も言わなかったので、牡丹もどうとも思わなかった。
汚れをざっと落としてから茶を出してやると、セイはぐいっと一気に飲み干す。
「で、この女はオマエの娘か? それとも嫁か?」
「弟子の牡丹だ」
開口一番に聞かれ、無月は平静のまま答える。牡丹が手渡した湯飲みで一息ついてから、師はそれでと続けた。
「何の用だ。わざわざ遊びに来たわけでもあるまい」
「おおそうだ。オマエに頼みたい事があってな」
「……無茶は吹っ掛けないでくれよ。こちらは一介の貧弱な人間だ」
そこで牡丹の方をちらりと見たので、お茶のお代わりかと思って急須を掲げた。そういうわけではないがと苦笑しながらも、無月は湯飲みを差し出す。その様子を、顎に手を当てたセイは含みのある眼差しで見物していた。自らもお茶のお代わりを貰い、喉を潤しながら成程なあと呟く。
「ま、そこの弟子に聞かせられん話でもない。オレは仕事の依頼をしに来たんだ。ムゲツ、オレの国に仕事をしに来い」
突然の申し出に、牡丹は少しびっくりして師匠の反応を窺う。言われた本人は、顔をしかめて難色を示していた。
「私は、この村を離れる気はないよ」
「提灯を溜め作りしておけばいいだろうが。なに、蓄えが無くなる前にここへ戻ればいい」
「簡単に言ってくれるな」
弦次郎の申し出も断ったのだから、この依頼も受けないのだろうと牡丹は予想していた。しかしセイは全く堪えた様子を見せず、のんびりと胡坐をかく。
「返事は急がん。色よい答えを貰えるまでのんびり待たせてもらうさ!」
図々しい態度に、牡丹は無月と顔を見合わせる。渋い表情はけれど、突然の押しかけを迷惑に思っているようには見えなかった。
「師匠がいいなら、あたしもいいよ」
牡丹が告げると、無月は困ったように苦笑して、そうかと相槌を打つ。
こうして二人の生活に、突然新たな同居人が加わったのだった。
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